傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしたちはお呪いをする

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから半年が経過し、わたしたちはみな、おまじないをやって暮らすようになった。

 わたしは歩く。マスクをつけて歩く。わたしが住んでいる住宅地は休日でも人通りが少ない。駅前に出るまで誰ともすれ違わないこともある。それでもわたしはマスクをつけている。
 疫病の流行当初はマスクを持ち歩いて遠くから人が来たらすれ違う前にかけるようにしていた。でも今は二メートルどころか三メートル離れていても「マスクをしていない」というだけで駆け寄って行く手を塞ぐ不審者が出たということで、近隣の警察署から注意喚起が流れている。自転車の後ろに乗せた子どもがマスクを外していたという理由で自転車の前輪に傘を突っ込まれる事案も発生したとのことである。
 だからわたしは家を出る前にマスクをする。誰ともすれ違わなくても、マスクを外さない。

 スーパーマーケットで買い物をする。スーパーマーケットの店員さんはゴム手袋をしている。この店の店員さんは勤務の長い人が多くて、決まった時間に行くと決まった人がいるから、ときどき話をしたりもする。
 そんな店員さんのひとりはレジ作業でゴム手袋をするようになった当初、「意味がない」と言っていた。「だって、手袋をつけっぱなしでいろんなお客さんと対面するのでしょ、たとえばわたしが気づかないうちに例の病気になっていて、飛沫でお客さんに感染するとしたらね、つけっぱなしの手袋に飛沫がついて、それで感染するのでしょ、素手をこまめに洗ったほうがよほど安全でしょう」と。
 わたしだって素手をこまめに洗ってもらったほうが安心である。でもみんなゴム手袋をする。外しているとクレームが来るのだそうである。

 服の量販店で買い物をする。入り口には体温計がある。その表示によればわたしの体温は三十五度ないということである。自宅ではかると三十六度台だ。どうやら低く出るのである。そもそも無症状なら体温は変わらない。
 お客の中にはマスクなしでマウスシールドをしている人がいる。マスクの代わりになるものではないのだが、テレビ番組に出ている芸能人がしているから、あれでいいのだと思っている人がけっこういるのだと聞いた。そういうものなのだろうか。テレビは撮影のためにやむを得ずリスクを承知の上でマウスシールドを使っているのではないかとわたしは思うのだが。

 近所のレストランで食事をする。政府の要請でラストオーダー19時、閉店20時である。ラストオーダー間近、カウンターががら空きなのを見た上ですべりこんだので、メインとして頼みたかったラムチョップは持ち帰りにしてもらう。
 ここのシェフもわたしの顔見知りである。閉店が早くなって安全になりましたかとわたしは尋ねる。そんなわけないですよとシェフは笑う。距離をとってマスクの外の目だけで笑いを表現することに慣れたような笑顔だ。
 これだけすいていれば昼でも夜でも安全ですよ。夜だけウイルスが活性化するなんてことはないでしょう。この事態になってから通し営業にして夜はやく閉めているんですが、昼のほうがお客さんが多いです。日があるうちは襲われないみたいな、気持ちの問題ですかね。
 僕の両親なんて、親戚の集まりに出ましたからね。僕は断りました。大勢で飲食したら危ないから。でも親は怒るんですよ。他人じゃないのだからといって。他人じゃなくてもかかるのにね。でも僕は黙って叱られました。親がかわいそうで。
 わたしの母もです、とわたしは言う。布マスクをたくさん縫って送ってくるのです。お友達にあげなさいと言うのです。でももう医学的に有効なタイプのマスクが安く大量に手に入るじゃないですか。好みの見た目のマスクがほしかったらそれはそれで選択肢があるし。
 でも母はマスクを縫っていれば自分がこの世界で役に立っていると思えるんです。だからわたしはマスクを受け取るしかないんです。友達はもうみんな持っているからとは、言いますけど、「お母さんのしていることには意味がない」とは言えないんです。

