傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

羽鳥先生の静かな正月

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来、盆正月恒例の集まりは基本的にオンライン、ときどき対面というぐあいになった。
 恒例の集まり、といっても親戚づきあいではない。大学の先輩後輩三名の集まりである。同業で気心知れていて職場が別なので、情報交換に適した人選なのだと思う。いつかの集まりで僕がそう言うと、メンバーのひとりから「ただ友だちなだけでは?」と言われた。そうかもしれなかった。
 ただ友だちなだけで盆正月に会うのはおかしいと言われたことはあった。電話をかけてきて帰省の日程を尋ねた母に「その日はこういう予定があるので」とこたえたらそう言われたのだった。僕は自分の振る舞いが一般的でないと自覚しているので、「わかりました」とこたえた。そうしてそれ以来よその人に盆正月の予定を訊かれたときには「その日は仕事の都合で」と答えている。

 僕の帰省は半ば以上、弟のためにしていることである。
 僕は故郷に帰りたいという欲求を持っていない。地元の友だちもいない(そもそも友だちが一桁しかいない)。愛着というようなものがもしもあるとするのなら、東京の一人暮らしのマンションと、長く勤めている職場にある。でもそれもたいした愛着ではないように思う。
 両親や弟と仲が悪いのではないが、だからといって毎年会いたいかと言われればそうではない。同じ家に住んでいたときから、その感覚は変わらない。たぶん生まれつきそばに人がいることがあんまり好きじゃないのである。もちろん誰かと家族になりたいという欲求もない。四十代半ばの今まで一度もそう思ったことがない。なんならマンションの隣の部屋に知らない人がいるのがうっすらストレスである。だから常に角部屋を借りている。
 正月の帰省は親戚が集まる日に合わせている。僕の生家は交通の便のよい場所にあるので、昼前に着いてその日の最後の新幹線で帰る。そうすればよその家(実家だが、感覚として)に泊まらなくてよい。最終に間に合わないときはホテルを取る。

 弟は僕とは違う。友達がたくさんいる。地元の大学を出て地元の優良企業に就職して三十手前で結婚して子どもを二人持ち、実家からほどよい距離に家を建てて住宅ローンを繰り上げ返済している。
 すごい。僕はそういうのぜったいできない。
 十年ほど前、僕がそう言うと、弟は苦笑した。兄貴はねえ、できないというか、やりたくない、そしてやたくないことが絶対にできない、そういうタイプ。殺すって脅されたら少しは俺みたいな人生ルートをやれるかもわからないけど、うーん、できなくて死ぬかも。でもいいじゃないか。兄貴は立派だよ。たまに親に息子自慢をさせてあげてくれたら、あとはこっちのことは何もしなくていいよ。なに、兄貴にはたいした肩書きがあるから、多少変人でも、正月に顔を見せるだけで「立派に育った」「あの子は昔から秀才でお行儀がよくて」ということになるから。
 弟がそのように言ってくれなければ、僕は親戚の中での自分の立ち位置さえわからないのだった。
 そんなわけで僕は談笑(としてパターン化した行為)をしながらご馳走を食べているふりをする。食べたくないときに食べることは嫌いなのでふりである。酒は飲みたくないので飲まない。ときどき酒食を強要されそうになるので台所に逃げて皿を洗う。以前は男が台所に来るなと伯母に叱られたものだが、今はなあなあである。
 幼い親戚のひとりが大きな声で電車のアナウンスを再現しながら歩き回る。その子の母親が慌てて彼を連れて部屋を出る。僕の隣の伯父がつぶやく。あいつ治ってないんだな、頭がおかしいのが。

