傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

都心のスケッチ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの自宅である麻布十番近辺の人通りはおそろしく減った。それから少し戻り、また落ち着いた。ここは繁華街とも住宅街とも言い切れず、古くからある町工場も残っていて、どうにも「こういうエリアです」と言い切れない。都心ではあり、しかし交通の便がよいとはいえない。そうして典型的な夜の街である六本木から徒歩圏内である。六本木にたむろする連中は徒歩でなんか来やしないが。

 わたしの自宅は施設に引っこんだ祖母から借りているもので、古いが手入れは行き届いている。というかわたしが維持のための手入れや事務作業をしている。家賃は身内価格で十万円、管理費として二万円が割引かれ、わたしの支払いは月八万円である。
 わたしが子どもの時分、十番は陸の孤島で、母に連れられて祖母の家に遊びに行くときには都バスを使っていた。移動距離は一桁キロなのに、「おばあちゃんちはちょっと遠い」と思っていた。
 祖母の私室には書棚と文机があるきりで、押入れの中が完璧にオーガナイズされていた。ものが置かれていない畳はいつもかたく絞った雑巾をかけられていて裸足に心地よかった。畳のお部屋はそういうふうにしつらえておくものなの、と祖母は言っていた。わたしはもう腰がきついからワイパー使ってるけどね。いいわよあれは。あれに薄い雑巾をつけたら、そりゃあ具合がいいものよ。
 祖父母宅はわたしが生まれる前に全面改築してバスルームも整備されていたのに、祖母は施設に入る直前まで区の小さいバスに乗って銭湯に通っていた。近ごろは浜松町まで行かないとちゃんとした銭湯がないのよ、と祖母はぼやいた。困ったものだわね。お風呂がせせこましいなんて嫌だわ、わたし。

 そんなわけでわたしは現在ひとり住まいである。勤務先は頑張れば徒歩圏内、疫病以降は出社と在宅が半々で、だから運動不足だ。在宅勤務は個人的に嫌いではないが、歩く距離が減る。
 それで近所を走る。マスクをつけても窒息しない程度の速度でぽくぽくと走る。暑くなってからは夜が多い。かつては人通りが多くて場所を選ばないと快適なジョギングはできなかった。今は表通りをすいすいと走ることができる。

 近所を走る。往時に比べてたいそう少ない酔っぱらいたちとすれちがう。自分だけは疫病にかからないと思いこんでいるのか、ひとにうつしても構わないと決めこんでいるのか、「感染症対策として怪しい薄手の布マスクをつけるより、つけない方を選ぶ」というポリシーを持っているのか(今やサージカルマスクも手に入りはするのだが)、あるいはなにも考えていないのか、感染症対策として適切な距離を保てない場所でもマスクなしの人が散見される。
 馴染みのレストランをはじめとする近所の飲食店は意外と潰れていない。飲食店が来客を入れることができなかった期間にテイクアウトなどでささやかに応援していた身としては嬉しい。今は規制が緩んでいる時期だが、それでも営業は二十二時まで、店によっては二十時で閉める。週末にコースを予約して行って二十時で帰るなんてギャグみたいだと思う。
 馴染みのレストランの、「ここはフォーマルでない店だから」という矜恃でもって美しいカジュアルを崩さないソムリエールが「じつに無粋ですが」と言いながらグラスをふたつ並べ、「終わりまでのお料理に合わせて選んだものです」とうつむいて微笑んだ、その眼窩と鼻筋のかげりを思い出す。

 帰宅してシャワーを浴びる。金曜日だから少し夜更かしをしたいように思う。六本木方面に少し歩いて、「闇営業」をしているバーへ行く。法的に規制されているのではないから二十二時以降にやっていたって「闇」ではないのだが、従業員が看板を下ろして顔見知りだけ入れているのだから闇っぽさが高い。
 近ごろは良いウイスキーがやたらと安い。カウンターの向こうを睨めつけて一杯頼む。隣にいるのはいかにもこの土地に来そうな、札束で磨かれたごとき男女である。家賃二十万くらいに下げたいな、と隣席の女が言う。そうそう、とわたしは思う。こういう、出どころのわからないカネを持ってそれをばんばん落としてくれる人々のおかげでこの(旧)陸の孤島は潤ってきたのである。家賃八万円のせせこましい勤め人だけでは、行きつけのレストランだって値段を上げなければ経営が成り立たないだろうし、そうしたらわたしは行けないだろう。