 わたしたちはそのようにおまじないをする。おまじないをして清く正しく暮らしていれば疫病に襲われないのだと思っているみたいだ。疫病にかかるのは夜中に遊び歩いた人間であって、まじめに仕事をして遊びを控えていれば、そして正しくおまじないをしていれば、疫病で陽性になるはずがないと、まるでそう思っているみたいだ。

 でもそうではない。もちろん。 

わたしたちは隔てられている

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。大学入試は要で急ということになったようで、わたしの勤務先でも大学入学共通テストが実施された。
 わたしは研究助手として母校で働いている。この「助手」というのは教職ではなくて、助手としての仕事をもっぱらにする立場である。わたしの職場の助手は卒業生が多く、いろいろな意味で事務方・教員と学生の間に立つような仕事だ。
 わたしの最初の就職先が妊娠した女性社員に嫌がらせをするところで(当時はさほど珍しくなかった)、大きなおなかを抱えて伝手をたどり、出産後半年で今の仕事に就いた。そのとき乳児だった娘は高校三年生になった。共通テストに付き添ってやりたかったが、わたしも仕事だからしかたない。

 娘に激励LINEを送ってからスマートフォンの電源を切る。電子機器はすべて控え室に置くのがきまりで、試験中に着信が鳴ったら悪いので電源ごと切るのが習慣だ。試験監督者はグループわけされていて、わたしのグループは教員が二人、助手がふたりだった。
 わたしたちはもちろんマスクをかけている。そしてフェイスシールドを支給されている。わたしたちはそれをかぶる。息苦しい。主任監督者の教授など眼鏡の上にフェイスシールドを載せている。そうして見えている目だけで笑う。マスクにめがねにフェイスシールド、そりゃ重いよ。でもコンタクトレンズって怖くてできないんだよね。目に指を入れるのがね、どうしてもできないの。

 問題用紙をかかえて試験会場まで歩く。渡り廊下に立つ誘導役の職員はコートの着用を許されているが、試験監督者はスーツのまま歩くのである。今年はさほど寒くなくてよかった。それでもマスクの内側が派手に結露し、息苦しさが増す。
 かつてのセンター試験はもう少しおおらかだった。年々厳密になり、マニュアルにない行動はおよそとることができない。良いことだと思う。公正さのためには必要なことだと思う。しかしその一方で、受験生との隔たりもまた強く感じる。まさか物理的な隔たりのためのシールドをつけて歩くことになるとは思いもよらなかったけれど。

 でもそもそもわたしたちは疫病禍の前から少しずつ隔てられてきたのだ。この十年、大学の人員はどんどん減らされた。わたしの後輩の助手たちの新規の募集も減り、しかも非正規のみで、どんなに優秀でも任期つきでしか採用されない。そのような状況だから、昔のように何くれとなく学生の相談に乗るような時間はない。三年前にはとうとう助手の部屋の入り口に事務室にあるような受付窓が取り付けられ、学生はドアをあけて入ることさえ許されなくなった。
 わたしの職場の誰に悪意があるわけでもない。ただの予算の問題である。公的な場では金がないと業務上の寄り添いが減る。ひとりひとりの仕事がキチキチに詰まって、寄り添うというような「よぶんなこと」ができなくなる。組織における個々人の情緒的サポートを支えているのは予算的な余裕なのである。カネがなくなれば人と人は遠ざかってしまう。

 午前の試験を終えて控え室に戻る。控え室の席はアクリルボードで仕切られている。その仕切りの中で、わたしたちは黙々とお弁当を食べる。黙食、という見慣れないことばが、このところ推奨されるようになった。要するに黙って食えということである。
 食べ終わるとマスクをつけて少々の話をする。隣のテーブルからも話し声が聞こえる。来年もこんなふうですかねえ。一年じゃおさまらないでしょう。このあいだはそれなりにやれるまで流行から三年はかかりましたからね。
 わたしはひっそりと笑う。わたしの正面に座ったもうひとりの助手も笑う。隣のテーブルは史学科だ。だから「このあいだ」というのはきっとスペイン風邪のことなのだ。史学科の人々は百年前や二百年前を「このあいだ」と称し、見てきたようにものを言う。わたしは彼らのそのような悠長さを好きだが、本学でもっとも「不要不急」とされて組織再編の話まで出ているのはこの史学科である。