 頭がおかしいのではない。状況のランダムさに耐えられなくなると、自分が好きで知っているものを再生して安心したくなるのだ。とても人間らしい心のはたらきだと思う。僕は黙って窓の外を見て通り過ぎる車のナンバープレートの数字を足し算していたから、誰も問題にしなかっただけだ。
 伯父さん、と僕は言った。ああいうくせは僕にもありましたよ。そんなにおかしなことではないです。まわりの人がびっくりしないように振る舞う訓練をしているところだと思いますよ。頭はおかしくないです。
 叔父が僕を見る。どう答えようか考えているようだ。僕はもう一度、今度はちょっと気弱な子どものころみたいな気持ちで、言う。頭がおかしくはないです、伯父さん。

 帰省の翌日は例の先輩後輩との集まりだった。今年はオンラインである。その中で「こんなことがあった」と話すと、彼らは手放しで僕を絶賛した。まあ、褒めてくれると思って話したんだけど。

敏感な世界に生きる鈍感なわたし

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではリモートワークが定着し、勤務先の人々の顔を見る機会が減った。社内に物理的に存在する人間が少ないために、数少ない対面が密室化しやすくなった。そうして、その中で重大なハラスメントが発生したために、上司と部下等の個別面談に関するガイドラインを作成するはめになったりした(わたしが)。
 わたしはハラスメントや労働問題の専門家ではない。まったくないのだが、「あの人にやってもらおうよ、人権とかめちゃくちゃうるさそう、もとい、詳しそうだから」という偉い人の一声で担当するはめになった。それ全部言うの、正直すぎやしませんか。最後のだけでいいでしょうよ。
 わたしがそう言うと、偉い人は「僕だって心の声を全部出したりしないもーん」と言った。
 本音を言うと、小うるさいガイドラインを作って誰かに嫌みを言われたりしても、あなた、ぜんぜん気にしなさそうだからだよ。若い女性部下と二人きりになりたがるおじさんたちに憎まれても、どうってことないでしょう。なんかひどいこと言われたら録音して僕のところに来るでしょう。

 そのとおりである。わたしは自分が若いころ、当時の上司に面談と称して長時間密室で社外での「つきあい」を強制されたとき、「録音します」と言い、そのあと別部署に飛ばされた履歴を持つ。そこでわたしを拾ったのが、このたびわたしにガイドライン作成というイレギュラー業務をぶん投げた偉い人である。
 わたしには社会性がまるきりないのではない。少なくとも自分ではそう思っている。ハラスメントを容認する・しない、どちらが自分にとって不利益が少ないかを天秤にかけ、より少ないほうを取っているだけである。別部署に飛ばされるより、何なら辞めさせられるより、容認するほうが心理的に負担で、自分にとってより損だった。それだけである。その後もずっとその方針でやってきた。
 わたしは同業他社の前例を調べてちゃちゃっとガイドラインを作り、偉い人は意気揚々とそれを全社に申し渡し、わたしはいくつかの嫌みを言われた。録音はしなかった。たいした内容ではなかったからである。わたしが新人だったころから二十年、世界は変わった。「人権振りかざすババア」にたいしたこと言えないんだよな、もう、みんな、少なくとも、うちの会社では。
 そういう潮目を見ている段階で、わたしの社会性はゼロではない。ゼロではないが、やはりわたしは鈍い。強いのではない。鈍いのである。他人が気にすることが気にならない、その確率がやたら高い。