 自宅に戻る。静かである。この静けさはいかにも住宅街である。近所の豪邸の庭で虫が鳴く。虫たちが秋を呼んだところで、世界は元に戻らない。 

疫病と様式

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。夫は出勤せざるをえないが、わたしはリモートワークが主になった。子どもが生まれてすぐから頼りにしている近隣に住む母を呼ぶことはためらわれた。疫病は高齢者において重症化しやすいとわかっていたからである。
 わたしは努力した。わたしはキャリアの上でも重要な局面を迎えていた。そのタイミングで疫病の時を迎えたので、足元を見るかのように「ITに弱い人たちのサポート」という名のしりぬぐいがたっぷりやってきた。わたしはあまり眠らなかった。眠らなくても平気なような気がした。そうしてわたしは布きればかりを70万円ぶん買った。

 買いすぎているという自覚はあった。だって服なんてそんなにたくさんは要らないからだ。一点一点に執着しないから買ったぶんだけ捨てる。だから収納があふれることもない。しかし収納はそもそも非常に大きいのだ。夫が着るものにさほど頓着しない上に、子どももまだ小さいから。

 買い物は好きだ。ファッションも好きだ。覚えているかぎり思春期からずっとそうだ。中年期には体型が変わるし、変わった体型なりに運動をしたりして引き締めて、それでまた変わる。だから着るものの更新が必要だったことも事実だ。

 それにしても数か月で70万円は、ない。わたしは可処分所得の中でかなりの部分をファッションに費やしてきたが、「可処分所得の中で妥当な金額」の範囲でしかなかった。数か月で70万円は、ない。ぜったいにない。そういう富裕な人間ではない。何かがおかしい。
 同世代の気の置けない同僚にこのことを話すことにした。給与水準が同じだからである。それから同僚は基本的に他人にそれほど強い関心がなくて、個人的な話をしたところで誰かに言いふらすことはほぼないからである。なんなら話した晩のうちにその内容を忘れる。良くも悪くも、そういう女である。

 液晶画面の向こうで同僚はあははと笑って、そりゃあずいぶんと張り込みましたねえと言う。高いもの買っちゃうときって、ありますよねえ、私はだいたい航空券にぶっこみますけどねえ、おしゃれな人ならそれが服飾品ということも、あるでしょうねえ、何いっちゃいましたか、ファインジュエリーですか、ハイブランドの鞄ですか、両方かしら。

 同僚は勘違いしている。わたしはこのところバッグを買っていない。アクセサリーはガラス玉でかまわないタイプだ。靴や下着は勘定に入れていない。申告した金額は街着だけの価格だ。今や着ていく場所もない、布きれだ。わたしは夜間にどれだけ働こうと、たまった家事に追われていようと、睡眠不足なのに目が冴えて眠れなかろうと、決まった時間に起きて、毎日ちがう布きれを着る。そうしてしっかりと化粧をする。

 そのように説明すると同僚の顔はすっとまじめになり、少し黙って、お洋服を買うのは、決まったお店ですか、と訊く。同僚の言いたいことはわかっている。買い物をしすぎる人のうち、一定数は買うものより店舗の人々との関係のために買い物をする。
 わたしはそのようではなかった。感染リスクを鑑みて店舗に行くことを控えている。出かける暇もない。わたしのサイズに合うとわかっているものばかりをインターネット経由で買う。ドライヤーで髪を乾かしながら買ったことさえあった。

 同僚が口をひらく。通信が少し遅延する。通信でなく同僚が遅延したのかもしれない。今となってはその区別はつかない。同僚はコマ送りで口をひらく。やけにあざやかな、電話よりも立体的な声で、言う。それは正しい消費です。浪費ではない。

 あのね、私にはわからないことだけれど、完全に想像なんだけど、それは疫病の時の前から続く儀式が膨れ上がったものなんです。「新しい生活様式」とやらが政府から喧伝されているでしょう。勝手なことだ。ひどいことだ。様式は時間をかけて開発されるべきものです。為政者が簡単に「変えろ」と言っていいものではない。ひどく野蛮な物言いですよ、「新しい生活様式」!