 午後の試験の途中で唐突に気が遠くなった。それまで経験したことのない強烈な眠気だった。右手の爪を左手に食い込ませて深呼吸し、かろうじて事なきを得たが、毎年経験している試験監督であんなに眠くなるなんてショックだった。
 短い休憩中にそのような話をすると、主任試験監督の教授が言った。それ酸欠。授業中の居眠りもだいたいは酸素の薄さが原因なの。寝るっていうか、停止しそうになるの。あのね僕らもう大量の仕切りが顔の前にあるからね、空気、薄いの、がんばっていっぱい息しないと、死ぬよ。

振り袖レンタル、誂え、スーツ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。成人式がよぶんかどうかは微妙なところらしかったけど(わたしの住んでいるところでも直前までやるようなことを言っていた)、感染状況がえらいことになって結局やらないことになった。
 わたしは今年新成人だから、残念かと言われれば、そりゃあ残念だ。でも泣くほど残念ではない。正直そうなるんじゃないかなという気はしていたし、地元の友達に会いたければ自分で会えばいいし、着物はまた着ればいいやと思う。振り袖一式を予約していたレンタルのお店からも、日をあらためてかまわないという連絡があった。
 母にそのことを伝えると、母はみかんを剥きながら、そしたらまたの機会にして、そのときに写真を撮りましょ、と言った。おばあちゃんも呼んで撮りましょ。成人の日だったらおばあちゃん来られなかったんだから、かえっていいかもね。
 祖母は地方都市に住んでいて、そこでは東京との行き来で感染した人がいるために、実際的な健康問題より風評を怖がって祖母は東京に来ない。わたしたちにも来るなと言う。もう少し状況が変わったら行けるから、と言う。わたしは祖母が好きだから振り袖で祖母と写真が撮れるなら成人の日に何もなくてもまあいいかなと思った。

 うちではその程度だった。要するに親もわたしも成人の儀式みたいなものにそんなに興味がないのだ。父に至っては「着物なんざ二十一でも二十五でも三十でも着りゃあいいだろう。おれも着ようかな」などと言っていた。父自身は成人式に何もしなかったらしい。
 しかしすべての二十歳がそのような状況にあるかといえば、そんなことはない。大学の友人の中には一生に一度の思い出がふいにされたと嘆いている子もいる。

 大学外の友人たちはどうだろうと思って連絡をとってみた。まずは洋子ちゃん。洋子ちゃんはわたしの幼友達で、裕福なおうちの娘だ。洋子ちゃんは振り袖のレンタルなんかしない。「おばあさまが昔着ていたものを受け継ぎたかったけれど、背丈が違いすぎるので、誂えていただくことになった」と言っていた(LINEで)。なんかこう、すごい。
 洋子ちゃんは成人式がなくなったことについてはかなり悲しんでいた。でもそれは振り袖の問題ではないみたいだった。洋子ちゃんはそもそも振り袖なんか二十歳前からばんばん着ているのだ。
 洋子ちゃんとのLINEでおもしろかったのは、「誂えてもらうのもいいけれど、やはりおばあさまやお母さまの振り袖を受け継ぐのがいちばん」という価値観がある、という話だった。洋子ちゃんいわく、「ざっくり言うとそのほうがエライみたいなところある」。洋子ちゃんはその手の価値観をよく理解しているけれど、染まりきってもいないので、成人式の衣装にまでランクをつけるなんて、品がない、とも言っていた。

