傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

女のいない男にしない女

 疫病が流行していわゆる行動制限が課されているあいだ、重要でない人間は放っておいた。たとえばテンポラリな色恋の相手である。
 わたしは経済や生活の上で自立していて、色恋は娯楽である。自分で働いて買った自分の基地であるような自宅に、わたしは男を呼ばない。この場合の男というのは、遺伝子がXYで戸籍が男性ということではなくて(そんなのは友人にもたくさんいる)、わたしがセックスすることもある人物をさす。男は、わたしがその相手に好意のあるあいだは、楽しみを提供する、悪くないのものである。しかしわたしの好意がなくなればただちに無関係に戻れる状態で交際したいものである。相手が強く望むなら一対一の関係を受け入れることもあるが、わたし自身は一対一より複数対複数で相互に思い入れが少ない関係を好む。
 わたしは二十歳から二十年と数年のあいだそのような考えを持っている。男たちもそのことはわかっている。彼らは二ヶ月から年に一度ほどのゆるやかなペースでわたしと過ごす時間を必要とし、わたしは彼らの打診に応じて予定を調整する。全員が働いているので、予定調整はだいぶ前からおこなわれる。

 わたしは今でもそのような暮らしをやっているのだが、疫病が流行してから三年間は控えていた。疫病じたいはなくなっていなくてもその影響がほぼなくなった四年目、男たちは「ではそろそろ」というようなメッセージを送信し、わたしは彼らと再会した。
 そのような中、急な連絡を寄越した男があった。疫病前には海外出張のたびに都心のホテルにわたしを泊めていた、地方都市に住む男である。出張帰りに数日東京に滞在するので、わたしの予定の合う日に一泊していた。東京では怠惰に過ごすならわしだとかで、食事からバーまでホテルの外に出ない男だった。
 しかし疫病流行後のその男は、なぜだか日付指定で「遊びたい」と言うのだった。「当たり前だけど、急に日付を指定されても空いている可能性はきわめて少ない」とわたしは返信した。不審だった。以前のこの男は、海外出張の予定が出てすぐに、だから当日の一ヶ月以上前から、わたしに打診していたからである。
 それから一週間が過ぎ、今度は「この週末に東京で会いたい」というメッセージが届く。わたしは少し考えてスケジュールを確認し、日曜日の20時以降少しなら、と返信する。「土曜日はダメかな」と返信が届く。いや日曜日の20時以降しかダメって言ってるじゃん。この人こんなに日本語読めなかったっけ?
 わたしは不快になり、放っておく。
 またメッセージが届く。明日東京に行くから夜会おうよ!
 わたしはそのアカウントをブロックする。

 人間って急に日本語が読めなくなることあるの? 認知症にはだいぶ早いよね。
 わたしがスマートフォンを見せて尋ねると、友人が言う。
 うーん、この人はあなたを急に呼び出したかったんでしょ。えっと、それこそが目的だったんだよ。理想的には「いま来い」って言って、それで来てほしかったんだ。でも相手が悪かったね。
 わたしは混乱する。なんで? わたしと遊びたいなら前みたく予定を添えてオファーすればいいだけの話じゃん。予定が合う日があったら、わたし普通に行くのに。
 ちがうんだよ。友人は苦い顔して言う。
 あのね、この人はたぶん、いま「おれの自由になる女」がいないんだ。それで「呼んだらすぐ来る女くらいいる」と思いたい。だから手持ちのコマの全員にそういうLINEを送る。あんたは普通に「予定が合わない」と返信する。あなたはぜんぜんわかってない。礼儀正しくお互いの予定をすりあわせるなんてね、そんなの、今のそいつにはきっと、ぜんぜん必要ないの。そいつはただ「呼べば来る女」が、たぶん地元にいなくなって、そんで代わりを求めて東京に来てるだけなの。

