傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

たましいの接着の弱さ

 ふだんより大きなプレゼンテーションをする仕事があった。会場も広いし時間も長い。一人でやるとぜったいに間が持たないので仕事仲間と一緒に登壇することにした。

 早めに会場に入ると、スタッフから「準備の持ち時間は一組あたり二十分です」と言われた。それまで入れないのだそうだ。しかたがないからぼんやりと立っていた。今日ってまさかえらい人たちも来ちゃうのかなあ。だったらいやだなあ。

 気がついたら発表本番七分前だった。私が慌てて会場に入ると、このたびの発表の相棒が無表情で準備をしていた。そしてものすごく冷たい声で「早くしてください」と言った。

 発表は完全にうまくいったわけではないけれど、まあまあの感触を得た。この感触なら、いいんじゃないですか。私が言うと、相棒はそうですかと言う。彼は他人のなんとなくの反応や発言者の言外の好意悪意みたいなものがさっぱりわからないので、私が解説するのが常である。

 いや、今日は、表情が読めないとか以前に、客席の人の顔が見えてなかったです。彼はそのように言う。見えないって、なんで。緊張していたから? 私が訊くと彼は首を横に振り、照明が強かったから、と言う。あの照明であのレイアウトだと客席は「なんか人がいる」くらいの感じですよ。

 視覚検査では問題が見つからない。ただ特定の条件のもとでよく目が見えない。そういう事情のようだった。聴覚は逆にひどく強いらしく、雑音が苦手で、ノイズキャンセリングのヘッドフォンをよく使っている。話し声が小さいのは「自分の声が頭に響いて気分が悪くなるから」だという。

 他人の聞こえやすさのために自分の不快感を犠牲にしなければならないとは思わないの? 私がそのように尋ねると、そんな犠牲をはらってまで他人と話さなければならない理由がわからない、と彼は言う。仕事で大きな声を出す必要があるならマイクを使うし、プライベートなら小さい声でも理解してくれる人を探す、と言う。集団での雑談は右から左へ聞き流して雑にうなずいているだけだそうである。

 そのように非社交的な人間を、と彼は言う。あのように不慣れな会場に単独で置き去りにするなんて、ほんとうにひどいことだ。マキノさんには人情というのものがないのか。

 人情の問題ではない。私は何かというとたましいが身体から遊離するたちなのだ。具体的に言うと、緊張や体調不良や痛みなどの刺激で時間の感覚がすっとなくなってしまう。数分で気がつけばよいほうで、ぼうっとしているうちに数時間が経過していることも少なくない。

 どういうしくみかはよくわからないのだけれど、どうもそういうときは脳の状態がふだんとは違うらしい。むかし医者のすすめで脳の検査をいくつか受けたところ、起きている状態で検査を受けたのに深く眠っているときの脳波が出ていた。医者によると、赤ちゃんや認知症の高齢者にはよくあることだそうだ。まあだいじょうぶですよと医者は言った。認知症でない成人でも、えっと、座禅中のお坊さんとかから観察されています、その状態で受け答えをするというのはね、ちょっと珍しいけど、たぶんだいじょうぶです、あなたは、たましいをこの世につなぎ止めておく機能がちょっと弱いんですよ、そう思って生きていらしたらいいですよ。

 私がそのように説明すると彼は首をかしげ、たましい、と言う。たましい、と私はこたえる。医者が使う用語じゃないかもしれないけど、私は「そうか」と思ったんだよね。

 要するにやや一般的でない脳の特性があるということでしょう。彼はあっけなく言う。そんなのはね、自分のできないことをできないと理解して、それで対策を立てておけばいいんです、僕だってそうしている。その、ちょっと剥がれたたましいを、この世に呼び戻す方法があるんじゃないですか。そうじゃなかったら曲がりなりにも中年になるまで公的支援なしにやってきていない。スマホのアラームとか入れておけばだいたいどうにかなる話なんじゃないですか。

 そのとおりである。ふだんはそうしている。けれどもこの年齢でプレゼンごときにそんなに緊張するとは思わなくて、対策していなかった。私がそう言うと彼はため息をついて、二度はしないでください、と言う。ごめんなさいと私は言う。それから尋ねる。あのさあ、私たちはお互い、脳の特性で苦労をしているわけだけど、そういうのが全然ない人っているのかな、みんな平気そうな顔してるけど、ほんとは何かしらあるんじゃないかな。あると思いますと彼はこたえる。僕の友だちはみんな何かしら問題があって対策してますよ、とはいえ、僕の友だちって、一桁ですけど。