 次に連絡したのは佳奈ちゃん。佳奈ちゃんはわたしの中学校の同級生だ。区立中学だったからいろんな子がいたんだけれど、佳奈ちゃんは簡単に言うとお金がないおうちの子だった。佳奈ちゃんはぶっちぎりで成績がよく、わたしの母なんかは「塾にも行かずにすごいわねえ、ああいう子がいちばんえらいわ」と感心しきりだったけれど、佳奈ちゃんが努力する子になったのは佳奈ちゃんが追い詰められていたからで、そんなのを良いと言うべきじゃないとわたしは思う。
 佳奈ちゃんもまた、振り袖のレンタルなんかしない。そんなお金はないのだ。スーツ一着で成人式も就職活動も卒業式もやっつけるのだと言う。
 成人式がなくなったのは残念かと聞くと、いやそれほど、と佳奈ちゃんは言った。でもせっかく買ったスーツだから着たかったな。入学式なんか高校の制服のスカートとセーターで出たからね。
 佳奈ちゃんに洋子ちゃんの話をして、そういうのってどう思う、と聞くと、たいへんそう、と佳奈ちゃんは言った。お母さまやらおばあさまやらの振り袖が重宝されて女ばかりが着飾る文化っていうのは、つまり、女が客体でありつづけている文化ってことじゃん、それを引き継げって言われてるようなもんじゃん、わたしだったら逃げる。

 佳奈ちゃんのことを、成人式に着物も着せてもらえないなんてかわいそう、と言う人はいるだろう。もしかしたら洋子ちゃんのこともかわいそうと言う人はいるかもしれない(家に縛られている的な意味で)。でもわたしたちはもう大人だから、かわいそうではない。式が中止になっても、かわいそうではない。成人の日の夜、わたしは晴れがましい気持ちで、祖母と写真を撮る計画を立てた。

年頭所感、または退屈に殺されなかった日々

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人々が移動しなくなり、特定の産業では業界全体が大きな打撃を受け、各社に激震が走った。僕の会社もそのひとつだ。
 僕の会社といってもほんとうに僕のものなのではなくて、当たり前だけど、株主のものである。僕は経営上の責任者にすぎない。すぎないが、着任した途端に疫病が流行したので、去年は、なんていうか、死ぬかと思った。俺と会社の両方が。

 僕は生え抜きのトップではない。疫病前にすでに斜陽だった会社の刷新のために外資出身の人間を入れるという人事であって、そんなに華やかな話ではなかった。トップになる数年前に入社し、諸々のしくみを変え、そのプロセスでさんざっぱら人に憎まれ、そののちに就任、直後の疫病禍である。新社長(僕)は病むか辞めるか自殺するのではないかと、もっぱらの噂だった。
 もちろん僕は死んだりしない。死にそうだとは思った。そして僕は死にそうだと思うような状況が実は好きなのだ。子どものころからスリルに目がなく、退屈がほんとうに嫌いで、安定という語になんの魅力も感じたことがない。
 だから、誰にも言わないけれど、疫病下で会社も業界もめちゃくちゃになって毎日大嵐の中で舵取りしているような状況を、僕は楽しんでいる。死にそうなのが好きで、死にそうじゃないほうが個人的には死に近い、そういう人間なのである。

 だから僕はもちろん辞めないし病まない。なんならめちゃくちゃ健康だ。こういう楽しい(すなわち過酷な)状況ではいつも頭をクリアにしておきたいので、早起きして筋トレとかヨガとかやっている。間食はスムージーや素焼きのナッツである。
 退屈な時期にはそんなものに見向きもしない。酒量が増えて他人のアラばかりが見え、食に対する興味が薄れて、運転中隣の車線の車が蛇行した瞬間なんかに「あのトラックがこっちに突っ込んできてクラッシュしたとしても、まあいっかな」と感じて自分でびっくりする。その種の不健康さにつける薬は困難な課題しかない。そしてこの状況下での会社経営ほど困難な課題もそうそうない。