 そんなだから敏感な部下の気持ちがわからない。わたし、敏感なんです、と本人が言わなければ、その人が敏感だと自分を認識していることにも気づかなかっただろう。
 そうですねとわたしはこたえた。わたしが鈍すぎるので、すみません、と言った。その部下は少し黙って、いえ、わたしが特別に敏感すぎるんです、と言った。
 しかしわたしの目には、その部下の敏感さは特別ではなく、典型的なもののように見えた。自分の周囲の人の目、人の言うこと、人の評価、そういうものをとても気に病む。そして気に病んでいる時間が長く、気に病んでいる対象との問題解決に使用する時間は短い。採用する問題解決は当人同士の話し合いではなく、密室で第三者(たとえばわたし)に訴えかけるというものである。
 わたしが知るいくつかの例にかぎるのだが、その種の「敏感な人たち」は密室と権力者が好きである。部署内で権力を持つわたしと二人きりで、部内の別の人との関係について語りたがる。気にしている相手本人とではなく、オープンな場ででもなく。そうして彼らが訴える内容は、「人権にうるさい」わたしにとってもハラスメントとは言えないものである。
 せっかくガイドラインを作ったのに、そこに「特段の事由がなければ、面談は複数でおこなう」「特段の事由があると判断した場合も、別途記載の担当者に面談を実施する時間と場所を予め知らせてからおこなう」と書いたのに、読んでくれていないのだろうか。
 そう尋ねると部下は「読みました」とこたえた。読んだけれど自分は該当しないと、そう思っているのだそうだ。

 どうしてだろう。
 どうして「敏感な人たち」は自分をデフォルトで特別な存在として扱うのだろう。特別扱いを当たり前のように要請するのだろう。

 その部下は特別ではない。だからわたしは、その問題は会社やわたし個人が解決する性質のものではないですと言う。

 わたしは密室を出る。わたしは息をつく。わたしは、プライベートの特別のときを除いて、密室を好きではない。 

成長は自動で訪れない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。
 それでも学生たちの生活に影響が出ないはずはなく、休学や退学は増えている。わたしは学校事務をやっているのでその増加が如実に感じられれる。多くがお金の問題で退学せざるをえないので、わたしも一緒に悲しくなってしまう。
 その中にはびっくりするようなケースもある。

 除籍でいいんだと言っています。わたしはそのように報告した。
 この前の保護者、学生が学校に来なくなったのに面倒見なかったのはどうしてかって怒ってたお母さま、学費払わないって言うから、そうすると除籍になって、今まで取った単位も認められないし、名誉なこととはいえないと思いますよとご説明して、そしたら「除籍は納得がいかない」と繰りかえしていらしたんですけど、事務的な対応に終始していたら「このままでは除籍になると担任の先生に伝えてほしい」というようなことをおっしゃいました。
 担任の先生はわたしの話が終わるのを待ってふうとため息をつき、伝えた、とだけお返ししておいてください、と言った。わたしは話しません。担任教師が保護者に対応する範囲を超えています。

 この先生はふだんは人情派である。今回の保護者が最初に電話してきたときには、なんと一時間もつきあっていた。横で聞いていてもその辛抱強さに感心したものだ。
 それが今回は「話さない」と言う。労を惜しんでのことではないだろう。校長先生が「ここから先は事務的な対応を」と指示したからだろうか。
 わたしがそう尋ねると、担任の先生はそれもありますけど、とつぶやき、それから言った。あのね、それ、いわゆる試し行為ってやつです。そういうのに乗っても何もいいことはないんです。

 試し行為というのは、相手の情愛が自分に向いていることを確認するために自分の危機を示すようなことです。あれですよ、ほら、恋人に「別れるなら死んでやる」って言うみたいなの。自分を人質に取って相手の情愛を確認したいというか、自分が望むリアクションを獲得したい、そういうやつ。
 わたしそういうのって年とったらおさまると思ってたんです。実際聞かないでしょう、十代二十代でそういうことしてた人が、四十五十でまだやってるケース。わたしの友達にも、彼氏ができるたんびにそういうことする子がいたんだけど、あるときすっとなくなった。年とるとけろっとなくなるもんだなーって、感心しちゃいました。
 でもその友達は、恋愛以外のところで成長していたんです。彼女の場合は仕事をする中で人の面倒を見ているうちに、人間が練れてきたのね。自分にばかり関心を向けなくなった。男の人にしがみついてあれしてこれしてと言わなくなったし、認めてほしいばかりに「尽くす」こともなくなった。そうすると彼氏や結婚相手ともうまくいくのよね。そりゃそうよね。
 その精神的な成長や成熟は彼女の試行錯誤と努力のたまものなんです。自動的にやってきたものではない。

