傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

「優雅な生活が最高の復讐である」

 久しぶりにおばさんの家に行くことになった。おばさんというのは叔母さんではなくて、伯母さんでもなくて、赤の他人だ。十代の終わり、ファミリーレストランでアルバイトをしていて、それで知りあった。私は皿を運び、彼女は皿を洗っていた。おばさんの家はほとんどお屋敷といっていいような構えで、私は一年のあいだ、週に一度そこでおばさんの子に勉強を教え、おばさんのごはんを食べた。おばさん親子の部屋は離れで、女中部屋、とおばさんは呼んでいた。息子は小柄で無口で坊主頭の中学生だった。
 おばさんがごちそうをつくってくれたのは私のためで、勤め先のある大阪から来た息子は近くで私と少し話して今日はホテルに泊まるのだという。あの人にはあした寿司食わせるんで、と息子は言った。もう小さくはない。全長や体積は男性の平均を下回るのだろうけれども、骨のかたちも顔つきも物言いもすっかり大人だった。話の流れで、おばさん、なんか可愛いから、と私は言う。は、と彼は発声する。
 私は彼を見る。彼は私を見ない。口だけが動く。なるほどね、可愛いと思わせる必要がありますからね、自分の力で立つっていう発想が端っからない人間だから、あれは、判断というものをしない、旦那にやらせる、旦那が死ねば出戻って弟にやらせる。台詞がいったん途切れる。私はだまっている。彼は私を見ない。今の彼はもちろん坊主ではない。今の若い人らしい髪型をしている。
 あの男の子が坊主だったのはスポーツをしていたからとか、そんなのではなくって、眠っているあいだに自分で自分の髪を引き毟ってしまうからなのだった。母屋の主である彼の叔父は気が向くと彼を呼んで晩酌の相手をさせた。彼は正座してお酌をして話し相手になった。彼は叔父の気に入らなかった。可愛い顔をしていたけれども、女ではなかったし、賢しげで生意気だったからだ。叔父は彼のいろいろを否定することを娯楽にした。その遊びは発展を遂げ、彼は叔父の命令により、鏡に向かって「僕はバカです」と百回言うようになった。鏡の中の目をしっかりと見るのがきまりだった。彼の髪が三分の一ばかりなくなり、まぶたの痙攣が止まらなくなると、「僕はキチガイです」というバージョンが加わった。
 母が叔父に文句を言わなかったのは離れに住んで母屋に庇護されていたかったからで、つまり僕は母に売られたのですが、僕はやさしいので大人になってから年に一度はご馳走してるんです、そうしないと叔父とか従兄弟とかがだめになってる情報が入らないんで。いま叔父はアル中だし、従兄弟はニートです、俺が叔父のおもちゃになってるあいだ本物のおもちゃで遊んでたあいつです。
 従兄弟さんは何もしていないのと私はたずねる。してませんと彼は言う。むしろゲームとかくれた。ナチュラルに偉そうだったけど、ひどいことはしなかった。でも、人格なんか関係なく、従兄弟がだめになればなるほど、俺はうれしくて、詳しい話を聞かずにいられないんだ。湯水のように甘やかされて誰にも踏まれなかったやつが部屋から出なくなって、サンドバックになるのと引き換えに食わせてもらってた俺が一部上場の幹部候補生で美人の彼女持ちだなんてほんとうに愉快で、こんなに楽しいことはないし、だから俺はもっと優雅に華やかに生きなくちゃならないんですよ、先生。
 たとえば従兄弟が天使のようなやさしい子だったとしてもだめなの。尋ねるとだめですと彼は即答する。甘やかされた人間は全員もれなく憎んでます。甘やかされた人間が成功するのは愉快じゃないけど同じ程度の成功なら甘やかされてない分だけ俺のほうが優れていることになるので、見下します。甘やかされた人間が失敗したら最高の気分になります。俺はあいつらを憎んでいます。憎んでもいいと先生は言いました。先生のおかげです、ほんとうにありがとう。
 もちろん覚えている。中学生の彼に、憎んでもいいと私は言った。叔父が憎くていい、それを押しつぶそうとしなくていい、私はそう思う、と言った。けれども、叔父への憎しみを従兄弟にまで広げ、甘やかされたすべての人間に投影し、それを二十代の終わりに至るまでエスカレートさせ続けるのは、どう考えても正しいおこないではない。私は彼に、あの小さい男の子に、起死回生の武器を与えてしまった。ひどいことをされたのだからひどいことをしてもいいのだという理屈を与えてしまった。彼はそこから生まれる力によって成長し、受験を突破し、社会的地位を得て、苦労した母親に美味しいものを食べさせるのだという。私は首を横に振れず、けれどもどうしても、縦に振ることもできない。