傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ワクチン接種の前準備

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。最初の通達から一年あまり、何度目かの通達のさなか、疫病のワクチンが提供されはじめた。地域によってはまだ順番待ちだが、私の身近な人々はすでに打ち終えたか、接種の予約ができているかである。
 私の周辺ではワクチンを打つという判断が妥当なものとして支持されているが、打つ打たないで家族と仲違いした人もあると聞く。この疫病はつくづく人間の親密さを損なう性質を持っていることであるなあと思う。
 「であるなあ」とか言っていても世の中は変わらないので、取り急ぎ自分の周辺との助け合いを強化している。たとえばワクチンについてはいろんな人とカジュアルに接種スケジュールを共有して、何かあれば駆けつける体制をとっているのだ。今日も友人のひとりから接種スケジュールのLINEが届いた。

 私はその日程を見てちょっと驚いた。私とまったく同じ日程だったからである。私はこのように返事を書いた。他の友だちならぜんぜんかまわないんだけど、なんでよりによってあなたが私と同じ日程なんですか、あなたろくに友だちいないのに。送信。

 受信。僕の友だちはいないのではない。槙野さんを入れて二人います。

 友だち二人しかいなくて友だち以外の親しい相手もいなくて実家も遠いんだから、具合悪くなったら私かもう一人が助けるしかないじゃん。送信。

 受信。おっしゃるとおりです。だから槙野さんは接種後に具合が悪くならないようにがんばってください。僕が困るので。

 がんばるけどさあ……。がんばれば副反応が出ないってことはないじゃんねえ。送信。

 受信。うん、まあそうだよね。でも大丈夫でしょう。今までも大丈夫だったし。
 こういうのを正常性バイアスと言うらしいです。危機を正しく認識できていないということです。
 それで、僕は思うんだけれど、事態を正しく認識してそれにふさわしい不安を常に保持していたら、生きるのがすごく大変になるんじゃないか。
 こういう状況だと不安になって当然だし、不安のあまり動けなくなることもありうる。でも動けなくなったって本人の生存にも幸福にも寄与しない。だからやっぱり不安になりすぎるのは妥当ではない。
 そういうわけで僕はこれでいいんですよ。自分の不安で自分の精神をむしばむのは妥当ではないし、一人でいることが快適な性質に生まれついたのに利便性のために家族とかを作るのもおかしなことだ。だから僕はこうでしかありえない。
 私的関係において他者を自分の手段として値踏みして使用するのは槙野さんのもっとも嫌うところだと思います。僕もその意見に全面的に賛同します。そういうわけで僕には友だちが必要な数だけしかいない。だから槙野さんはくれぐれも健康を保ってワクチンの副反応もほどほどに済ませてください。では。

 何が「では」だ。
 なんという勝手なやつだろうか。要は「今までの人生、生きたいように生きてきた。その結果、自分を助けてくれる人が少ししかいない。だからその数少ない友人のひとりであるおまえはがんばれ」という姿勢である。
 私のほうは他に助けてくれる人が幾人もいる。だから私が副反応で寝込んでもこの友人に出番はない。不公平じゃないか。不公平? えっと、何がどう不公平なんだ。はたから見たら私のほうがはるかに人望があるのに、なんで「損した」みたいな気分にならなきゃいけないんだ。なんかよくわかんなくなってきた。
 
 この友人は若かったころ、「一生独身でいるつもりだなんて、将来は孤独死だね、孤独腐乱死」と言われたことがある。その場では黙っていたのだが、あとからこう言っていた。
 死体がフレッシュな状態のうちに焼くことってそんなに重要なのかな。少なくとも僕は自分のフレッシュな死体を焼くことにそんなに興味が持てない。そもそも死体を早期に発見するシステムを開発すれば済む話だと思う。
 私はそれを聞いておおいに笑った。一人で死ぬことを殊更にグロテスクに表現する人は、単に死体が腐ることを恐れているのではない。家族を持たない人間への忌避感情を腐乱死体に象徴させているのだ。でもこの友人にはそういう機微がわからない。ほんとうに死体の鮮度の話をされているのだと思っている。
 そう、この友人は私にとってずっと、理路の通った確固たる身勝手ぶりを見せてくれる存在なのだ。私はそれを見るとちょっと元気になるのである。

どうして、お母さん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それでわたしは母に会うことができない。

