誰かが何か言う。別の誰かが別の何かを言う。遠くから大勢の声が聞こえる。てんでばらばらに勝手なことを言っている。あれを選ぶとひどい目に遭うよ。これを選ぶと人生失敗するよ。そっちを向いたらみんながきみを軽蔑するよ。無駄なことをしちゃいけない、きみは実はもう完全にだめになっているんだよ。騙されちゃいけない、これさえすれば助かるよ。
彼女は息を吸う。彼女は乾いている。赤茶けて罅割れている。彼女は雨を待つ。気分を変えるもの、気分を変えるもの、と思う。外を走る。シャワーを浴びる。思いついてもらいものの香水をつける。目を閉じて彼女は水のイメージを追う。水は赤茶けた大地に吸いこまれ彼女の中に流れ地脈を形成する。てのひらをあわせる。水を汲む。雨は降る、雨はいつだってちゃんと降ってくる。彼女はそう思う。外野の声は遠ざかっている。そうして彼女は決めるべきことを決める。
というぐあいに、槙野さんからもらった小さい香水を使用しました。彼女はそのように話を結び、私は拍手して彼女を賞賛した。まだうんと若いせいでもあるんだろうけれども、彼女はやたらと人の言うことを気にして、たいていの要求はクリアしてしまう。人はそれを適応力と呼ぶのだろうけれど、本人が苦しかったら適応なんかできないほうがいいんだと私は思う。どうしていつも要求される側に甘んじているんだと思う。自分が要求すればいいと思う。でも世の中には誰かの要求をいつも過剰にかなえてしまう人、それによる小さいご褒美があるんじゃないかってつい待ってしまう性質の人がいるのだ。あれこれ言われてぜんぶ言うとおりにすることなんかできないしする必要もない。大量に並んだ価値観の中の自分にとっての正解は自分が知っている。私はそう思う。だから彼女のやりかたを褒める。そういうのは身体感覚で選ぶものなのだ。
彼女は笑わないままでちょっと小鼻をふくらませ、それからぷいと目をそらした。褒められるのにあんまり慣れていないのだ。もう二十歳を超えてだいぶたって、仕事も板についてきて、彼氏だっているのに、ときどき小さい子みたいに見える。神経質で潔癖で警戒心が強くてやたらと思い詰めた目の、痩せた子ども。そのような自分を覆い隠せるほどの技量は彼女にはまだない。可愛いと思う。でも言わない。同じくらい年の離れた男の子なら、かえって言えるのだろう。女同士というのは私にとって、ときどき妙に生々しい。
彼女と私の会話はたいてい正確に往復し互いが同じくらい話す。ねえ槙野さんは私に親切だけどそれはどうして、私、べつに、役に立ってないけど。友だちというのは役に立つ立たないという視点で評価するものではないよ。槙野さんは私の友だちなの。ほかに名前のつけようがない。
話しながら私は余裕たっぷりの年長者の顔を保持している。私はもうすっかり厚顔で、たいていの場合へらへら笑っていて、痛みや混乱から遠く離れたそぶりをしているけれど、そんなのは嘘だ。年をとったら鈍くなるなんて嘘だ。私たちはただ痛みと混乱の取り扱いを覚えただけなのだ。私は人の評価や注文に右往左往している彼女から遠い人間なんかじゃないのだ。私が弱っているときの彼女を甘やかすのは私のなかの彼女のような部分を慰撫するためなのだし、彼女の可愛らしさに心をひかれるのは私のなかの彼女と似た部分がこんなに可愛く見えたらどんなにかいいだろうと思うからだ。弱いまま萎びた側にあって弱く瑞々しいものを自分の似姿だと思いこむこと。
そうした感情は美しいものではない。だから仕舞っておく。仕舞ったものが腐るのを防ぐために、私たちはまるでちがう生き物だというふりをする。そのためのルールをもうける。年齢の差をやけに重く見ること。保護的な役割を徹底すること。干渉と要求と説教を避け、相手の視界からはずれたところで自分の欲望をひそかに満たすこと。若い人を昔の自分のようだと思ったら、その程度の作法は保持しないといけない。
彼女が口をひらく。私が以前あげた香水のサンプルをぽんとテーブルに置く。でもやっぱりこれは返す、すごくいい香りで、ほんとに水がぱーって入ってきたみたいな感じしたけど、でも、ああいう感じって、槙野さんのほうが、必要じゃないかと思う、そういうの足りてないと思う、私には、もうちょっと甘いのがほしい。私は軽く眉を上げ、新しい、と思う。生意気だ。この子が生意気だなんてはじめてだ。ハイスピードで複雑な成長を遂げている。そう思って、なんだかかなしくって、愉快だった。きっと今だけなのだ、この子が私の甘ったるい同情と投影の対象でいてくれるのは。