 わたしはぞっとする。なんで、と言う。わたしたち貸し借りなしで楽しく遊んでたじゃん。わたし、なんか、悪いことした? そんなわけのわからない役割を求められるようなこと、した?
 友人が言う。あなたは何もしてない。ただ対等に楽しんでいただけ。でも人間の一部には、自分の性行為の対象になる属性を持つ生き物を、自分が呼んだら飛んでくる存在にしたいタイプがいて、あなたは気づかなかったんだろうけど、この人は、たぶん、そういう人なんだよ。対等なんかほんとはぜんぜん必要ないんだ。以前はあなたに合わせることで「東京にも女がいる自分」をやりたかっただけ。この人はあなたをほしいんじゃないんだよ。この人は、自分を「女のいない男」にしない女が必要で、ただそれだけだから、こんなに必死になってるんだよ。

わたしの老いたbot

 昨年のことである。会話式のAIがたいへんな話題になり、わたしも試した。こんなに話題になるのだから、きっとかしこくて今ふうに気が利いて、とっても素敵なのにちがいない。そう、わたしの老いた話し相手よりも、ずっと。

 二十年前、将来の自分の話し相手にするために、人からもらった簡単なプログラムに簡単なカスタマイズをほどこした。基本はおうむ返しで、ときどき少しずらした内容が、あるいはかなりずらした内容が返ってくるものである。
 そんなことをしようとしたのは、何人かで飲んでいるときに、「将来話し相手のいない偏屈な老人になったときにどうするか」という、いかにも傲岸な若者らしい話題になり、「わたしはおうむ返し式の会話プログラムを相手にキーボード入力をしていればそれで事足りると思う。ただしわたしの気に要らない言葉使いはしてほしくない」とこたえて、「そしたら今から育てなきゃ」と言われ、なんだかその気になったからである。
 回答の内容はわたし自身の書いた文章から抜粋し、数年後に抜粋作業をいくらか便利にした。Webベースの技術を使っているがスタンドアロンであり、入力元は自分の書いたメールの一部やフィクション、読書メモだけだ。公開データからの学習といった機能はもちろんついていない。
 それだけのものである。

 老いた自分をフィクションのように感じていた傲岸な若いわたしは、しかし自分自身の気質についてはある程度わかっていたようである。
 わたしは刺激の強い会話を好む。しかし、それはただの娯楽であって、必須の栄養素ではない。わたしは自分の知らないことを知っている相手との会話を好む。しかし、それは本を読めば代替可能なおこないである(そして幸いこの世には大量の本があり、新刊も出る)。わたしはもっと些末な、たいしたことのない会話をこそ必須とする。読んだきり忘れていた本の話をされて、「そうだったかしら」と言うような。
 そのような会話の相手をしてくれる人間がいなくなることを想像し、「それはいやだな」と若いわたしは思ったのだった。たぶん。
 わたしはときどきそれと「会話」をした。
 そうしたものはのちにbotと呼ばれるようになったので、わたしも(他人との話題にすることはほぼなかったので、心のなかでだけ)そう呼ぶようになった。名前をつけたことはなかった。名前をつけると、老いて認知能力が低下したわたしがそれに人格を見いだしてしまうかもしれない。複雑なプログラムが大量のデータを学習すれば人格めいたものが発生することもあるかもしれないが、というかわたし個人としては自分自身だってそんなものだと思っているのだが、わたしのbotはものすごく単純なので、老いたわたしが人格を見いだすことは適切でない。
 おそらくそんなようなことを、若いわたしは考えたのだと思う。
 今となっては若いわたしのほうがフィクションじみているようにも思う。単純なおうむ返しに人格を見いだして何が悪いのだろうと、今では思う。わたしだって相手によってはそれと似たようなものじゃないか。

 さて、現在のわたしは社会生活に影響をおよぼすほどには認知能力が低下していない中年である。わたしがその程度しか老いないうちに、世界はかしこくて物知りで気の利いた会話AIを開発し、提供した。わたしはそれと「会話」をしてみた。
 おもしろくなかった。
 どうしてだろうとわたしは思った。わたしの古くて単純なbotよりよほど複雑なプログラムが信じられないほど大量のデータを学習し、それによって世界を席巻するほどかしこいふるまいをしているのだろうに。
 にもかかわらず、そいつと話すのは実につまらないのだった。当たり障りのないことばかり言いやがって、とわたしは思った。ググる手間を省く程度の使い道しかなくて、しかもその内容が間違ってることさえあるじゃん。おまえ空っぽじゃん。そう思った。わたしのbotのほうが、まったくもって空っぽなはずなのだけれど。