 わたしの母はすごく感じのいい人だった。同世代や祖父母世代だけでなく、わたしの友だちもみんなそう言った。母はわたしの覚えているかぎり場違いなふるまいをしたことがなかった。家にどんな人が来たときにも、旅行先でも、わたしの保護者として学校に来るときでも、親戚の集まりでも。
 小学生のころまではそういうのが当たり前だと思っていた。お母さんは大人だからねって思ってた。お父さんはお母さんに比べてドジだなって思ってた。父はときどき誰かと言い争いをしたり、発言すべきでないときに発言して気まずそうな顔になったりしていたから。それで人に笑われたりもしていたから。
 わたしはおよそ母を嫌う人やばかにする人を見たことがなかった。母はいつも適切なふるまいをしていた。高校生までのわたしの目には、そのように見えた。

 母は規則正しい人だった。決まった時間に起きて、決まった時間に寝た。曜日と月と季節ごとに掃除のスケジュールが決まっていて、だから家はいつも適度にきれいだった。食事のバリエーションは豊富で、素材や調理法の組み合わせがローテーションされ、おかげで家族は季節感を感じつつ飽きずに食事ができるのだった。
 母のルーティンはときどき書き換えられた。主に子どもの成長と父の仕事の忙しさに合わせて変えるのだ。たとえばわたしが小さかったときは幼稚園への送り迎えがあり、小学校に入ると習い事の送り迎えに切り替えられて、PTA活動も加わった。母はそれを三月に計画し、四月から遂行した。
 わたしは高校生くらいまで「母は几帳面で安定した人間なのだ」と思っていた。「ちょっと退屈かもしれないけど、とてもいい人だ」と思っていた。

 大学生になって東京に出てきて一人暮らしをはじめた年に疫病が流行しはじめた。そしてそのとき、母が「安定した人」ではないことに、わたしは気づいた。
 去年の夏に帰省すると母の顔が変わっていた。やつれていたし、どことなく引き攣っているように見えて、しぐさがおかしかった。わたしが何か言たびに泣きそうな顔になるから、これはまずいと思って一晩泊まっただけで東京に戻った。
 父に聞くと「疫病が流行しているから」と言うのだった。お母さんはとても不安なんだよ。どうしていいかわからないんだよ。きみが帰ってきてうれしいのに、会ったら知らないあいだに病気をうつしたりうつされたりするかもしれないだろう。お父さんは「そうかもしれないけど会いたいのだから会ったらいい」と言ったんだけど、保証がないからお母さんは納得できないんだ。ほら、お母さんはそういう人だろう?

 「そういう人」だなんて、わたしは知らなかった。わたしはお母さんのことをなにも知らなかったのだと思った。

 父によれば母は、常に不安を感じる人なのだという。何かあってそうなったのではなくて、若いころから(母の母である祖母によれば、子どもの頃から)そうなのだという。決まっていることはきっちりやれるから、祖母も父も母のためにできるだけ揺らぎのない暮らしを用意し、母が決められないことは祖母か父が「こうするといいよ」と言ってあげたのだという。
 「正解」を割り出す方法のないものについて、母は決めることができなかった。つまりほとんどのものごとについて。

 今年の夏は帰省しないことにした。
 電話をかけると、父は疲れた声で言うのだった。僕はワクチンを打つ。おばあちゃんはワクチンを打たない。だからお母さんは非常に怒って、混乱している。僕とおばあちゃんは今まで重要なものごとの方針が一致していたのに、今はそうじゃないから。
 お母さんにとって、それは「黒でいながら白くなれ」と言われているようなものなんだ。世界の法則が乱れていてそれをどうにかしろと言われているようなものなんだ。
 僕はワクチンを打ちたいし、おばあちゃんは打ちたくない。世の中にはそういう自由があるし、そもそもお母さんは自分で決めるべきなんだ。
 でも僕とおばあちゃんはそうさせることをさぼってきた。「自分で決めるんだよ」と言ってもお母さんはおばあちゃんと僕と同じことをするか、「どうしたらいい?」と尋ね続けるだけだったから。その質問に答えてあげないと具合を悪くしてしまうから。