 成熟しないまま四十、五十になるとしましょうか。何十年ものあいだ「○○してやる」と脅せば聞いてくれる恋人や結婚相手をキープするのは難しいでしょう。だからね、別の相手に、別の場面でやるの。昔なじみの友達にこう言えば心配してもらえる、自分の親にこう言えば必死になってもらえる、というように。そういうことしてるとまわりからどんどん人がいなくなるんだけど、でもやっちゃうの、そういう飢えた心のままだと。
 あのお母さまの場合は、「おまえたちのせいでわたしの娘が不幸になるぞ」「それがいやならわたしの機嫌を取りなさい」と言っているの。
 あのお母さん、お金ないわけじゃないのよ。娘が除籍になるのを止めるためにわたしたちから連絡してお願いするのを待っているのよ。たぶんそうなのよ。

 先生はそこまで話して、わたしの顔を見た。わたしは信じられなかった。だって、とわたしは言った。自分じゃなくて、娘さんを人質に取っているじゃないですか。そんなのひどいじゃないですか。
 ひどいの、と先生は言った。娘のせいではないからと思って、相手をしたくなってしまうでしょう。あの人、おそらく自覚はしていないけれど、娘を人質にしたほうが有効だと、どこかでわかっているんじゃないかな。
 わたしが黙っていると、先生はちょっと笑って、ただの想像ですよ、と言った。

やさしさの出力調整

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。実習なしには成り立たない分野であり、いわゆるエッセンシャルワーカー(疫病後突然人口に膾炙した語である)を育てる場でもあるからだ。
 わたし自身はその分野を勉強したのではないし、資格も持っていない。学校事務をやろうと思って就職先を探したら採用してもらったのだ。

 対人サービスで窓口業務があるところには必ずヘビーなクレームが発生する。何をどうやっても発生はする。できるのは減らすことだけである。
 今回わたしが対応したケースはどう考えても防げるものではなかった。
 学生が学校に来なくなると、事務が取りまとめて学年担任の先生に通知する。先生はたいていその前に把握しているが、ともあれ先生は学生にメールを出したり、電話をかけたりする。それらのうち一定の学生は連絡をすべて無視する。
 この事態が続くと、教員側と事務側の双方で、保護者(たいていは親)への連絡が検討される。一人暮らしの学生なら健康なども心配になってくる。とはいえ、学生によっては親に連絡されるとたいへんなことになるので、一律同じ時期に連絡するわけではない。世の中には学生の奨学金を取り上げるようなとんでもない保護者から逃げてきた学生だっているのだ。
 今回のケースでは早い段階で担任の先生が保護者に電話をかけていた。入学時提出の書類に書かれていた、学生のお父さまの携帯電話番号である。先生がかけても出なかったとのことで、事務からもかけた。やはり出ない。
 さらに時が過ぎたが、その学生は学校に来ない。本人も保護者も連絡に応じてくれない。このままでは留年は確実だし、一留で済まない可能性もある。ここまでくるとわたしの職場では書面を送る。
 するとその学生のお母さまから電話が入った。そう、お母さまは何ひとつご存知なかったのである。自分の娘(女子学生である)が学校に行っていないことも、学校が本人や父親の携帯電話に電話をかけていたことも。

