傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

一晩百万で買えるもの

 その家に行って彼女の息子にかまうのは三十分までと決められている。私は小さい子を嫌いではないし、彼女の息子が赤ん坊のころから定期的に遊びに来ているから、たがいに慣れてもいる。それだから三十分が一時間になってもかまいやしないのだけれども、その子の母である私の友人は時計を見て子に宣言するのである。「さやかさんはお母さんの友だちなの。だからお母さんとお話をするの。ひろくんはそろそろ、さやかさんをお母さんに返さなくちゃいけません」。

 子にとって食事をしながらのおしゃべりは「遊び」ではないらしく、「ではママとさやかさんは何をして遊んでいるのか」という問答にいささかの時間を費やした。しかたないよと私は言った。ふだんより凝った食事を作ったり、ちょっといいお酒を持ち寄ったりしながら延々と話している、それが実はいちばんの「遊び」だというのは、七歳にはちょっと早いよ。私たちは、山とか海とか行っても結局のところしゃべってるわけだけど、この子にしてみればハイキングや海水浴や、家にいたらカードゲームなんかが「遊び」なんだから。

 友だちというのは本質的には互いの自由意思で話をする相手だってこと、あと何年かしたら、納得してほしいな。彼女は子を横目で見ながら言う。そしてそれは親にももらえない、どこからも買えないものだと、わかってほしいな。わたしの父、この子のおじいちゃんみたいには、なってほしくないな。

 彼女は資産のある家に生まれた。父親は代々持っている会社を大きくし、その後も潰すことなく、不景気だ不景気だと言いながら、派手な暮らしを継続していた。彼女が小学生の時分に、しばらく母親が遠くの実家へ帰省したことがあった。その後祖母が亡くなったから、長い介護であったのだと、もうすこし大きくなってから理解した。彼女の父は妻の長い帰省を「寛大に許す」男であり、同時に、妻の悲哀や労苦をわかろうとする男ではなかった。それが証拠に、と彼女は思った。お母さんは一ヶ月も二ヶ月も行きっぱなしで、わたしが母のところに連れて行かれることはなく、母はただ疲れた顔で帰ってきて、あちらこちらに頭を下げ、また祖母のところへ戻っていった。

 彼女の父親は保育の心得のある家政婦を雇い、豊富な習い事をさせた。そうして気まぐれに、遊びに行くか、と言った。

 父親の主たる遊びはドライブと海釣りで、背丈の低いスポーツカーのほかに、祖父母を含む家族がみんな乗れる大きな車を持っていた。それでもって海辺に走り、船を出して魚を釣るのである。大きな車を彼女は少し好きだった。そこには母や祖父母が乗っているからだ。

 けれどもその日、大きな車に乗っていたのは、知らない男だった。パパの友だちだよと父親は言った。男の名を聞き、自分の名を名乗り、ちいさく頭を下げると、男は大げさすぎない微笑と口調で彼女の利発さを褒めた。無神経な大人がよくするみたいに突然手をつないだり頭をなでたりもしなかった。皺も白髪もあるのに、奇妙な真新しさを感じさせる男だった。お父さんみたいじゃない、と彼女は思った。父母参観に来る誰かのお父さんみたいでもない。

 船を沖に出すとき、彼女は岸辺にいる。船酔いをするからだ。すこし乗せてもらって、それから降りる。今日は母も祖父母もいない。代わりのように、「パパの友だち」が残った。

 パパの友だちって、ほんとですか。そう尋ねると男は、もう敬語が使えるのか、と感心してみせて、それから言った。お嬢さんはとても賢いから、正直に言おう。僕はパパのほんとうの友だちじゃない。パパは僕が働いているお店に来てたくさんお金を遣う。だから僕はパパの友だちのような顔をするんだ。世の中にはそういう仕事があるんだよ。そのことをどう思う?

 それで、七つのあなたはなんと言ったの。そう尋ねると彼女は笑ってこたえた。父をよろしくお願いしますと言ったわ。できすぎているでしょう。でもほんとうなの。

 わたしは大きくなってから、父が銀座で一晩に百万遣うこともあったと聞いた。通い詰めるというほどではないにせよ、いいお得意さんではあったみたいね。高いお店の料金は、美しい女性を侍らせてお酒をのむためだけのお金ではないの。その場が自分にふさわしいもので、その場のみんなが自分によき感情を注いでくれているかのような気分を味わうための代金なの。美しい女性たちが話し相手になる店で影のように控えている男たちは、いっけん裏方だけれど、やっぱり売り物なのよ。休日に客の釣りにつきあうくらいのね。

 父にはもう誰も寄りつかない、と彼女はつぶやいた。お金が減って、母が死んだから、もう、誰も。