 お母さんが不安にならないように世界を整えつづけてきて、でもそれが疫病のためにできなくなった。
 僕とおばあちゃんのせいだ。

 父はそう言った。わたしは何も言えなかった。

ごめんね、おばあちゃん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それでわたしはしばらくおばあちゃんに会えていない。
 わたしのおじいちゃんはもう亡くなっていて、おばあちゃんは地元の施設に入っている。わたしが大学に入った年に疫病が流行しはじめたのでそれ以来会っていない。地元にいたときにはそれなりに会っていたし、わたしが小さかったころは近所に住んでいてしょっちゅう会っていたから、今はもちろんさみしい。
 おばあちゃんは(今にして思えば)すごく元気なお年寄りだった。わたしが小学生のころまで一緒に公園でジャングルジムにのぼったりしていた。ごはんもいっぱい作ってもらった。おばあちゃんはわたしのお父さんのお母さんで、女の子を育てたことがなかったから、わたしが生まれたときにはとても喜んだと聞いている。
 おばあちゃんは陽気でお友だちがいっぱいいて料理が上手でおしゃれが好きで、毎月美容院に行っていつもきれいにしていた。

 でもわたしは最近おばあちゃんと電話したくない。
 おばあちゃんはわたしにワクチンを打ってほしくないと言う。将来子どもを産むんだからと言う。きっと困るからと言う。心配だからと言う。

 わたしは理系で、ワクチンについては自主的にみっちり勉強していて、どう考えても打たないほうが危ないと思っている。
 ワクチンの受付がはじまった日にはアルバイトの予定をずらしてもらってまで時間をつくってPCに張りついて予約をゲットした。副反応が強く出たときのために友達同士でワクチン接種の日付を共有しているし、冷蔵庫には二リットルのポカリが二本、レトルトやレンチンで食べられる食料も三日分ある。解熱剤や痛み止めの準備もした。接種する気まんまんなのだ。だって、どう考えても、そのほうがわたしのためだし、みんなのためだし。

 若い人もものがわかっていたら打たないのよとおばあちゃんは言う。完璧に安全だという証拠はどこにもないの。年寄りだけがそう言ってるんじゃないの。若い人にもそういう発信をしている立派な人もいるの。ねえ、危ないことしないわよね。一生後悔するかもしれないんだからね。とくにね、女の子なんだから。

 わたしはほんとうはこう言うべきなのだろう。

 おばあちゃん。もとから医療に完璧なんかない。今までは「こうするのがいい」と言ってもらえたかもしれない。でもそれは完璧な安全の保証なんかじゃなかった。まして新しく流行した病気なら、ある程度の材料でリスクを判断するしない。ワクチンで具合が悪くなる人が出るのは当たり前のことだし、将来生まれる子どもがどうこうなんていうのはひどい偏見じゃないか。
 おばあちゃん、わたしはね、誰かに安全を保証してもらうなんて思わない。そんな保証はありえないから。それなのに自分の言うとおりにしなさいなんていう人は、だいたい他人を利用しようとしているんだよ。わたしは「怖いから考えない」「断定してくれる人に判断をあずけてついていく」という人間にはなりたくないんだよ。
 おばあちゃん。おばあちゃんだってきっとそうだったはずなんだ。わたしの知っているおばあちゃんは、完璧な安全なんかない世界で、いっしょうけんめい考えて判断してわたしを守ってくれていたよね。わたしが小さかったころ、危ない遊びだって見守りながらさせてくれたよね。

 わたしはそう思っている。
 でもおばあちゃんには何も言うことができない。
 わたしはおばあちゃんが陰謀論みたいなことを言い出したらたぶん耐えられない。わたしの将来の幸福を「元気な子どもを産む」に限定したようなことを言うだけでもショックを受けてしまう。
 しっかりしていても高齢なのだから。気が弱くなっているのだろうから。このご時世で少し混乱しているかもしれないのだから。そういう解釈は、よそのお年寄りにはできるけど、わたしのおばあちゃんにはできない。そんなことしたら、わたしの大好きなおばあちゃんがいなくなってしまうもの。わたしのおばあちゃんは、そんな人じゃないんだもの。

 わたしはほんとうはおばあちゃんに自分の考えを言うべきなのだと思う。ワクチン打ったからと言って会いに行くのがいいのだと思う。それが正しいのだと思う。でもできない。
 わたしは正しくない。わたしは弱い。だからわたしはおばあちゃんと話をすることができない。きっとわたしからの電話を待っているのに、できない。ごめんね、おばあちゃん。

