傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ヴァイオレント・ケア

 ごめんなさいねえとおばさんが言う。うちの子がいまだにお世話になって。私は首を横に振る。美味しいものが口のなかにあるので話すことができない。大学生の時分、おばさんの子の家庭教師をして、毎週ごはんを食べさせてもらった。その代わりといってはなんだけれども、報酬は格安だった。おばさんとは別のアルバイト先で知り合って、仲介業者が入っていないから、余計に安かった。おばさんの家にお邪魔するのは何年ぶりだろう。何年たっていても、おばさんの前ではどうしてかそれを忘れてしまう。
 おばさんは私の前に座っていてくれない。そうだあれがあったとかおかわりはどうとかドレッシングを出していなかったとかお茶を淹れましょうとか、数分ごとに席を立つ。おばさんの夫が生きていたころにはそもそも食卓に座らずにずっと世話を焼いていたと、おばさんの息子は吐き捨てた。世話して食わしてもらうのが仕事だから、あの人は。
 私はおばさんを食べさせていないのにおばさんは私の世話をしようとする。私は大人で、ずっとひとりで生活していて、世話なんか要らないのに。けれども私はおばさんにそうされるのが嫌いではない。正直に言うと好きだ。食卓にいなかったらいやだけれど、途中であれこれしてもらうのは好きだ。少しぼんやりして、なんだか甘ったるい気持ちになる。どうしてか後ろめたくて、おばさんの息子には言えない。おばさんは私を褒めてくれる。先生は立派ねえと言ってくれる。私はもう先生じゃないし、立派なんかじゃない。でもおばさんに立派だと言ってもらうのはいい気持ちがした。
 後片付けはいつもと同じくさせてもらえないので、時計を見て私は辞意を告げる。じゃあ一緒に出るわとおばさんは言う。夜のお出かけですかと、少しうれしくなって問うと、母屋に行くだけよとおばさんは言う。おばさんの家はお屋敷みたいな大きい家の離れで、夫を亡くしてから二十年ちかく、おばさんはそこにいるのだった。一緒に離れに来たときは小学生だった息子は母屋の主であるおばさんの弟と折り合いが悪く、十八で家を出て離れには寄りつかない。
 なぜだか少し怖くなる。それからおばさんに尋ねる。よく行くんですか。そうねえ二、三日に一度、とおばさんはこたえる。晩ご飯はね、あちらのおうちでなさるから、でも夜ひとりでお酒のんだっておもしろくないんでしょう、奥さまは早寝だから、それで弟がね。
 おばさんの弟、私が教えていた子の叔父はかつて、晩酌が「つまらない」からおばさんの子を呼びつけていた。けれども同じ場所から同じ場所に行くのに母子のようすはあまりに異なっていた。おばさんの弟のすることでおばさんの子は半ば精神を病んだのに、おばさんはなんだか、つやつやしている。弟さんは、どんな方なんですか。靴を履きながら尋ねる。おばさんは笑う。いつまでも子どもみたいで、わがままで困っちゃうのよ。
 弟さん、ひどいこと言う人じゃないんですか。小さい声で尋ねる。おばさんの声色は変わらない。先生は知ってるんだものねえ。うちの子はかわいそうだったわねえ。あの子繊細だから。でも私はねえ、何言われても、はいはいって聞いてるだけ、よくあることよ、昔ながらの亭主関白っていうのかしら。亭主じゃないでしょうと言いかけて私は黙る。執拗な暴言に傷つけられるのは繊細とかそういう問題じゃないと言いかけて、黙る。
 離れの玄関を出る。鍵をかけているおばさんに尋ねる。弟さん、最近お酒、増えたんじゃありませんか。増えたわねえとおばさんはこたえる。奥さまがあんまり飲ませてくださらないみたい。私はぞっとする。義妹を奥さまと呼び、弟の酒の席に侍り、自分に暴言を吐き続けるのを亭主関白と称する、この人のなにかがおかしいことを、私は知らないのではなかった。今、そのなにかの一端が顔を覗かせた。私はちいさく尋ねる。弟さん、病院行ったりしてるんですよね。してるわようとおばさんは言う。なんだかね、お酒嫌いになる薬を飲まなきゃいけなくてね、それが辛いのですって、だから私ね、お薬ちゃんと飲みましたって奥さまに言ってるの、そしたらその日はお酒飲めるものねえ。
 アルコール依存症に対する最悪の対応だ。私がそれを責めようとすると通用門が目の前にあっておばさんがにこにこして手を振る。また来てちょうだいねと言う。おばさんの子は、おばさんの弟を憎んでいるから、酒でだめになってうれしいのだと言っていた。私はおばさんを見る。息子の復讐として弟を緩慢に殺しているようにも、ただただ人を甘やかす快楽にふけっているようにも見える。失礼しますと私は言う。