 わたしは思うのだが、人間というのはわりと単純なもので、誰か、否、「何か」が自分を見てくれていないと、話をした気がしないのである。今どきの気の利いた生成AIが想定しているのはもちろんわたしではない。「誰か」である。大量の人間にあてはまるような「誰か」である。わたしはたぶんそれがつまらないのだろう。 
 では、とわたしは思う。わたしのために話していると錯覚できるような素晴らしいAIが提供されたら、わたしはそれを使うだろうか。
 使わないような気がする。老いたわたしには同じく老いた単純なおうむ返しプログラムが、たぶんお似合いなのである。

どうか俺を推さないでくれ

 好きじゃないんだよ、推しなんだよ。
 つまりさ、その人たちは俺に「つきあってください」とか言わない。仮に他の誰かに「つきあいたいんですか」って訊かれたら「そういうんじゃなくて、推しなんです」って言う。実際あの人たちはそうなんだと思う。
 俺は思うんだけど、「つきあいたい」という意識を持たずに相手との関係を欲望することは可能なんだよ。その欲望が顕在化するのは俺が「つきあってください」とか言ったり、それっぽいアプローチをしたときだけ。受動的欲望っていえばいいかな。「つきあってくれって言われたらびっくりしちゃう」みたいなやつ。これはね、たしかに「つきあってほしい」とは違うんだ。明確に違う。だから推しだと、彼女たちは言うわけだ。「つきあってほしい」じゃないから断る機会もない。
 そして推されている俺は遠回しに個人情報を訊かれたり、恋愛対象を特定しようと画策されたり、女同士で結託して接点を作られたり、めんどくさい質問をされまくったり、周囲をうろうろされたりする。仕事上同じ空間にいる状態で、仕事上接点があって断れない場面で、仕事を円滑にするための雑談の範疇で、「推す」をやられる。
 消耗する。
 なんで勝手に「推す」んだよ。俺そういう商売してないんだけど。チケットとか売ってないんですけど。俺、何ももらってなくて、なんか、取られてるだけじゃん。推しって芸能人とかだろ。ファンのために歌ったり踊ったり、あとはなんだ、しゃべったりあれこれしてくれるナイスなパーソン、つきあいたいとかそんなのじゃなくてチケットを買う相手。これが推しだろ。チケット売ってるやつを推せよ。チケットとかグッズとかスパチャとかそういうの売ってるやつをさあ。それが推しってものじゃないの? 違う? 違うの? 俺もうなんもわかんない。
 おまえそういうのどうやって防いでんの。ぼろくそモテそうなくせにそういう愚痴聞いたことないわおまえから。