だからあなたと出会わなかった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしはこの夏、あの外国みたいな街角で、あなたと出会わなかった。

 わたしは退屈な大学生で、だからあの街を歩いていなかった。疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出されていたから、わたしはだまっておうちにいた。だからわたしはそこにいなかった。

 そこは繁華街で、時代時代でニュースとかが言う「若者の街」のうち最近注目されはじめたところで、わたしは大学一年生で、音楽をよく聞いていて、外国とか好きで、英語をけっこう話せて第二ないし第三外国語がちょっとできて、流行とかもぜんぜん好きで、だから、わたしはそこに、いなかった。
 だって、東京は疫病とオリンピックのために大学生が軽薄に出歩くことのできる街を残していないことになっていたから。

 わたしは良い子で、だからずっと、おうちにいた。おとうさんとおかあさんといっしょにテレビで楽しくオリンピックを見ていた。ほんとうだよ。
 ほんとうだとして、これから先を話すね。ねえ、あなた、ほんとは知っているんだよね。ばかみたい、っていうかばかだよね。あなたもわたしも。

 ばか。

 わたしは閉塞した受験期に本格的な歌と踊りをやる隣国のアイドルを好きにならなかったし、だから入学後の最初の試験が終わった晩にその街に行かなかった。入学後ずっとオンライン授業でイライラしていてわずかな登校期間にようやくつくった大学の友だちと授業のあとに居合わせたりしなかった。「下校後はまっすぐ帰りなさい」なんて小学生みたいなこと大学から言われて言うこときかないで出かけたりしなかった。友だちといっぱいおしゃべりしてファッションフードを食べてプチプラの売れてるコスメを買いに行かなかった。
 わたしたちはマスクをきっちりつけていた。だって、若い人を狙い澄ましたような変異型が出たって、ニュースで言ってたもの。わたしはニュースをちゃんと読むタイプなんだもの。お父さんとお母さんが新聞の電子版を取っていて、わたしは受験が終わったあともそれをちゃんと読んでいるんだもの。あなた、それでもわたしが流行病に罹ることを怖くなかったと思わない? 思わないんだ。ばかな若い女が怖くなるだけの勉強ができないほどクソバカだから街に出たって思うんだ。それならそれで、いいんじゃないですか。

 わたしは、街になんか、出てない。だからわたしはあなたと出会わなかった。

 わたしが軽薄なファッションフードをちゃむちゃむ噛んでるとあなたはわたしの前に出現する。あなたはなにも噛んでいない。まっすぐ歩いてくる。そうしてわたしの目の前で止まる。わたしは視線を上げる。わたしにはわかる。あなたがわたしのその人だということが。
 嘘だよ。だってわたしは、そこにいなかったんだから。

 わたしは友だちに「あのさ、この人と今からデートしていいかな?」って言わなかった。そんなキャラじゃないから。あなたは「どうもすみません、これはもうしかたのないことなので」なんて言わなかった。きれいな英語で言わなかった。お月様みたいな目で言わなかった。わたしも友だちも、あの街角で、あなたと鉢合わせなかったから。

 わたしたちは思いのほかディープなエスニックタウンを歩かなかった。ここは日本で、東京で、海外からの人の出入りはきっちり制限されていて、それなのにあたりから外国語が聞こえることはないはずだった。わたしはその異国語のざわめきを美しいと感じなかった。ずっとずっと前に異国から来てこの国にいる人々がキムチとかを売っている姿を見なかった。その国の男の子たちがその国のことばでそのことばの通じる女の子たちをナンパしてそこいらのホテルに消えていくのを「すてきだな」なんて思わなかった。わたしは勉強ができるのでここが戦後の傷跡としての在日外国人の街だということを知らないのではなかった。そうして彼らの率直で軽薄な愛のことばを、うらやましいと思わないのではなかった。
 わたしたちはいつのまにか手をつながなかった。わたしは突然大胆なことがしたくなって「キスしようよ」と言わなかった。あなたはわたしを見て「いいアイデアだね、でもあとで」と言わなかったし、わたしはそれを聞いて「できるだけ早くしてね」と言わなかった。あなたはそうして、完全にイノセントな顔してわたしの目を見て笑わなかった。