 お母さまの言い分はこうである。
 娘が学校に行っていないのに放置していたとはなにごとか。本人に連絡したというが、いつ誰がどのように連絡したのか。連絡に応じられない気持ちになっていると想像しなかったのか。学校に行けなくなった原因について調査したのか。もっとずっと早い段階で、両親の双方に連絡があってしかるべきではないか。学校に行ってもいないのに学費を支払えとはどういうことなのか。
 ところが、「学生対応についてのデータを開示せよ」といった要求をするつもりはないのだという。つまり、要望あっての電話ではないのだ。感情の問題なのである。まあそうじゃないかとは思っていた。
 こういう人はいる。
 大きなできごとがあって自分の感情を処理できなくなったとき、他人にそれを委託しようとするのである。親しい人と話したり海に向かって叫んだりするなどして落ち着き、要望をまとめてから電話してほしいのだが、それをすっ飛ばしてしまう。そして電話口で延々と話し、泣き、怒り、また話す。
 わたしの経験則によれば、こういう人の90%は話せば落ち着き、その後も話はこじれない。5%はぜったいに納得しない。残り5%は一度落ち着いて電話を切るが、その後何かのきっかけでまた感情を昂ぶらせ、電話をかけてくる。

 このお母さまが90%の人でありますように、と思いながら電話を切った。
 一週間後にまたかかってきた。最後の5%のケースだったか。

 「担任に出席状況等について問い合わせたい」というので先生につないだ。案の定、内容は実際には出席のことではなく、わたしの時と同じであるようだった。
 わたしと先生は顔を見合わせた。あのお母さま、「問い合わせ」二回じゃたぶんおさまらないな。

 わたしの勤め先は小さい学校なので、校長がそこいらにいる。わたしと担任の先生で連れだって校長をつかまえ、今回のケースについて相談した。
 うんそれはね、もう慰めなくていいよ。校長はそう言った。次かかってきたら録音して「事務的」な対応して。

 二人とも、その人にやさしくしてくれてありがとね。でも、そろそろ、やさしさの出力を絞るタイミングだね。
 あのね、そういう人って、「こんなにつらいんだからまたなぐさめてもらわなくっちゃ」って思うの。二回ゲットしたものは三度も四度も手に入ると、どこかで思ってる。だから「問い合わせ」の名目がギリギリ立つうちに、「もらえない」前例を作らなきゃいけないの。

愛されずに育ったが、人生に支障はない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。
 ああ、人がいっぱい死ぬんだ。そう思った。

 わたしは平凡な人間である。当たり前に大学を出て当たり前に働いている。
 そうしてわたしは退屈していた。わたしは本を読みすぎたし、人々の言うような良い場所に行きすぎた。そしてそのすべてに退屈していた。

 わたしの母親は男の子が欲しくて子どもをいっぱい生んだ。四人目までぜんぶ女だった。今の若い人の言うところのガチャである。子ガチャ。
 五人目にようよう男の子が生まれた。わたしが四歳のときである。
 なぜそんなことをしたかといえば、母は無力で、そしてとにかく男が好きなのだ。男というものを見る目が非常に熱心で、女というものはだいたい視界から外れている。

 母は父を愛していた。
 それはそれは深く愛していて、よくお仕えしていていた。
 母は美しい女だった。盆正月に集まる親戚はみんなそう言った。やけに鼻の高いくっきりとした二重まぶたの、「ばあさんが進駐軍に体売ってた」と陰口たたかれた、そういう顔面である。白くて肌理の細かい皮膚、細長くてまっすぐの脚とでかい胸、たっぷりとなびく髪、そうして何より、いつも笑顔でかわいい声の、美しい女。
 そのほかに何もなかった女。

 母にはものごとを考える能力がなかった。
 わたしは七歳のときにそのことを理解した。わたしの母親はわたしの知るかぎり「えらそうでカネを持っている男に媚びる」以外のことに人生を使用したことがなかった。ものを考える能力がないと与えられたルールをそのままやるしかないんだな、とわたしは思った。
 母は自分が産んだ子に対しては(だいじにだいじに育てている男の子でない、はずれくじの女でも)、多少は頭をめぐらせるヒマがあったらしく、わたしはだいぶなじられた。
 あんたはお母さんをバカにしている。
 母は繰り返しそう言った。わたしはほんとうに母をバカにしていたので、黙って床を拭いていた。