 僕の精神はそのように奇矯なところがあるけれど、それでも邪悪ではないので、他人の不幸はいやである。世界をよくしたいと思う。いや、まじで。実際のところ、それ以外に長い長い人生の退屈をしのぐための目標として適切なものがないのだ。
 そういうのを邪悪と呼ぶか心優しいと呼ぶかはその人の勝手である。もちろん僕はそんなこと人に話しやしないから、どうとも呼ばれない。自分でもどうとも思わない。

 とりあえず僕の会社とグループ企業で働く大量の人々によき雇用関係を提供したいと思う。あわよくば業界を改革してもっとたくさんの人の生活を向上させたい。それが今の僕を支える退屈しのぎのゲーム、僕を生かす重要な課題である。
 だから疫病自体は憎い。憎いのに、僕に毎日のスリルを提供しているのもまた、疫病なのである。
 感染症の流行がおさまって僕の会社が安定するといいと思う。でもそうしたら僕はどうなるのだろうとも思う。社長就任のニュースで年齢が強調される程度には若く、感染症に対するリスクが低いグループに分類される、やたら身体頑健な、だからきっとこの疫病で死ぬことのない、僕は。

 社員向けの年頭所感のライブ配信の原稿をチェックする。自分の作文ながらたいへんエモエモしい。そういうスピーチは得意なほうである。慰撫と鼓舞、共感と挑発。そんなのはもちろん茶番だ。でもみんな茶番が好きなのだ。誰にも予測できない困難の中、それでも勝つのだという演説。

 勝ったらどうなるのだろうと僕は思う。これ以上の困難はきっとない。今の会社を軌道に乗せたあと別の潰れそうな会社に雇ってもらったとしても、ここまでの嵐はきっと来ない。
 舌の裏が甘苦くなるような重圧。判断材料も時間も足りないまま迫れられる選択。「知るかバカ」と叫んで床にひっくりかえって暴れたくなるような予測不可能なできごと。僕はそのような困難たちを愛していて、そして今、思いもよらない相思相愛を得てしまった。永遠の愛を誓いたい。でも僕の相思相愛の相手は永遠ではないし、永遠であっては世界が救われないし、なんなら僕も救われない。

 疫病はいつか収束するだろう。僕の会社は劇的に回復するかあっけなく潰れるか、するだろう。そのときのことを、僕は意識して考えない。

きみに来るサンタクロース

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。その影響でペットを飼い始めた人の数が前年比で十五パーセント増えたとのことだ。わたしもそのひとりである。数年後に犬を飼うつもりだったのを前倒しした。
 子犬が家にいるというのは貴重なシチュエーションなので、幼犬のうちに友人たちにたくさん遊びに来てもらった。なかでも小さい子どもたちのいる友人にはことのほか喜んでもらえたので、わたしも嬉しかった。

 忘年会を兼ねたホームパーティで子どもたちに再会すると、彼らはクリスマスにもらったプレゼントをひとしきり自慢し、それから言った。りんちゃんは何もらったの。
 りんというのはわたしの犬の名である。わたしはおやつセットと新しい首輪の写真を見せ、これ買ってあげた、と言った。すると子どもたちは顔を見合わせて尋ねるのだった。サンタさんには何もらったの?
 しまった、とわたしは思った。自分に子どもがいないのですっかり忘れていた。日本の多くの未就学児ないし児童にはサンタクロースが来るのだった。わたしは冷静をよそおって彼らに教えた。りんは犬だから、サンタクロースは来ない。サンタクロースは人間の子どものところに来るんだ。すると彼らはめげずに言う。サンタさんに頼んであげたらいいのに。そしたら来るよ。
 そういうシステムになっているのか。なるほど、保護者がサンタクロースに依頼する形式であれば、子のほしいものを的確に買ってやることができ、合理的である。しかし、子どもはあくまで保護者ではなくサンタクロースに頼んでいるのだから、とんでもないものを欲しがった時に困るのではないか。それこそ犬とか、カブトムシとか。ぜったいいるだろう、冬にカブトムシほしがる子。サンタクロース特別法により生体の輸送は禁じられている、みたいなサブストーリーが必要である。