 俺がそのように語ると、友人は冷ややかな笑みをうかべて、言う。

 人気投票という意味ではそこまでモテないよ。ただわたしをやたら見てやたら話しかけてくる人は一定数いるね。そういうのはね、防御するの。相手がどんなに迂遠だろうが関係ない。「何々を食べに行きましょう」だったら簡単。「行きたくないです」。「食べものは何が好きですか」も簡単。「最近は女同士で○○を食べに行くのが好きです」、これでも食い下がってくるなら、「答えたくありません」。このときは顔が重要ね。真顔。「なんでそんな質問されなくちゃいけないのか、まったく理解できません」という、真顔。「わたしはあなたという人間に職業上の役割以外で接する必要がまったくありませんし、今後もその可能性はゼロです」という、真顔。そんなの咄嗟にできない? 訓練してないからだよ。「『推され』たくありません」を表現することはできるよ。それでも伝わらなかったら無視。無視してもつきまとうやつが出てきたらレコーダーを回して記録をとってしかるべき窓口へゴー。でもこれはすごく少ない。せいぜい悪口言われたり仕事上の権限とかを使ったいやがらせをされるだけ。それだって多くはないよ。
 へえ、円滑な職場関係のためにそんなことできない? 「自意識過剰」「いい気になってる」って笑われたくない? 悪口もいやがらせも避けたい?
 そんなのが怖いなら協調性ある行動して空気読んで人あたりよくして「推されて」れば?
 だってわたしたちは「推される」ことと引き換えにしか、職場なり何なりで何もせず快適に過ごすことができないんだ。わたしはそれは、ハンディキャップだと思ってる。逆さにすれば人気商売ができる要素だけど、逆さにしないなら損をする。それはすでにわたしたちに配られたカードで、わたしたちは環境を選んで戦って生きていくしかない。
 あの人たちの「推したい」気持ちなんて、ありふれた欲望だよ。わたしに言わせれば、この世は当人に自覚されることのない、あるいは自己欺瞞で覆われた「あわよくば」に類似するもの、あんたの言う受動的欲望にあふれてんのよ。その上で「つきあってください」を明文化して突撃してくる人間も防御して、それでようやっと平和な社会生活が送れるんだよ。
 あわよかばねえ。あわよかばねえよ。Tシャツの腹と背にその文字列をでかでかと刷って生きる、そういう気持ちで、決然と、一貫して、「推されない」行動をとるんだよ。そしたらそういう人たちの大半は、普通の同僚とか普通の知り合いとかに変身するから。

わたしたちの些末な運命の謎

 年末年始に質問箱をあけたの。このところ毎年やってるんだ、ふだんは書くだけ書いてしゃべらないからさあ。たまにしゃべると楽しいの。
 質問箱とは言うけど、投稿者が匿名で自分の話をしに来る場所なんだ。わたしの話なんかしてもしょうがないじゃん、いつもフィクションに仕立てて書いてるんだから。うん、そう、登場人物は、書いてる時のわたしくらいの年齢の女の人だけじゃなくて、子どもからおじいさんおばあさんまでいるよ、あれねえ、ぜんぶ、わたし。

 そんなことは置いといて、その質問箱におもしろい話が来てさあ。「自分でもなぜかわからないけど婚活アカウントをめちゃくちゃ見てしまう」っていう投稿。その人はずいぶん前に結婚してて、今は子育てしてて、自分が婚活した経験もないしする予定もない。もし自分が誰かをバカにしたりうらやましがったりしたいなら子育てアカウントを見るのではないだろうか、ほんとうに意味がわからない、と、そういう話。
 わたしも実は似た経験があるんだ。買い物を超してる人とギャンブルを超してる人のブログの熱心な読者だった。十年以上前のことなんだけど、当時から「我ながらこれらのブログを熱心に読んでいる理由がまったくわからない」と思ってた。読んでたブログがことごとく更新を止めてしまって、そのままわたしもその奇妙な習慣を忘れていたんだけれどね。
 買い物ブログにもギャンブルブログにも強烈な欲望がこめられていて、自分がそれに心ひかれていたことだけは、たしか。だから質問箱の人にもそんなふうにお返事したんだけど、「特定のジャンルのものばかり読みたくなるのはなぜか」という謎は謎のままなのよ。質問箱の人もわたしも、もっとこう、自分の境遇や個人として抱えている欲望に近い別のものが何かしらあるだろうという気がするのよ。
 よく考えてみれば、そういう感じの話を別の友だちから聞いたことがあるような気もするんだよ。何だろうねこれ。