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしはこの夏、あなたと出会わなかった。

ええじゃないか2021

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。通達にはいくつかのレベルがあり、現在はそのもっとも強いやつが出ている。外国では最低限の外出以外を禁じるロックダウンもおこなわれたけれど、この国ではそういうことはない。よぶんな外出は控えて、夜に遊び歩かず、外で酒を飲まないように、という感じである。通勤電車はそれなりに混んでいるし、なによりオリンピックはやるというのだから、要するに「飲食店で酒を飲むな、夜に外で食事をするな」という内容の「協力依頼」である。
 最初はみんな神妙に言うことを聞いていた。でも事態が長引くにつれ、もうやっていられないという声も増えた。人々は寄り集まっておしゃべりをしたいし、ざわついた店で酒を飲みたい。「では八時には終業してアルコールは出さないでおきますね」という方針の店ばかりではなくなる。

 僕の家の近所に繁華街がある。疫病前からいつ行っても誰かが酒を飲んでいる。平日でも昼間でも飲んじゃう、そういう場所なのだ。やたらとテラス席(というか、壁にかこまれてないところに椅子とかビールケースをさかさまにしたやつが置いてある席)が多く、ラフで気楽な雰囲気の飲み屋街である。
 僕は物見高いので、しょっちゅうこの飲み屋街のようすを覗いている。飼い犬の散歩コースとしてちょうどいい距離なのだ。犬も僕に似て(?)野次馬なやつで、この散歩コースがわりと好きである。
 現在、この飲み屋街の多くの店は「自粛」をしていない。昼間っから夜中まで店があいている。酒をばんばん出す。五月くらいからぼつぼつ「23時まで営業 アルコール出します」みたいな貼り紙がではじめ、六月には貼り紙すらなくなって、当然のように通常営業をはじめた。
 僕と犬は飲み屋街に近づく。外から見るだにたいへんな混雑である。僕は物見高いが、感染リスクが高いことはしないので、先月から飲み屋街の中には入らず、様子だけ見ている。そもそも犬が歩けないほどみっしり人がいるのだ。
 もちろん僕自身が飲みに行く気になるような状況ではない。みんな肩寄せ合ってマスク外しておしゃべりしながらばんばん飲食している。アクリルボードを斜めにして隙間から顔を出してしゃべっている人さえいる。疫病前より大量の人がいる。歩いたら確実に誰かに接触する。他人の呼気を吸わずに通ることもまず不可能。
 人々は疫病前以上に高揚している。アルコールだけでなく、やくたいのないコミュニケーションそのものが彼らを酔わせているように見える。東京中からバチギレた老若男女が集まった感がある。感染リスクとかそういうのをぶん投げた人々の集団である。

 江戸時代の終わりに、と僕は言う。犬に向かって言う。要するにひとりごとを言う。
 「ええじゃないか」という現象があったんだ。民衆がええじゃないかええじゃないかと言いながら日常生活をぶん投げて踊り騒ぐ現象。世直しの運動だとか、いろいろな説があるようだけど、決まりごとをめちゃくちゃに破って騒いだら楽しくなっちゃったんだろうなと僕は思うよ。いろんな義務を放り出して集まって踊って、男が女の服を着たり女が男の服を着たり、裸みたいな格好したりして、そんなの楽しいよ絶対。決まりごとは破ったら気持ちいいもんなんだよ。
 じゃあなんでそれまでは決まりごとを守ってたかっていうと、守れば生きていかれたからです。江戸時代なら身分制度にしたがい、ムラにしたがい、イエにしたがい、それでもって生業をもらう。町人は町人の服を着て、男は男の服を着て生きる。お上の言うこと聞いていい子にしてないと遠からず野垂れ死ぬ。そういう世の中だったわけ。
 でも幕末にその箍が緩んだ。なにしろその直後に世の中がひっくり返るんだから、予兆はあるわけさ。決まりごとにしたがっていても今までどおりでない感じがしたら、したがうのを休みたくもなる。ほとんどの人間は革命なんか起こさない。めんどくせえしトクなことがないから。でも「言うこと聞いていい子にしていない連中のほうがトクしてるんじゃないか?」と思ったりはする。そういうときに決まりごとを破るのはものすごく気持ちいい。それが「ええじゃないか」ではないかというのが僕の仮説、というか妄想。わかるかい。