 子どもたちが遊んでいるのを横目に大人たちの飲み会をやる。今年は参加者がふだんの半分しかいない。感染症のリスクがあるからだ。わたしたちはそのことにすでに慣れてしまった。それぞれが私的な人間関係にカテゴリを作り、会ってよい相手とそうでない相手を明示的に分けることに。中には同居家族のほかには誰にも会わないという人もある。
 それにしてもどうしてサンタクロースはこんなにも長く定着しているのかね、とひとりが言う。日本人には宗教的な背景もないんだから、要するにやたら手間のかかる作り話じゃん。廃れてもおかしくないと思う。でもわたしたちが子どものころからずっとずっと続いているでしょう。保護者の側、大人たちの側がサンタクロースの話を好きなんじゃないかと、わたしなんかは思うんだよね。そういうファンタジーを必要としている。空から誰かがやってきてすごくいいものをくれるというお話を。

 わたしは友人の話を聞きながら、なるほど、と思う。わたしが子どもたちと話しているときにサンタクロースのことを忘れていた理由は、自分に子がないからというだけでなく、わたし自身にはサンタクロースが来たことがないからである。そういう生育環境ではなかった。
 でもわたしもサンタクロースの話は好きだ。わたしが小さかったころには、友だちの両親が「おまけのサンタクロースだよ」と言ってプレゼントをくれた。男の子からはじめてプレゼントをもらったのもクリスマスで、パッケージにサンタクロースのシルエットがついていた。
 そういうのは「本物」のサンタクロースじゃない、と言われたこともあるけれど、わたしは本物だと思う。だって、サンタクロースはお空からやってきてすごくいいものをくれるのでしょう? 赤の他人がやさしくしてくれるなんて、ほんとに空から落ちてきたいいもの以外の何者でもないよ。わたしは自分もそのようなものでありたいと思うよ。

 飼い犬におやつセットを買い、友人の子どもたちにちょっとしたプレゼントをあげた。でもまだクリスマス的にじゅうぶんではないな、とわたしは思う。もうクリスマス終わっちゃったけど、わたしは職業サンタクロースじゃないから、ちょっとくらい遅れてもいいのだ。誰に何をプレゼントしよう。
 わたしは毎月、発展途上国の女子教育に定額を寄付しているのだけれど、今年の年末はそれに加えてどこかに寄付をしよう。なにしろこの状況だから、まずは医療従事者、それからふだんから鑑賞者としてお世話になっている芸術系のどこかに寄付しよう。なぜならわたしはサンタクロースだから。

夫の無職とわたしの生活

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、疫病とそれに対する政策のあおりをうけた企業の事業撤退や縮小、売却、倒産が相次いだ。わたしの夫の職もそのようにしてあやうくなった。だから無職になると夫は言い、そうかいとわたしはこたえた。
 夫は自分がこれまで身につけたスキルを検討し、疫病下の世の中では買いたたかれると判断して、しばらく社会人向けの職業訓練プログラムに(オンラインで)通って、それから転職するということだった。真面目である。わたしだったらしばらく不貞寝してると思う。あと一日中ゲームやってると思う。

 Zoom会議をしていると生活音が入る。もうみんな慣れっこだが、今日の相手からは、ご家族いらっしゃるんですか、と訊かれた。いますとわたしはこたえた。ご主人ですかと重ねて訊くので夫ですとこたえた。お仕事なにしてる人ですかと訊かれたので無職ですとこたえた。相手は沈黙した。そして話題を打ち合わせ内容に戻した。やった、とわたしは思った。二人きりの打ち合わせでやたらとプライベートなことを聞きたがる相手で、ちょっと困っていたのだ。