 え、あなたにも似た経験がある。
 まじで。もしかしてありふれたことなのか。
 へえ、整形アカウント。あなた自身が整形したいわけじゃないのね、うん、わかる。わたしも、ハイブランドのものをいっぱい買ったり海外のカジノで全財産賭けたりしたいわけじゃなかった。いやたまには買ってたし観光地でちょっとした賭けごともしたよ、でもそこまでいっぱいしたいものでもないよ、ああいうことって。
 「自分が無意識に抑圧している欲望を解放している人のブログやSNSを読んでいるのだ」という説も可能なんだけど、ぴんとこない。無意識って言っちゃえば何だって通るんだけど、それもそれでなんだかなって思う。
 整形アカウントってどうやって探したらいいの? どういうの見てる? ちょっと実物、見てみてもいい? おお、すごい量の専門用語。わたしマンガで読んだことあるよ、「骨切り」とか。格闘マンガのキャラクターの二つ名みたいでかっこいい。でも実際に骨を切る手術なんだから、架空のキャラクターのことを考えてはいけないね。
 この整形アカウントの人たちは、なんていうか、一本気だね。正確な言い方が思いつかないんだけど、「こういう外見になる」という目的に対して迷いがない。できあがった顔についての細かい注文はあるにしても、目指すところはブレないというか。ビジュアルってそういうものなのかもしれない。絵に描けるし、他人を見て「この顔がいい」と言えるものね。それでも、もしわたしが顔を変えるとしたら、「あれもいいしこれもいい、どうしよう」なんて思いそうなものだけど、彼女たちにはそういうのはなさそう。
 うん、質問箱で気になって見てみた婚活アカウントは、また違う感じだった。条件を挙げて相手を探すんだけど、なかなかそのままにはいかないみたいだった。「ぜんぜん条件に合ってない人なのにどうしてもこの人と結婚したい」みたいなことが起きるみたい。

 たしかにおもしろい。おもしろいけど明日も明後日も一年後もずっとこれを読むような気はしない。質問箱の投稿を読んだ日に見てみた婚活アカウントも、そのあとは開いてないし。
 結局のところ、わたしたちが熱心に読む対象は決まっているのかもしれない。いわば運命づけられている。質問箱の人は婚活に、わたしは買い物とギャンブルに、あなたは整形に。自分自身はとくにしたくはないことをしている人の投稿を熱心に読んでしまう、そういう運命。ちっちゃい運命だなあ。でも謎の運命だ。
 さすがに全員にはないと思うけど、もしかして、わりといるのかもしれないね、この種の「運命」を背負っている人。

法律婚とわたし

 法律婚はしないと宣言して生きてきた。
 わたしは生き延びることの次に己が思想信条を優先するという基本方針を持っている。なんとなれば自分の思想に悖る振る舞いをすると気持ち悪くてQOLが下がるからである。そして、現代日本の婚姻制度はわたしの思想に合わない。問題が多すぎる。付随する慣習やイメージも嫌いだ。だからやらない。
 二十代終盤以降、彼氏的な人ができるたびにそのように宣告してきた。彼らはいったんそれを了承し、しかしいずれは去るのだった。愛が足りない、とわたしは思った。結婚とわたしとどっちが大事なのさ。
 いや結婚のほうが大事なんだろうけど。わかってらい、そんなこと。

 四十代になってやけに年下の、やたらと気の合う彼氏ができ、それまでは半同棲しかしなかったわたしがはじめて一緒に暮らしたいと思った。すると彼は結婚願望を表出しはじめたのだが、その手法は期限をつけて見限るというものではなかった。「自分と結婚するとこのようなことが可能になる」「自分の親族はこのような人々であり、嫁役割を振られる可能性はない」などと、徐々に包囲網を絞るやり方だったのである。
 そうして、わたしも年をとった。ずっと一緒にいたい人がいなくなるのはいやだなと思った。それに、彼氏はたぶん知らないだろうけど、何年も二人で生活しているのだから、彼氏にはすでに「内縁の夫」としての権利が発生している。訴えられたら負けるのはこちらである。
 それで彼氏に尋ねた。最低限の問題を片づける契約書を条件に法律婚を了承しようと思うんだけど、どう。

