傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

成熟と腐敗のあいだ

 中年の危機かな。そう言ってみると友人はなんとなし上を見る。中年男が若い女の子とつきあうのって、そう呼ばれるんじゃないの、と僕は尋ねる。俺まだいける、みたいな、そういう欲望。友人は、うぅん、というような、否定とも肯定とも取れない小声を返し、それから僕をながめまわして、地味だなあ、とつぶやいた。中年の危機にしては地味、近所の高校生にどうしようもなく恋をして突然からだを鍛えだしてムキムキになったりしてくれないと。
 現実はそんなにわかりやすくない、と僕は諭してやる。たいていの男は老いをおそれて女子高生に夢中になったりしない。ムキムキにもならない。ダイエットをする気にはなった。その程度。僕の言い分が途切れてたっぷり一秒あいてから、コーヒーカップに向けて発言しているみたいなようすのまま、友人は口をひらく。
 やっぱり、中年の危機じゃないよ。ある程度の成熟がないと観察されないものではあるけれど、少なくとも老いを恐れて若さにしがみつくようなかわいげのある事象じゃない。あなたの好きな女性は、若さだけを切りだされるほど若くはない。ただ不安定で、特定の部分が未熟なまま大きくなった人で、あなたに頼っている。彼女の幼さは、若さとは少しちがうものだよ。それに、あなたは彼女に夢中なのでもない。しがみつくように切実に求めているわけじゃない。どちらかというと、しがみつかれたいのでしょう。
 友人のせりふを最後まで聞いてやってから、僕は軽く、鼻で笑う。少しばかり気分を害している。この友人は、たいていの話はおもしろがって聞いて、価値判断を下さない。だから話し相手にするねうちがあるのに、今日はどうしたことか。たしかに僕は、いま好きな女の子とは別に、結婚して十年になる妻がいる。そして十年のあいだ、彼女がいなかったわけじゃない。目の前の友人はそういう話を聞いて、ふうん、と言っていた。僕にとってのこいつの価値はそこにある。職場や日常生活の場を共有している人間に知られたくない話ができること。男同士で話しているときの、武勇伝としてのあらすじ以上の内容は不要であるかのような空気の中ではしにくい、細かな描写ができること。そうして僕のしたことについて良いだの悪いだの言わないこと。女だけど女じゃない、もちろん男でもない、便利な話し相手。
 だから僕は近ごろできた新しい相手の話をしたのだ。会社の若い女の子が何かと僕に相談事をもちかけてきて、そのうちにずいぶんと親密になった。彼女はとても脆弱な人で、あまりいい環境にない。神経がむきだしになってるみたいに繊細だから、誰かがケアする必要がある。そのうちちゃんとした恋人ができるだろうけど、今は僕が頼りだというから、できることはするつもりでいる。そういう話をしたのだ。
 今日はずいぶんと倫理的だね、と僕は言う。私はいつだって倫理的だよと友人はこたえる。そしてその倫理に婚姻関係が加わったことはないよ、勝手にすればいいんだよ、法に触れるとわかっていてしているのだったら、そのほかの判断を下せる人間はどこにもいない、そう考えるのが、私の倫理だからさ。結婚していて別の女性と親しくなったからどうこうということじゃあないの。じゃあどういうことだという意味の僕の沈黙を受けて、友人はだらだらと話しだす。
 未熟な人間の、その未熟さばかりを撫でまわす行為って、なんといえばいいのかな、少なくとも、恋ではない。未熟さはいい、とてもいいものだ、すごく甘いものだよ。私だってそれくらい知ってる。未熟な人がひょんなことから自分を頼りにしたとき、どれだけいい気持ちがするか。見た目やなにかが自分にとって好ましい相手が、身も世もなく自分を頼りにしてくれたとき、どんな種類の快楽を感じるか。ちょっと頭がぼうっとするような、でも余裕があって冷静にふるまっている、あの感じ。
 頼られたいという欲望が満たされて、成熟した自分の優位性をいつも感じられて、そのくせ責任は発生しない。子どもに対するような責務はない、子どもより不都合が少ない、都合が悪いことは言い聞かせればしないでいてくれる。少なくともしばらくのあいだは。自分に余裕ができてからそういう人と恋愛っぽいことするのってすごく気持ちがいい、ずっとなめていたくなるみたいに甘い、そしてそれは、気持ちの悪いことだよ、自覚があったって、やるときはやっちゃうんだけどね。
 なんだ、同族嫌悪か。僕がそう返すと、友人はちょっと笑って、それから、はっきりと言った。気持ち悪い。