傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ごく普通の家族の話

 そうだこないだわたし養子に入ったの。うん、母が、わたしと妹ふたりに、死んだら貯金とかくれるっていうからさあ。そう、父の再婚相手。正確には再々婚相手。あ、そのあたり話してなかったっけ。
 わたし七歳で実母を亡くしてるの。わたしと上の妹を産んだ母ね。大きくなってから「母が」って言ってたのはだから、養母。父親がほんと色ぼけじじいでさあ、養母が来たのって私が高校生のときなの。父親が「この人と結婚するー」って連れてきたわけ。当時、上の妹が中学生で、すごいけんかしてた。
 うん、わたしたち、ぐれてもしょうがなかったと思うよ。継母二人目だもの。めんどくさいから、たいしてぐれなかったけど。ね、事実婚でいいじゃんって思うよね、でもぜんぶ法律婚なの。法律婚三回。親が恋愛したからっていちいち結婚して、離婚して、また別の人と結婚して、子どもはいい迷惑だよ。
 ひとりめの再婚相手?ああ、彼女はね、死別じゃなくて、ふつうに離婚したの。来てそんなに経たないうちにいなくなっちゃった。わたしがまだ小学生で、下の妹が保育園入ってすぐ。それでね、下の妹ってほかの誰とも血がつながってないの。最初の再婚相手の連れ子なの。再婚相手と前の旦那さんの子なの。父の子ではないの。よく考えたら再婚相手が出ていったのに下の妹がうちに残ったのはレアケースなんだろうけど、当時はぜんぜん疑問に思わなかった。
 継母が突然家を出て、わたしと上の妹が父に連れられて下の妹の保育園のお迎えに行って、四人で帰ってきて、父が言うの、とても残念なことに、お父さんはふられた、って。わたし、お父さんはだめだなーって思った。
 下の妹はしばらくお母さんを恋しがって泣いててかわいそうだった。上の妹と「お父さんが悪い」ってよく言ってた。お父さんがふられたせいで妹のお母さんがいなくなっちゃった、ひどい話だって。
 家事は、わたしたち、たいしてしてなかった。お手伝いくらい。近所のおばさん何人かにローテーションで家事を頼んでたんだ、父がお金を払って。もちろん父も家事をしてたし。おばあちゃんおじいちゃんもしょっちゅう来てくれてた。下の妹のお迎えとか、授業参観とか、三者面談とかに。わたしたちはほかの家の子とおんなじような生活をしてたと思う。子どもは学校行って遊んで、ちょっとお手伝いして、夜はぐうぐう眠るものだって、疑ったこと、なかった。
 うん、当たり前のことだよ。でも当たり前のことを当たり前にできる家庭ばかりではないよ。そのことはわたしもなんとなくわかってた。わたしたちをふつうの子ども、ふつうの三姉妹としていさせるために、周囲の大人たちがどれほどの工夫と労力をはらってくれたのか。小さな大人でも家事要員でも「難しい家庭の子」でもない、そこいらの子どもでいさせるために、どれだけの偏見を排除してくれたのか。
 父はしかたのない色ぼけで、幼い子どもに母親をつくってやりたいから再婚しようなんて発想はない。自分がしたいから結婚する。おかげで育児に向かない継母が来て連れ子を置いて出て行っちゃったり、子どもたちが思春期まっただなかに再々婚相手が来ちゃったり、する。実にいい迷惑だよ。
 わたしにとってはだから、親っていうのは、いつも、ちゃんと、自分の幸福を考えている人だった。子どものために犠牲になんかならない。わたしたちは「ふられた」って聞けば「お父さんだめすぎ」とか思って、それで、残ったみんなで家族を継続した。わたしは自分が父の仕事やなにかの邪魔になってるって思ったこと一回もなかった。今にして思えばそんなはずがないんだけど。下の妹が家からいなくなる想像もしなかった。子どもだからまだ血のつながりとか気にしてなかったのかな、とにかく、下の妹は家に来たんだからうちの子で、わたしたちとおんなじだった。
 そうそう、養子の話ね。下の妹が言うの、めんどくさい、って。お父さんの養子で、今度お母さんの養子にもなるなんて、めんどくさい。結婚するときにも説明がめんどくさそうでくらくらする。家族の関係をつくるのにたくさん書類がいるのって、変だよ。家族かどうかはわたしたちが決めることなのに、何で役所にとやかく言われなきゃいけないの。わたしたち夫婦です、親子です、姉妹です、わたしたち家族ですって言ったら、みんなが「そうですか」って言うのが当たり前なのに。ああ、めんどくさい。