傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

棒で人をぶちたい

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから一年半、僕はわりとがんばったほうだと思う。知らない人と話すのが好きだから飲み会の代わりにZoom読書会とかに出て、新しい趣味をはじめてそれを発信して趣味のネット友達を作って、同僚との何気ない会話の機会を作るために思い切って何人かを通話に誘ったりもした。
 だから会話の量自体はそこそこキープしている。えっと、それでも足りなくて特別仲の良い友達と彼女と家族にはめちゃくちゃ話を聞いてもらってるんだけどね。僕もともとすごいおしゃべりで、それで会話の相手が減っちゃったわけだから、身内が命綱状態ですよ。毎日毎日、保育園から帰ってきた幼児みたくその日にあったこと全部しゃべってて、この段階でコミュニケーション的に恵まれているとは思うよ、このご時世にさ。
 でももうダメ。僕はもうだめだ。飲み会に行きたいよう。酒が飲みたいという意味ではなくて、複数の人間がざわざわしているところであれこれ話しかけたりしたいよう。

 Zoomとかアプリで話すと言語と表情くらいしかやりとりできない。最初はそれでじゅうぶんでしょと思ってた。それほど親しくない相手なら物理的に目の前に存在している必要はないんじゃないか、くらいに思ってた。セックスするわけでもないしさ。
 ところが物理的存在というのは実に雄弁なのだ。情報量が段違い。久しぶりに対面で親しくない人間と雑談したとき俺泣きそうになっちゃったもん。相手はとくに好きでもない上司で、彼のフィジカルを個人的に好ましく思ったことは一度もないのに、目の前にいて話していることが無性に嬉しく、「ああ人間と話している」「感情をやりとりしている」という感じがした。内容は業務上の些末な話なのに。
 僕はおしゃべりで、自分の状況や気持ちを言葉に乗っける能力は高いほうだと思うんだけど(それやらないと友達できないから。友達いないと死ぬんじゃねえかっていうほどおしゃべりなんだよ)、でも言葉とモニタにうつった表情だけでは、伝わらないんだ、と思った。何がって、うまく言えないけど、存在?

 存在。
 僕の趣味の一つにアナログゲームがあって、同じルールのゲームをオンラインでしてもどうもしっくりこない。オンラインゲームも好きだけど、アナログとは別物だと思う。
 存在。
 オンラインにだって人間の言葉や(カメラオンなら)表情が存在しているのに、僕はどうやらそれだけでは人間の存在を強く感じられないみたいだった。

 そのようにうっすらと鬱屈を抱えてしばらく思案していたら、ある日朝起きたとたん「人を棒で打ちたい」と思った。顔を洗ってダイニングに行って彼女にそのまま話したら「え、引く」と言われた。まあ聞いてくださいよ、引きながらでいいからさ。
 僕は小さいころから高校を出るまで剣道をやっていた。礼と所作が身につき体力がやしなわれるので大人受けは非常によかった。でもそれはそれとして、僕がやっていたのは週に何回も棒で人をぶったりぶたれたりすることだった。こういう言い方すると関係者にめっちゃ怒られそうだけどまあいいや。
 棒は堅くて人に当たると痛いです。防具がついているから痛くないだろうと思っている素人さんも少なくないんだけど、防具って金具がついてない部分はただの革ですからね。脳天にバチーンと打ち込まれたやつが脳しんとうを起こして倒れたりするんですよ。
 僕は剣道のそういうところが好きだった。他人とおおむねうまくやれておしゃべりで元気で成績もよくて問題のない子どもにだって、魂の中に薄暗い部分がある。僕は陰鬱な小説を読みつつ棒で人をバンバンぶったたくことで自分の魂と折り合いをつけていた。たぶん。

 大学生ともなると棒で人をぶたなくても他者の(なんていうか「存在」と)接する機会はいくらでも作れる。もっと大人になって経済力がついたら未知の場所に旅行することだってできるーーうまく言えないんだけど、旅行は「存在」と接する場のような気がするんだよな。僕がやってた旅行がバックパッカー系だからかもしれないけど。
 でもそれらはうしなわれた。少なくとも当分のあいだ、僕は知らない人と話し込んだり大人数と雑談したりできない。だから僕はまた道場に行くべきなのだ。そして棒でぶったりぶたれたりするのだ。
 そのように力説すると彼女はメイクしながら生返事をし、野蛮、とつぶやいた。野蛮な男はお嫌いですかと訊くと、つまらなそうに、好きですよ、とこたえた。