傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

欺瞞の誕生

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それからいくらかしてわたしの家にテレビが導入された。わたしも夫もテレビを観る習慣がなかったのだが、出かける機会が減って退屈になり、家で映画を観るために購入したのだ。そうして週に一、二度、リビングで映画やドキュメンタリーを流している。

 昨日はその画面に「橋の欄干を乗り越える人」が映った。高所から飛んでグライダーで着地するスポーツをやっているのだった。するとわたしの脳裏に陽気なわたしの声が響いた。おお、最近のゲームはよくできているなあ、映画みたいだ。

 わたしは軽い高所恐怖症である。そのくせ高いところに登りたがって、足元がぞくぞくするのを楽しんでいる。といってもビルの屋上だとか、大きな橋だとか、その程度である。(自分的に)いちばん過激な経験はスキーのジャンプ台にのぼったことだった。小学生たちもいたので彼らの勇気に感服した。わたしはそれくらい、高いところが怖いのだ。
 なぜ怖いのか考えてみると、飛び降りそうになるからだと思う。ひょいと手すりを乗り越えそうで怖い。つまり、自分の気まぐれで死ぬのが怖い。自分はそんなことしないと確信していればたぶん怖くない。
 わたしはわたしを、「ちょっとした気分で高所から飛び降りてトマトみたいに潰れて死ぬ人間だ」とどこかで思っているのである。
 そういう人間の前に、欄干を乗り越える人が映し出された。そうしたらわたしの脳はわたしに「これはゲームだよ、CGだよ、こんなことしてる人はほんとうにはいないんだよ」と言い聞かせたのだ。この間コンマ0何秒である。意識の介在する余地はない。

 わたしは隣に座る夫に、自分の脳の咄嗟の振る舞いについて話した。夫は言った。きみの脳は実にいいやつだ、いつもきみの心を守ろうとしている。

 いいやつだ、とわたしも思う。しかしこれはあれだ、自己欺瞞だ。

 わたしの母は毎日毎日自己欺瞞をやる人間だった。そしてそのために娘を使用していた。
 具体的には彼女は「わたしは家族みんなに愛されてとても幸福、夫には女として愛されて大切にされているし、わたしももちろん家族みんなを愛している」というような意味のことを、せりふを変えて毎日言っていた。うそ寒いほどのアピールだった。そして女の子どもであるわたしにそれを肯定するよう強要するのだった。あのころSNSがあったら母は確実に「幸福なママ、そして妻」アカウントを作って毎日投稿していたと思う。なくてよかった。メディア上で搾取を上乗せされるところだった。両親はとにかく何でも搾り取るのだ。女の子どもは使用可能な資源だった。家事労働力、世間体のためのポージング、ご機嫌取り役、サンドバッグ役、「女」役。
 わたし自身は両親もきょうだいも愛していなかった。そこにあったのは男たちによる時折の物理的暴力と、女たちも加わった日常的な精神的暴力ならびに性的暴力だった。わたしはわりに早くからそのことを認識していたし、物心ついたときから親との情緒的な結びつきがなかったので(母は幼児までのわたしの世話を物理的にのみしていたと推測している)、家族を愛していなかった。
 そんなだからわたしは少女のころから「現実を認識しないと、母のように『ワタシアイサレテル』と鳴くタイプの妖怪になる」と思っていた。わたしは奥歯を噛みながら自分の惨めな現実を認識し、第二次成長期以降は父親からの性暴力が具体化しないよう防衛し、「おまえは野垂れ死にする」と罵られながら家を出た。父親の世界では男(自分)に属していて言うことを聞かない女(性行為をされないわたし)は野垂れ死にするのである。

 わたしは自分として生きるために自己欺瞞を排する努力をしてきた。しかしわたしの脳だって、反射的に自己欺瞞をやる。それが出てくる瞬間を、今日は見たのだった。これまでもわたしの脳は大量の欺瞞をやり、のちにそれを修正してきた。ワタシシゴトデキル、ヒトリデイキテイク。いや、一人で生きる力を持ったまま、できれば誰かと助け合って生きるのがいいですよ、わたしは、相手は恋人じゃなくてもいいし、同居しなくてもいいですが。ワタシコノヒトノアイガアレバイキテイケル。そんなわけあるか。合意して助け合って生活してだめになったら別れるんだよ。ーーこんな具合に。
 お母さんも自分の心を守るために欺瞞をやっていたのね、脳がそれを求めたのね、意識してやっていたことではないのね、だから許してあげましょう。
 とは思わない。「脳の反射で生きるなんて最悪だな」と思う。「それに子どもを使用するんだから最悪以下だな」と思う。そしてテレビ画面に目をうつし、ぎゃあ怖いぎゃあ怖いと騒ぐ。