 父はわたしをブスと呼んだ。おい、ブス。ブスがくせえな、おい。名前を呼ぶこともたまにあった。でもそれは嬉しいことではなかった。風呂で背中を流せ、簡単に言えば「脱いでちんぽしゃぶれ」という意味だからである。わたしはそんな母みたいなことはぜったいにやりたくなかったので、配膳するときも酌するときも風呂に呼ばれるときも椅子を手に取れるところに陣取っていた。ダイニングの椅子、リビングのスツール、風呂上がりに父が溺愛する祖母の座るための椅子。
 椅子は軽くて手に取りやすい腰高で脚を持ってひっくり返して相手の脳天にたたき落とせば子どもが大人を殺すこともできる、非常に有用な家具である。
 いつもその向こう側にいて、「娘」のくせに父親の所望する「お仕え」をやらなかったのでわたしは玄関に正座して姿見に向かって「わたしはブスです」と百回叫ぶことを毎日の義務とされた。隣家の善良な婦人に聞こえるように正しい発声を心がけた。図書館の本で読んだからわたしはわたしの両親が社会的に正しくないことも、効率的にでかい声を出す方法も、ぜんぶ知っている。
 「わたしはブスです」と鏡の中の自分の顔に向かって何度言っても、わたしは平気だった。
 だってわたしの顔は、わたしの母親の生き写しなのだもの。みんなこれを美人と言うのでしょう。わたしは、母親より二十七歳若いから、資源としてもっとずっと価値があるのでしょう。
 わたしはそれを売らずに生きる。わたしのからだは、わたしだけのものだ。

 そうやって生き延びることを目的としていたから、実際に生き延びると何もすることがない。
 当たり前に十八で家出して奨学金をもらって大学を出て当たり前に働いている。本を読みすぎたし、長じては人々の言う良い場所に行きすぎた。そうしてそのすべてに順当に退屈した。
 退屈したので人がいっぱい死んでいるところに行ってボランティアをしたら気持ちがよかった。
 そこいらに人がごろごろ死んでいて、わたしは死んでいないから。
 でもそういう災害は毎日起きてはくれない。

 そのうちに疫病がやってきた。わたしはわくわくした。みんなうろたえている。みんな死にたくないって思ってる。いいね。すごくいいね。みんなかわいいよ。みんなきれいだよ。どこで人がいっぱい死んでる? わたしそこ行くね、わたし役に立つよ、ねえ、わたしお医者さんなんだよ、みんなのこと助けて助けて助けきれなくてわたし泣くの、だからねえ、みんなわたしの前で、死んで。息を詰まらせてそれでも息を吸おうとして苦しんで苦しんでそれから死んで。そしたらわたし、やっと退屈じゃなくなる。

推しのいない人生

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、メディアでフォーカスされた消費行動が「推し活」である。アイドルや演劇などの舞台をはじめとしたさまざまな趣味に熱中しお金や時間を使う人々について、おおむねポジティブな論調で報道されている。
 私の友人にも熱心に推し活をしている人がいる。新卒から二度ばかり上向きの転職をして華やかな職歴を築き、経済的に余力があり、舞台を大量に観ている。疫病下で飲食店の営業が制限されていた時期に学生時代のような家飲みが復活し、彼女の家によく集まっている。いつ行ってもおしゃれできれいな部屋だ。

 今日も今日とて彼女の部屋に集合した。ゲストは私を含む二名、学生時代から仲が良く、彼女のチケット争奪戦の協力者である。このたび非常に貴重なチケットを入手したということで、その協力のお礼に良いワインを飲ませてくれるという主旨だった。私たちはとくに主旨がなくても集まるので、半分は言い訳みたいなものである。
 私たちは仕事もバラバラ、結婚や子どもといったプライベートもバラバラ、何なら趣味もけっこうばらけているのだが、そのような差異はとくに問題にならず(むしろおもしろい)、話題も尽きない。

