疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではそのために些末な打ち合わせもオンラインでおこなわれ、皆が慣れてきた今となってはリアルタイムの共同作業も気楽に実施されている。本日は上司からの資料レビューであった。
上司:急ぎでイレギュラーな仕事やってもらっちゃってごめんね
わたし:いえいえだいじょうぶです
上司:こういう差し込みの仕事、ガッてやってバッて出してくれるのほんと助かる
わたし:いやあ、この程度でよろしければ
上司:あのね、できればこの程度じゃなくしてほしい
上司:あなたの仕事はいつもスピーディで対応も柔軟で素晴らしい。でも雑
わたし:あっそれが本題ですね
上司:うん。赤字のところ見ておいて。とくに数字の誤字は致命的だからね。あと図の作りとレイアウト。せめて余白を左右対称にしてほしい。総じて雑
わたし:承知しました。赤線ありがとうございます。すごく直しやすいです。今日中に直して戻します
上司:今日中じゃなくていいから細部よろしくね細部
わたし:はいがんばります
上司:こういうことをはっきり言ってもぜんぜん平気なあなたのタフさはね、すごくいいと思うんだ。リモートで繊細な人にマイナスの指摘をするの、めちゃくちゃたいへんでさあ
わたし:個人的にははっきり言ってもらったほうが気が楽ですね。空気読むコストと読まれるの待ってるコストがもったいなくないですか。わたし自身が能力的に空気読めないというのもありますが
上司:あのさ、そういう感受性の人は少数派なんだよ。でね、仕事する上では雑にやってダメ出しされて直すほうが効率的なの。それに、上司はいろいろ気を回さなくて済んで楽、ダメ出しで精神的なダメージを受けないから本人も楽。でも多くの人はそうじゃないの。ダメ出しされるとダメージ受けるの
わたし:そういう認識はあります。ほんとうにはわかっていませんが。だってミスの指摘でしょう。直せばいいのでは? 直せば自分の能力も上がるしナイスでは?
上司:あなたはそれでいい。そしてできれば繊細で丁寧な人たちに細かい気遣いをしてもらっていることに気づいて、それに対する感謝を口にしてあげてほしい
わたし:なるほど?
上司:上司に資料レビューでミスをカバーしてもらってお礼を言うとか、そういうわかりやすいことじゃなくてね。えっと、他の人たちに、周りのみんなに「これしてくれたんだね、ありがとう」って言ってほしい。彼らは感謝されるととても喜ぶ。あなたが思うよりずっと
わたし:なるほど?
上司:えっとね、たとえば、あなた劣等感とか、わからないでしょ
わたし:そんなことないです。思春期にはちゃんと劣等感ありましたよ。わたしだって自意識あるホモ・サピエンスなんだから。ゴリラとかではない
上司:いや劣等感を思春期の現象と思っているところがすでにわかっていない
わたし:大人になってもそれが重大な問題になる人がいることは認識しています。小説にそういう人物が出てくるので
上司:現実にもよくあることなんだよ。そして彼らは繊細であること自体にもちょっと劣等感を持ったりする。もっと言うと優越感と劣等感を両方持っていたりする
わたし:劣等感を持つ対象には優越感も持ちますよ。セットメニューだもん
上司:まあそうだけど、それ繊細な人の前で言うんじゃないよ。劣等感があるって自分で言ってる人でも、「優越感があるでしょ」って言われるとすごく傷つくんだよ。優越感を持つのは劣等感を持つより「悪いこと」みたく思ってる人がけっこういるんだよ
わたし:わかんないけど、わかりました、言わないようにします
上司:繊細な彼らは雑なあなたにあれこれ気を回してくれている。あなたはそういう気遣いに支えられてやってきたところもあると思うんだ
わたし:たしかに。総務のTさんなんて、わたしの服が裏返しだとそっと教えに来てくれます
上司:出社時には服をちゃんと表にして着てください
わたし:はいがんばります。そういうのはわたしも普通に恥ずかしいです
上司:そして彼らは雑なあなたに優越感を持つけれど、優越感にフォーカスしない性質を持っているので、タフなあなたに対する劣等感だけを感じてしまう
わたし:あ、おっしゃることがなんとなくわかりました。してもらっていることに気づいて感謝しないとがっちり嫌われるコースですね
上司:おお、そのとおりです。そしてあなたが彼らの支えに気づいて感謝すると彼らはあなたを好きになる。特別に好きになる人もいる
わたし:わかりましたがんばります
上司:資料の戻しは明日でいいから丁寧にね。ではこれで