 晩ご飯を作りながらことの顛末を話すと、彼はそりゃあいいねえと言ってげらげら笑った。わたしたちはおしゃべりだ。わたしたちはともに料理をする。交代ですることもある。どちらもしないこともあるし、どちらかだけができないこともある。その場合はカネで解決する。
 わたしたちは掃除が嫌いで、たがいの持ち場にいやいや掃除機をかけている。一ヶ月に一回掃除日をもうけ、ふだんはろくにしない拭き掃除や磨き掃除をやって、「なんて立派なんだ」「掃除をするなんて偉大なことだ」と互いをたたえてその日は豪華な外食をする。

 わたしは夫を恋愛的な意味でも好きだが、それはたまたまである。わたしが彼を選んだのは生活のためだ。わたしの理想の生活のためだ。わたしは誰かと一緒に住むならカネも手間も二分の一ずつ持ち寄りにしたかった。名前のついた家事を分担するだけではない。女だけが洗面所を拭いたりタオルを取り替えたり麦茶を作ったりトイレットペーパーを補充したりするのでない家にしたかった。苦手なことがあれば口に出して話して割り当てを調整する、そういう関係がよかった。だから夫を選んだのだ。
 たとえ「女だから」系の要求がなくても、たとえばわたしの掃除は雑だから、日々の丁寧な掃除を要求する人とは暮らせない。そういうこまごまとした相性が合うことは大切だ。なにより理屈の通じない人とは暮らせない。理屈の通じない人はいっぱいいる。夫は理屈と感情でしか話をしない。そして「これは感情の話」とちゃんと言う。そこが最高だ。

 そこまで話すと夫は薄ぼんやりした顔で、理屈と感情以外になんかあんの、と言う。だって私生活だよ、理屈と感情以外に判断要素なくない?
 規範、とわたしは言う。常識、と付け加える。当たり前、とたたみかける。夫は掃除日以外に掃除の話をされた時と同じ声音で「あー」と言う。その存在は知っています、という程度の意味である。それから言う。
 なんかこう、人格がそういう変なルールでできてる人、いるよね。色恋とか結婚とかの話でとくに目につく。尊敬しちゃうような女にはたたない系の男とか、男の名刺と結婚しちゃう系の女とか。それはまあ好きにしたらいいんですよ、そういうフェチなんだから。ある意味すごく高度な変態だ。ペアーズのプロフで抜けるんじゃねえか? すごいな。エコだ。だけど俺に同じタイプの変態になれと言われても困る、俺のフェチは別のところにあるので。
 わたしは「口が悪い」と繰り返しながらげらげら笑い(わたしも口が悪いのでお互い様である)、それから、彼には彼の鬱屈と憎しみがある、と思う。恋愛と結婚を切り離して考えない、そのくせ旧来型の性役割分担には乗りたくない、彼の。

 わたしたちは行けなくなった海外旅行の話をする。わたしたちはベランダのプランターで育てている植物の話をする。わたしたちはたがいの友人の話をする。それからもちろん、わたしたちの生活の話をする。今週の買い出しの日程を決め、年末年始のたがいの予定を確認し、洗濯機の買い換え計画を延期する(夫の就職が決まってからということで)。
 夫はわたしと一緒に暮らし始めたとき、「完全なイーブンはまぼろしだけど、フェアであることはやめたくない」と言っていた。そしてそれは嘘ではなかった。そんな男は石油王より貴重だとわたしは思っている。いや、石油王を兼ねてくれてももちろん大歓迎だけど。おもしろそうだから。

僕の無職と妻の関係

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕の勤務先は人が出歩かないと儲からないところだったので潰れた。
 そこで今後を案じて新しい技能を身につける勉強をしつつ、しばし無職を楽しむことにした。ほんとうは無職になったら世界一周したかったんだけど、僕が世界一周できる状況だったら僕は無職になっていない。つらいところである。
 僕はふだんの生活にあまりお金をかけないたちだから、貯蓄でしばらく保たせることにした。疫病のために人づきあいも極端に減ったから、家賃もふくめて月に十万あれば生活できる。
 もちろんひとりきりだったら、いくら質素でも十万じゃやれない。でも僕には同居している結婚相手がいるからやれる。人間は寄り集まって生きると安く上がる。家賃も光熱費も食費も、二人で住んで二で割れば、一人暮らしよりずっと安い。安く上げてできた余剰で子どもや病人をやしなうといいよなと思うけど、しばらくは無職の自分をやしなうことにする。
 そこまで話すと友人は絶句し、奥さん怒ってるんじゃない、と言った。僕はちょっとびっくりして黙り、それから言った。なんで。僕が僕の職を変えるんだよ。僕が一時的に無職になるんだよ。妻、関係なくない?

