傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

マジョリティの地獄

 背後から女の声が聞こえる。

 私は男に生まれなくてよかったと思うよ。私が男だったらさあ、ちやほやされて育って、ぜんぜん挫折しないもん。女の子にもモテる。もう絶対モテる。それでナチュラルに威張る。家庭のことは結婚相手に丸投げして、「子どもの教育はお前の仕事だろ」とか言って、脱いだ靴下をそこいらに置き去りにして、家族みんながびくびくして自分の機嫌を取るようにしむける。なぜなら私には、社会に甘やかされながら社会の矛盾を考える能力はきっとないからだよ。私は自分が女に生まれて、いくつか不運なことがあって、割りを食っているから、だから思考しているんだよ、自分のために。優遇されていたら今ごろは根拠のない優越感をぶくぶく太らせて精神が脂まみれになってるね、まちがいない。

 それは僕の父である。

 もちろん口には出していない。内心で思ったことだ。その声は僕の背後で、僕でない人物に向かって発せられていたのだし、声の主はわざわざ話しかけるような相手ではない。ずけずけとものを言うから昨今のセクハラ防止やらコンプライアンス重視やらの対応に駆り出されることがある、そういう女性社員である。それだって雑用で、本務でたいしたことをしているわけでもない。中年で、独身で、言っていることは正しいのかもしれないが、しなやかさがなくて、何か満たされない人生を送っている女性だと思う。

 相手が女だといちいち値踏みする、その態度が差別的なのだと、僕だってわからないのではない。僕は口に出してはいけないことを心得ている。言って不利になることは思っていても言わない。誰にでもにこやかに接している。

 僕の父親は三ヶ月前から入院している。本来はもう退院しなければならないのだが、半身に軽い麻痺が残っていて、自宅に戻れない。母親は少し前に腰を痛めていて、自分より二十センチも背丈のある要介護者を引き取れる状態ではない。そして何より母親ならびに母親と同居している弟夫婦、この三者が全員、父親を蛇蝎のごとく嫌っている。義妹と弟はさっさと部屋の間取りを変え、母親に至っては父親が入院した直後から遠方の介護施設のパンフレットを集めはじめた。僕は早くに上京して離れていたから彼らの内心を知らなかった。入院前はそれなりの家族であるように見えたのに、蓋をあけたら父親以外の全員が全力で父親を排除しようとしていた。絶対に家に戻らない死人のような扱いだった。

 僕だって父親を好きなのではない。でも父親はあの時代の当たり前の男だった。いや、当たり前よりもずっと良い男だった。よく稼いでいたし家族を殴るのでもなかった。僕らの家族は当時としては何不自由ない暮らしをしていた。父親は少なくとも平均よりも良い父親だったはずだ。それがいけないというのなら、父親の世代の男たちは半分以上が断罪されなければならない。そんな理不尽なことがあるか。

 そう思う。でも言わない。言わないが、「もっと近くの介護施設があるだろう」と言ったとき、弟の目はあきらかに僕まで断罪していた。完全にとばっちりだ。父親を見捨てないなら敵だと言わんばかりである。どうしてそういう極端な態度に出るのだろうと思う。老後くらい静かに送らせてやってほしいと思う。何も自宅で手厚く介護しろと言っているのではない。慣れ親しんだ地域の介護施設に入れてときどき見舞ってやるくらいのことがどうしてできないのか。母親や義妹は女性として何か不愉快な目に遭ったことがあるのかもしれない。それなら今の時代に不満を述べるのは、百歩譲ってわからないこともない。でも弟はどうだ。弟だって、育った時代なりの、当たり前の男である。父親と違うのは生まれた世代だけだ。生まれた時代なりに育ったという意味では同じだ。弟は、四十年後に自分が父親と同じ目に遭ってもいいというのか。家を追い出されてもいいのか。あの家は父親が働いて建てた家じゃないか。

 背後から耳障りな声が聞こえる。

 自分より「下」の人間がいつもいるという暗黙の了解のもとに育って、それでもって後からまともになるというのはねえ、むつかしいことですよ。差別感覚が少ない人は、どこかで差別されたことがあるんだ。差別されて悔しかったから考えたんだ。そうじゃなかったらなかなか考えない。必要がないから。当たり前だとか普通だとか思って暮らしている。だから私は女に生まれて割りを食ってほんとうに良かったと思うよ。ものを考えないで行き着くところは地獄ですよ。