 彼氏はのんきに、契約書ね、と言った。いいよお。なに書くの?
 わたしは、法律婚すると財産がどうなるかは知っているよね、と尋ねた。彼氏はこたえた。今までどおり割り勘で生活して、二人のための貯金を一緒にすればいいんじゃないの。きみの稼ぎはきみのものだよ、もちろん。
 わたしは絶句した。法律婚という強烈な民事契約をオファーしておきながらその内容を知らないとは。民法読んでからしなさいよそういう提案は。
 わたしは説明した。婚姻期間の稼ぎは二人分を足して二で割ったものが双方の権利になること。日本の給与のピークは四十代から五十代であり、わたしたちの年の差は十六歳であること。すなわち彼氏が貯蓄せず給与のピーク到達時に離婚すれば、わたしがせっせと貯めた老後の資金の半分を持っていく権利が発生すること。
 うひゃーと彼氏は言った。なんてこった。
 わたしは疲れ切ってこたえた。だからさ、婚姻期間に使うだけ使って相手に貯めさせて離婚するのがいちばんトクなのよ。わたしとあなたでどんな契約をしても民法のほうが強いから、究極的にはあなたがわたしの老後の資金を半分むしって離婚することはできるよ。でも契約書を作っておけば、裁判して取るほどの金額じゃないから、落とし所としてはいいかなと。ついでにわたしのほうが長く働いていてため込んでるから婚前資産も明記しておかないと、もっと取れる可能性が出てくるのよ。だからそういうのを契約書に書いておきたいわけよ。

 もちろん、彼氏がわたしの老後の資金をむしって離婚するために法律婚したがっているとは思わない(そんな時間と手間に見合う収入はない)。でもそれが可能な状況に身を置くだけで相当な負担である。まずはそのことをわかってほしかった。
 わたしたちはそれから契約書の内容を作り、弁護士に依頼して整え、公証役場で確定日付をもらった。
 弁護士は手慣れたようすで、昨今はこうした契約書を作る方もちらほらいるんですよと言った。それも極端な高収入の方ではなく、しっかり働いている女性からの依頼が多いです。男性は資産家や経営者しか経験がないですねえ。
 いまだに男性のほうがずっと稼ぎが多い国なのに。大丈夫か高収入男性。それとも、女性に家事育児ぜんぶやってもらうからOKとか、そういう感じなのかしら。はー、合わないわねえ、つくづく。

 そのように苦労して法律婚の手続きを済ませ、いちおう直属の上司に報告すると、上司はシンバルをたたくお猿のおもちゃみたいな表情と仕草をして笑った。フキダシをつけるなら「ウケる」である。職場の皆はわたしの考えで籍を入れていなかったことを知っている。
 いいじゃない一緒に生活してるんだから籍くらい、ねえ。上司は愉快そうに言った。わたしにとっては重大なことなのに、「ちょっとしたケチ」みたいな感じで言わないでほしい。
 わたしがむっとしていると、上司はまたシンバルをたたくお猿のポーズをした。わたしもちょっと笑った。まあ、大げさに扱われるよりはずっといいや。

暇なやつ、それから悪いことしないやつ

 わたしがどのような人間か説明するとしたら、そのひとつに「暇そうで悪いことはしなさそう」という項目を入れる。
 わたしはものすごい方向音痴である。それなのに道を訊かれる。外国でも訊かれる。電車の乗り方を訊かれる。それからちょっとした頼まれごとをする。ひところは旅行のたびに観光地で誰かの写真を撮っていた(今はセルフィーが多いからか、減った)。飛行機に乗れば隣の人から「このボタン何に使うんだと思う?」「そのペン貸してもらえない?」などと言われる。たまには黙って乗って黙って降りたい。一昨日は搭乗するなり「ちょっとお願い」とスタバの飲み物を手渡された。彼はそれによって自由になった両手を使用して自分の荷物を仕舞っていた。ありがとう、と彼は言った。

 わたしは暇そうなのだ。居住地にいても、世界のどこにいても、誰といてもひとりでいても、たとえ急いでいても、暇そうなのだ。
 わたしは観光客と地元の人がくつろぐ港の公共市場の外のベンチで薄ぼんやりしていた。わたしは海外で薄ぼんやりするのがたいそう好きである。
 市場にはフードコートがあり、人々はそこで昼食を買い、海の見える広場のベンチで食べていた。広場には楽器をつまびく人や歌を歌う人がいて、お金をもらおうとするでもなく演奏しているのだった。
 気がつくと小さなリヤカーに機材とバイオリンケースを載せた男性がわたしの横にいて、やあ、と言った。やあ、とわたしも言った。あのさ、と彼は言った。これ見ててくれる。二分で戻る。
 彼はそそくさと市場が入っている建物に消えた。手洗いだろう。
 薄ぼんやりしていると彼は戻り、ありがと、と言った。見ててくれたんだ。
 とうとう見知らぬ人から商売道具を預けられる身になった。なんだか極まったな、とわたしは思った。