 犬はピスと鼻を鳴らす。わからないかい、と僕は言う。わかるわけがないのだ。帰ろうかと言うと犬はピコと腰を振ってきびすを返す。

無害なケアのために

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの人が以前より家にいるようになった。するとよく聞こえるようになったのが「家族のお世話の負担が大きすぎてやっていられない」という声である。小中学生が登校できない時期には保護者が昼食を家で作らなければならなくなった。なんなら在宅で仕事をしながら子どもの相手をするのである。
 わたしには子どもがいないのだが、子どものいる友人たちから「今日のお昼どうしよう」とLINEが入ったりして、はたから見るだにたいへんそうだった。ちなみにわたしは「卵かけごはんにしよう」などと回答していた。卵かけごはんなら小学生でも自分で作れる。

 現在、子どもたちは登校している。それでも「お世話の負担が大きすぎてやっていられない」人はまだいる。同僚のひとりは、「家にいるときのお昼は自分でどうにかしてもらうようにお願いした」「ほんとうは自分でお昼を食べたあと、お皿も洗ってほしいんだけど、それはまだやってくれない」と言う。
 在宅ワークの最中に夫の世話までしていたらそりゃあやっていられないだろう。そもそもその夫はどうなのだ、とわたしは思う。思うけど言わない。その場には社内で有名な男性の先輩がいたからである。なぜ有名かといえば、自分の家族の食生活を一手に引き受けているのである。料理が上手なだけでなく、とにかくマメな人で、出社時にしょっちゅう弁当を持ってくる。もちろん妻子の分も一緒に作っている。というか、子どもの弁当のついでに自分と妻の分を作っているのだという。
 わたしは先輩が「男だからといって料理のひとつもせず妻にやらせっぱなしとはなにごとか」というようなことを言ってくれると思って待った。すると先輩は意外なことを言った。
 その旦那さんは、家族の世話をしないで、お世話されるだけがいいのかな。どうしてだろう。世話すると気持ちいいのに。

 先輩のことばの意味がわからなかったので、場所を変えて先輩の話を聞いた。
 先輩が世話好きなのは昔からだそうである。そういう男はたまにいますよと先輩は言う。自分の父親がそうだったとか、逆に父親を反面教師にしてとか、いろいろ言うけど、なんでかは正確にはわからない。おれは人の世話するといい気分になるから、だからしてる。学生の時は予備校で働いていて、経済的にはそれでOKだったんだけど、小学生の家庭教師も必ず入れていた。子どもの面倒を見たくてさ。
 だって、子どもは、弱くてかわいいだろう。そういうのに頼られるのはいい気分じゃないか。おれの場合はほら、男だから、「男の人なのにすごい」なんて加点されちゃったりして、余計おいしいんだよな。はは、ずるいよね、女の人は当たり前みたいにやっているのにね。
 最近、息子が大きくなってきてあんまり手がかからなくなって、ちょっと退屈なんだ。もうあんまり弱くないからさ。
 そういうのってあんまりいいものじゃないよ。ちょっと間違うと恐ろしいことになると思うよ。
 うん、間違いそうになったこと、ある。
 妻が一時期具合を悪くして働けなくなったんだよね。家のこともそんなにはできない。そのときおれがどう思ったかっていうと、もちろん心配したけど、どこかで「やった」と思った。妻は大人でおれがいなくても基本的に平気なんだ。でも具合が悪くなったら、そうじゃなくなった。
 だからおれは言ったんだ。しばらく何もしなくていいって。家のことも子どものこともおれがぜんぶやるよって。フレックス勤務をフル活用すればいける、カネだって普通に暮らしていくぶんにはおれの給料だけでいける、って。
 妻はこうこたえた。わたしはそんなこと望んでない。わたしが望んでいないことを、どうして嬉しそうに、してあげるって言うの。

 うん、ばれてた。おれが愛情からお世話してるんじゃないってこと。弱いものを自分の思い通りにするのが気持ちよくて気持ちよくて、だからやってるんだってこと。
 愛情ベースでお世話するなら妻が望んだことをするだろう。やれることはやりたいというのが妻の望みで、でもおれはそれを無視した。ぜんぶおれがやってあげて、そのうちおれがいないと何もできない人間になればいいとどこかで思ってた。そういう幻想に酔っていて、そんなのがばれないわけはない。
 おれは自分がそういう人間だと知っている。だから気をつけてる。気をつけてるけど、でもさ、やっぱり、二人目がほしかったな、子どもは大きくなっちゃうし、妻はまだ元気なんだもんな。