 四十万、と彼女は言った。今回のチケットに転売屋がつけた値段。転売屋は悪だよ、ほんとに。
 私たちは黙って頷く。彼女が手洗いに立つ。残されたふたりで顔を見合わせる。四十万、と私は言う。天引きなしの四十万、と返ってくる。二人してひっそりと、四十万は、いいなあ、とつぶやく。
 どんなに行きたい舞台だったとしても、私なら「四十万」のほうに意識が行ってしまう。実際に転売に手を染めるわけではないが(正しくないという以前に、そんな倍率の高いチケットを取ろうと思ったことがない)。
 推しってすごいものだねえ、と私は言う。戻ってきた彼女に言う。いいな。私だってそっちがよかった。

 推しのいない人生を歩んできた。
 私は年に何度か舞台を観る。映画もいくらか観る。ばかみたいな量の小説を読み、マンガを読む。でもそのどれにも「推し」はいない。
 好きな俳優がいないのではない。でも「チケットを毎回手に入れるためにはファンクラブに入ってあれしてこれして」となると、ならいいや、と思う。その程度の「好き」である。いちばん好きな小説にいたっては本を買えば読めるし、絶版でも国立国会図書館にはあるのだから、楽しむために何の熱心さもいらない。水みたく消費できる。

 結局のところ私はカネ払って芸を観たいだけの人間なのだ。
 私は、観たいものにつけられた定価以上の対価を何も支払いたくない。受け取りたいという欲望もない。ファンサービスとかファン同士の交流とかに喜びを見いだせない。私は推し活文化から見捨てられた人間なんだと思う。現代のコンテンツ消費パーティへの招待状が届かなかった人間なんだと思う。
 私だって熱狂したかった。アイドルや俳優を好きになってきゃあきゃあ言ってみたかった。私が特別に好きになるのはキラキラしてないそこらへんに落ちてる人間で、きゃあきゃあ言うようなもんではない。普通に話をする。世の中にはスターがいっぱいいて、入り口になる映像は無料で観られる世の中で、私だって芸事は好きなのに、きゃあきゃあ言う相手が見つからない。どうしてだろう。
 私はそのような話を、ぼそぼそとする。

 いいじゃん。推し活をやる友人が言う。それはそれでいいじゃん。俳優ばかりを消費することに苦言を呈する舞台人だっているよ。そういう人にとっては、「定価でチケット買って芸を観たいだけの人」は望ましい存在だよ。わたしは、推しが出てる中でも厳選した良作だけを紹介してるから、手放しにいいねと思ってくれているんだろうけど、世の中にはマジで観た後に虚無になる舞台だってあるんだからね。そういうのも観ちゃうんだよ、推しがいるという理由で。そういう側面はまったく健全じゃないとわたしは思うよ。わたしたちみたいなのばかりだと虚無舞台が増えかねないから、あなたみたいな客もいたほうがいい。
 私はしょんぼりする。私は虚無(すごい言葉である)でも観たいと思うほどの熱意が自分に発生しないことがさみしいと、そう言っているのだ。舞台文化全体にとってプラスだと言われてもあんまり慰めにはならない。
 私にもそのうち推しができないかな。未練がましく私はつぶやく。五十歳とか六十歳とかで突然さ、運命みたいに。

 友人は苦笑する。そんなことは起きないと、たぶん思っている。私の知らないその理由を、彼女はたぶん知っている。

通り魔と気が荒くてしつけがなってない犬

  疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために、以前よりは近所で過ごすことが増えた。わたしは落ち着きのない人間で、疫病前は休みがあれば旅行に出ていたのである。
 疫病流行の最初の年、運動不足を解消するためにジョギングをはじめ、それがなんとなく続いていて、週に三日は家の周辺を走っている。そのエリアの中によく行くスーパーマーケットとドラッグストアがあり、たまに行くカフェがあり、最寄りの地下鉄の駅がある。
 小さな児童公園もある。夏場にはそこにある水道でばしゃばしゃ顔を洗ったりしている。今日もそこから出ようとすると、出入り口(車止めのようなものがある)に一人の男性が近づいてきた。手にスーパーマーケットの袋を提げている。
 わたしはその人をよけた。すると男はまっすぐ前を見たまま平行にからだをずらしてわたしに身を寄せ、素早く肘を突き出した。二度。そしてさっと歩を進めた。