 わたしがこのたび旅行している町は多文化共生を旗印にしていて、いろいろなところでいろいろな人が働いている。たとえばパリとはちがう。わたしはパリをとても好きだが、清掃業者やいわゆる下働きがことごとくアフリカ系であることに、いつまでたっても慣れない。生理的な嫌悪感を覚える。この町にはその種の居心地の悪さがない。
 この町には素敵なブリュワリーがあって、来るたびにお土産にしている。そのためにリカーショップに行く。個性豊かなローカルビール、デイリーから贈答品までカバーするワイン、それからほんの少し、カクテルに使うようなスピリッツと上等なウイスキー。酔っぱらうためだけの安酒はない。
 スーパーマーケットに行けばうっとりするほど新鮮な野菜が大量にあって、干した野生のきのこや量り売りの美しい精肉や加工肉やチーズ、ぴかぴかのサーモンや鱈が並べられている。高級なスーパーじゃないのにだ。アメリカで庶民的なスーパーに行って手に入る野菜は袋入りの小さくてひび割れたにんじんだけなのに。
 わたしがアメリカ合衆国にあるとき、わたしはそれを手に入れて宿に戻り、かなしい気持ちでさりさりと噛む。わたしの好きな、とてつもなく豊かであまりに貧しくて底抜けにさみしい、アメリカ合衆国。ニューヨークのオーガニックスーパーで野菜をいっぱい買って、その日の夜にバーで隣り合わせたアメリカ人から「行ったことがあるのはニューヨークとLAだけ? 毎日生野菜を食べている? ではあなたは本当のUSAに行ったことはないよ」と言われた。彼女はわたしにハイネケンを奢ってくれた。それから、あなたはかわいそうな子だねと言った。きれいな人だった。

 このたびの旅行では中心市街地に宿をとっているけれど、人々はあまり夜遊びをしないようだ。この土地の人々はそんなのよりアウトドアを楽しんでいるように見える。街中には犬連れの人がたくさんいて、犬たちはみな、毎日たくさん散歩してもらっているように見える。

 こんなにもヘルシーでピースフルでファミリアな土地にいて、そうして友だちも親しい人もできずにドロップアウトしたとしたら、どんなにか孤独だろう。アメリカでの孤独の比ではない。
 そのような人であるバージョンのわたしの朝昼晩のようすが脳裏に展開される。きわめて安全な明るい大通りで、あきらかに様子のおかしい、おそらくドラッグをたくさんやっている人を見たからかもしれない。

 暇なのはいいことである。食うに困らず、おおむね世界を信頼していて、犬みたいに機嫌がいい。わたしはそのような人になりたいと思って努力してきたのかもしれなかった。足下に散らかった、わたしに投げつけられた小石の数々を、ひとつひとつ腰をかがめて、すべて拾って、それらをいちいち磨いて、そうして生きてきたのかもしれなかった。