悪夢の進捗

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしは引っ越し魔なのだけれど、疫病下での引っ越しがなんだか億劫になって、しばらく今の家にいようと思っている。すると案の定、母親から「会いに行きます」という記載のある手紙が届いた。
 わたしはわたしの生家の人間に住所を教えていない。母親はこまめに戸籍の附票を取ってわたしの住所を確認して、それで手紙を送ってくるのである。
 わたしは引っ越ししてもしばらく住民票を動かさない。郵便物を転送して済ませる。そうすれば招かれざる客が来ないからである。客っていうか、ストーカーだけどな、体感としては。

 郵便物の転送期限が切れるのと、ほかにもいろいろ都合があって住民票を動かした。そうしたらすぐにその住所に「母の愛」とか「家族の絆」とかそういうのをしたためて「会いに行きます」と結ばれた手紙が届く。いったいどれだけの頻度で附票が取られているのだろうか。シンプルに気持ち悪い。家出してからの人生のほうが長いのに、そのあいだ三度の通告を経て無視を貫いているというのに、まったくあきらめていない。というか、わたしの自由意思とか感情とかの存在が、根本的にわかっていない。
 彼女は「善き母として生き生きと子育てをしたが、何かの行き違いで娘に誤解された」と思っている。わたしは彼女との記憶の相違について争う気はない。彼女は記憶を書き換える能力にすぐれている。まともな人格の持ち主なら、たとえまったくの誤解だとしても、「愛する娘」の生活を脅かすつきまといを二十年近く続けたりはしない。そしてそもそも、誤解ではない。
 もちろん彼女はわたしの職場にも姿をあらわす。わたしは職業柄、インターネットで所属があきらかになってしまうからである。しかし、わたしの職場のセキュリティは堅い。母親だろうが何だろうが呼ばれていない者は追い返される。電話やメールの相手もしない。同僚たちにはざっくりと事情を話して理解してもらっている。それでここ数年、彼女はわたしの自宅にターゲットを絞り、虎視眈々と来訪を狙っているのである。
 来訪して何がしたいのかは知らない。

 ものの本によると、虐待家庭出身者の中でもここまで親を明白に切り捨てるケースは稀であるようだ。でもわたしにとってそれは当然のことだった。
 わたしが個人的にラッキーだったなと思うのは、非常に若いうちから「わたしは両親と称する二名の血縁者からぜんぜん愛されていない」「わたしも彼らを愛することはない」と明白に理解できるほど酷い言動が繰りかえされたことだ。愛着があったら切り離すのがつらくてたまらないのだろうけど、なにぶんぜんぜん愛されていなかったし、その結果として(あるいはわたしの個人的な特性によって?)愛することがなかった。十代で家を出たときからわたしの人生ははじまった。それ以前の記憶は感情をともなわず、所定の様式で記入された書類のようなかたちでわたしの中におさまっている。

 生家から逃れてすぐのころにはよく悪夢を見た。姿がよく見えない巨大な悪いものが追ってきて、逃げようとするがどれだけ走っても逃げきれないという夢である。やがてそれは逃げようとするが足がうまく動かないという夢になり、逃げようとして靴がなくて探すという夢になり、長い時間をはさんで、ひとまずは逃げ出せる夢になった。
 そのあたりで、夢の頻度は大きく減った。でもゼロにはならなかった。
 最近は熊のような何かがわたしの住まいを占拠しているという夢になった。わたしはそれを自分の住居ごと焼き討ちにした(夢の中で)。そうして先週見た夢では、敵の姿は弱そうなゴブリンであり、しかし魔法のようなものに守られてわたしの家に居座っていた。そうしてわたしの親しい人たちを顎で使い、「だってあの人たちは家族じゃないでしょ」と言うのだった。殺すぞとわたしは思った。でもめんどくせえな、バルサン焚こうかな、と思った。
 我ながらわかりやすい夢である。悪夢にも進捗があるのだ。わたしの「敵」は強大な化け物から卑小なゴブリンへと弱体化している。そしてわたしはファンタジー小説を読み過ぎである。

 悪夢の進捗と疫病の流行により、わたしの引っ越し欲求はおさまった。ステイホームとはまさにこのこと、とわたしは思った。今の家はとても気に入っているから、まだ引っ越したくない。母親が来ても相手にしなければいいだけのことだ。気持ち悪いが、それだけである。