 わたしはそういうとき、とっさに「あア?」みたいな声が出てしまう。
 正義感が強いのではない。育ちが荒いのだ。中学校がとくに荒れていて、温厚なインドア派だったわたしも「なめられたらいけない」と当たり前のように考えていた。すれ違いざまにぶつかっていやがらせをするような連中は、反撃しないともっとひどいことをするのである。世の中をなめた中学生は簡単にエスカレートする。だからわたしは黙っていなかったし、目の力を磨いて(悪い目つきを習得して)防御力を高めた。高校に進学したら誰もガンすらつけてこないことに驚いたものだ。
 そのような環境で育ったので、加害されると反射的にガラの悪い反撃をしてしまう。頭ではわかっているのだ。毅然と抗議し、場合によっては警察を呼ぶほうが適切であることを。相手をスマートフォンで撮影するといった対処だってできることを。そして、これはわたしはしたくはないのだが、一般的には自分の安全のために黙ってがまんして通り過ぎたほうがよいことを。
 でもできない。意識してやってることじゃないのだ。わたしは「あア?」のあと、「ぐらあ」みたいな音声を発した。わたしに肘鉄をした男は小走りで逃げ、振り返って「ごあっ」というような音声を発した。わたしにはわかる。あれは捨て台詞、「逃げたわけじゃねえぞ」という意味の音声である。けっ、逃げたくせに。次見かけたらタダじゃおかねえ。

 帰って夫に「このようなことがあった」と話すと、彼はため息をつき、心配だからできれば泣き寝入りしてほしい、と言った。世の中にはおかしなやつがいっぱいいるんだ、刺されたりしたらどうするんだ、泣き寝入りしてほしい。
 できないんだよとわたしは言った。もうね、反射で出ちゃうの。
 犬じゃん、と夫は言った。気が荒くてしつけがなってない犬のすることじゃん。すれ違いざまに他の犬に唸りかかってその犬に噛まれそうになって捨て台詞みたいな鳴き声出した犬、おれ見たことある。

 あのね、と夫は言う。そういう連中はあなたが抗議しなくてもそのうち勝手に破滅しますよ。近所をしょっちゅうジョギングしてる身長170センチ近いおばさんに加害するなんて、よほど追い込まれているにちがいないよ。
 そんなことは絶対にないけど、仮におれが「むしゃくしゃするから誰かを加害したい」「相手は女がいい」と思ったとしよう。理屈で考えたら、大きい駅に行く。実際、そういう動画ってでかい駅で撮られているだろう。近所ではまずやらない。特定されたら大変だ。駅より近所のほうが、被害者が警戒して通報したり人に話したりして対策する可能性が高い。しかもここは近所づきあいが密な下町ですよ。おれたちのパパ友ママ友だけで特定できるかもわからない。
 そういうこと全然計算してなくて、たぶん行きつけの、駅前のスーパーの袋を提げたままやっちゃうんだから、もうそれ以外に何のストレス解消法もないんだろうよ。でかくて元気そうな女はやめておこうとか、どうせ触るなら若い子がいいとか、そういうことすら考えていない。考えられない状態なんだと思う。ストレスがパンパンに膨れ上がって内側からそいつを食い破ってる感じ。認知症かもわからない。

 そこまで言われると、あの肘鉄男が心配になってきた。認知症を疑うような年齢には見えなかったけど、たしかにまともな振る舞いではない(わたしに言われたくはないかもしれないが)。民生委員の小諸さんとか町内会長の白井さんとかに話しておこうかしら。