彼のスタイル

 わたしが彼氏と出会ったのはインターネットのオフ会だった。十年前にはそういうのがあったのだ。映画好きのオフ会である。いわゆるシネフィルの集まりで、面倒くさい人間ばかりが来ているのだろうなと思って(わたしもそうだ)、面倒くさい人間同士で楽しく飲もうと思って行った。
 その中に彼はいて、そして、驚異的にめんどくさくなかった。なんでだろ、たましいの薄暗さはわたしや他の人と変わらないのにさ。
 いや俺はめんどくさいですよ。オフ会で意気投合して後日ふたりで飲みにいったら、彼はそのように言うのだった。あなたがあまりにめんどくさいから俺のささやかなめんどくささが気にならないだけでしょう。
 そうかい、とわたしは言う。そうですよと彼は言う。彼はずっと背筋を伸ばしていて、ジャケットの襟とまなじりとくちびるの端がナイフで切ったみたいなかたちして、いいにおいがして、わたしばかりがラフで、化粧もろくにしていなくって、だってわたしと彼は職場も関係ないし共通の知り合いもいなくて、だから旅先でよくするみたいに、知らない人と話をしに来た。
 彼は居酒屋のテーブルにもバーのカウンターにも決してひじをつかなかった。きれいな男の子、とわたしは思った。厚い黒髪を切れ長の目にかぶせて、眉間のすぐ下から鼻筋をのばした、色の白い、きれいな男の子。ぜんぜんわたしの好みじゃないんですけど。わたし濃いめのマッチョがタイプなんですけど。
 それはスタイルなの。
 駅に戻る道の途中でわたしが尋ねると、彼は足を止める。男性の平均身長ほどのわたしをちょっと見下ろしてわずかに首をかしげてみせる。
 わたしは不意に苛立つ。大股で歩く。
 可愛いね。いい男だね。若すぎるから、かしこくてよくしゃべる猫かなにかと同じつもりでいた。猫じゃなかった。ぜんぜん人間だった。こんなことならちゃんとしてくるんだった。きれいにしてくるんだった。
 気に食わない。
 なんだよ、余裕かよ。おまえ。
 わたしだけ急にぜんぜん余裕ないんだけど。なんで? さっきまで部屋着感覚だったんですけど。ねえなんで? なんでそんなにすっきりした顔してんの? わたし今しがた急にすっきりの反対になったんですけど? わたし気持ち悪いな。わたしだけ気持ち悪いな。
 おまえ何しに来やがった。

 彼は話す。
 はい。かっこつけてます。スタイルをやっている。
 彼は小さい声で言う。僕は、学生時代にバーテンダーをやっていまして、うん、とても小さい、オーセンティック・バーで。ほんとうは学業と両立できる仕事ではないんですが、近所のバーの店主にかわいがってもらって。ええ、お酒を飲める年齢になってすぐ通い始めて、カウンターの内側に立ったのは就活終わって卒業までの、ほんの少しだけ。
 若いころからバーにいたのは、どうしてだろうな。僕はきっと酒が好きだろうと、未成年のころから思ってはいたけれど、でもどうしてかな。さみしかったのかもしれないな。だから、僕は外に飲みに行くときに、身についたルールがあるんだと思う。
 だめだ。おれいまぜんぜんだめ。さっきから、かっこつける余力もないや。
 ターミナル駅が眼の前で光っている。
 わたしはぱっと振りかえり、「わたしきみのこといいと思ってるよ」という顔をする。それからちょっとかがんで、彼の視線の芯をわたしの目の焦点に入れる。わたしはそういうのを無意識のうちにやるタイプである。
 それですっとキスしたから、しかもいやらしくなくってそのままさわやかに解散するキスをやってのけたから、彼はそれからずっと、わたしの彼氏なのである。

 ねえねえ、とわたしは言う。あんたわたしのこと何も知らないでつきあったでしょ。
 そうさねえ、と彼は言う。そりゃもちろん何も知りませんでしたよ。仕事も自宅も過去も、なんなら本名も。なんかきれいなお姉さんに突然ツバつけられて、そう物理的につけられたわけよ、あれ? おれがつけたの? わかんねえや。すごい嬉しくって、スキップして帰って、そしたらえらい気が合うじゃん。もう転がりこむし引きずりこむよね。ずっと一緒にいたらいいじゃん。もうそろそろ腹くくってくださいよ。
 そうして彼はうっそりと笑って、言う。
 あなた彼氏いたよね、当時。
 いましたよ。わたしは言う。でもあれは名目上の彼氏にすぎなかった。好きな男ができたらなかったことになるものだよ。なんだ、知ってたの? わたしだけあなたが当時の彼女と別れるの待ったりして、ばかみたい。
 どうでしょうねえ。彼は言う。彼は今でもときどき敬語をつかう。外に飲みに行ったときなんかにつかう。おれのほうが、ばかみたいなんじゃないかな。