 いや、あのね、と友人は言った。あのね一般的に夫が無職になると妻はショックを受けてネガティブな感情を持つのよ、なんなら離婚になるかも。
 僕は反論した。それはさ、割り勘じゃない家のことでしょう。所得の高い夫が妻に家事をまかせて生活費を出す家もあるもんね、そういう家なら、夫が退職したら妻も失職するようなものだから、夫が勝手に無職になったら、そりゃ困る。あと、一緒に貯金をしている場合も相手の稼ぎがダイレクトに影響するな、そういう場合も結婚相手の所得が減ったら気を悪くするかもわからない。
 でもうちは家計も家事も割り勘、育児も発生してない、貯蓄も別。だから僕が無職になっても妻が怒る理由はない。えっと、僕が無職期間のあと就職できなくて自分のぶんの生活費が出せなくなったら怒るかもわからない。結婚すると相手に扶養義務があるから、そりゃ怒るよね、元気で働ける状態なんだから自分の分は自分で出せって言うと思う。でも、僕は就職できる。最悪できなくてもうちの家計負担なんてバイトで稼げる程度なんだよ。だから妻が怒る場面は生じない。実際「無職まじうらやま」って言われた。相変わらずご機嫌な女なんだ。

 友人は絶句し、ちょっとまって、と言った。僕は待った。友人は言った。きみはある意味で立派だ。すがすがしいほど理屈に合っている。だが世の家庭の大半はそういう理屈が通るところではない。えっと、多くの人にとって、結婚するということは、収入の一定以上が、なんなら全部が、「家のお金」になることなの。そんでだいたいの場合、女の人が家のことをするの。たとえ収入が同じでも。
 僕はびっくりした。いつの時代の話だ。「家の金」ってなんだ。意味がわからない。もちろん離婚する時の共有財産の扱いは知ってる。別れる予定はないけどいちおう書面を作ってある。でもそれは個人と個人の財産の話だよ。江戸時代じゃあるまいし、「家」なんてないよ。人が寄り集まってるだけだよ。それに僕は、女性のほうが多く家事をしがちなのは労働形態や収入格差のせいだと思っていた。経済的に同等の夫婦でも女の人が家事や育児をやるのか。それじゃ稼いでる女の人が結婚したくないの当たり前じゃん。
 そのようにまくしたてると友人はあわれみをこめた目で僕を見て、ピュア、と言った。理屈どおりに生きている。個人的には、きみにはそのままでいてほしい。でもひとつ聞きたい。どうして結婚したの。その考え方だと結婚する意味、ないでしょう。

 僕は迷いなく、めんどくさかったから、と答えた。僕も彼女も旅行が好きで、一人旅もやるんだけど、たとえば片方が旅行先で事故にあったとき駆けつけやすいのは戸籍が入ってる相手で、そうじゃないとものすごくめんどくさい。引っ越しのときにも籍が入ってないと「どういうご関係ですか」とか聞かれてめんどくさい。うるせえと思う。キモいと思う。だから結婚した。親もそのほうが安心するって言うし。なんで安心するかはいまだにわかんないけど。まあ僕の親はあんまりものを考えないタイプだから、みんなと一緒がいいんだろうね。

 僕がそう答えると友人は苦笑し、きみもある意味で考えてない、と言った。でもそういう「考えなさ」、良いと思う、どうかそのままでいてほしい。