 だから私はぜんぶ取り替えました。ええ、このご時世にあって、引っ越しなんかしてやりましたよ。そうして犬を飼いました。ええ、不要不急です。見ますか? よしよし、ごあいさつなさい。うふふ、かわいいでしょう。不要不急ちゃんです。嘘です。名前はちゃんとつけた。

 ねえ、様式を奪うなんて、それを指定するなんて、ひどいことですよ。だからこうなる前の服をたくさん買うなんて、したらいいんですよ。破産するほど買っているのでないんだから。買い物なんて、そりゃあもう、罪のない抵抗ですよ。

ぐれてやる、息子とふたりで

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。学校は不要で不急だったらしい。ふーん。知らなかった。そんなわけで親業の内容はふくれあがった。授業なし、給食なし、子ども同士の遊びなし。親御さんがどうにかしてあげてくださいね。

 わたしはもとより「母親らしさ」みたいなものに興味がない。夫の親戚の集まりで「やっぱり母性本能がある」などと言われて鼻で笑い、帰宅後に夫から真顔で「あんなところに呼んでごめんね」と言われた女である。手料理なんかもともとたいして好きではない。だから徹底的に手間を省くことにした。

 家の大人二名は仕事をしている。半ば在宅になったとはいえ、業務量は変わっていない。だったらこの上昼食の支度なんかしてたまるかと思った。業務用冷凍食品を多用し、息子には「昼食は自分でやっていいよ。納豆ごはんとか。納豆のタレ以外もいろいろ試して感想聞かせてほしいな、そういうの研究っていうんだよ、結果が楽しみだなあ」と指示した。夫には、しばらく貯金なんかできなくてもいいし部屋が多少きたなくてもいいから楽をしようと提案した。母性本能? けっ。なんという非科学的な信仰。

 わたしに「母性」なんてものはない。あるのは「同じ家に住んでいる子ども(息子)の健康状態をそこそこ良好に保てる環境を用意し、同じ家に住んでいる大人(夫)と助け合って暮らしたい」という気持ちだけだ。そのためには第一にわたしが過労に陥らず、機嫌よく暮らし、家計の半分をになう稼ぎを維持できなければならない。この家の残りのメンバー二名はわたしのことが好きなので、わたしが病気にでもなったらとても悲しむだろう。そんなのはかわいそうである。だからわたしはわたしに楽をさせなければならない。マンションのローンは割り勘だけど名義人はわたしなのだし。

 だからわたしは冷凍餃子を焼く。だからわたしは夫の料理をおいしく食べる(夫の料理は野菜をたくさん使っているし丁寧だから好きだ)。だからわたしは生協の宅配を使う。だからわたしは乾いた洗濯物をたたまずにソファの隅に山にしておいてそこから取って使う。洗濯物は干さない。ふだんは晴れたら外に干していたが、子どもが家にいるようになってからは電気代など気にせず乾燥機を使いまくっている。節約? 知るか。そんなものよりわたしの機嫌と夫の睡眠時間のほうがよほど大切である(わたしの睡眠時間はもともと短めである)。掃除もめんどくさいからロボット型掃除機を買った。今は二万とかで買えるのだ。ルンバもどきである。そいつのボタンを足で押す。掃除、以上。拭き掃除? ああ、世の中にはそんなものもあったな。

 自分の体形とかもこのさいわりとどうでもいいので、腹が立ったら夜中にポテトチップスを一気食いしている。そのときは息子も夜中にお菓子を食べていいことにしている。だから息子はわたしの職場のトラブルをちょっと楽しみにしている。仕事でいやなことがあると、ぐれてやる、とわたしは言う。そして息子とコンビニに行く。夫はそれを「不良たちの夜」と呼んでいる。

 友人にそのような話をすると、友人は画面の向こうで笑い、それから眉をくもらせ、でも、と言う。でもルンバとか買うのは罪悪感があって。料理もやっぱりしてあげないとって。

 罪悪感、とわたしは言う。罪悪ということは断罪する人がいるんだよね。誰それ。あるいは断罪する基準があるんだよね。法律みたいな。あるいは宗教みたいな。ルンバかっちゃいけない法とか手料理しなきゃいけない法典とかあるの?

 わたしが夜中にポテトチップスを食べることを「ぐれる」と呼ぶのは「健康と見た目によくない」と思っているからだ。健康とか見た目とかを一時的にぶん投げるのは楽しい。わたしはそれを「ぐれる」と呼ぶ。あなたもぐれたらいいのにと、わたしは友人に言う。わたしはルンバ的な掃除機を使うことにも冷凍食品を多用することにも罪悪感なんかないけど、あるなら捨てたら? つまり、ぐれたら? 非常事態なんだから。

 友人は笑う。そして言う。そんなことできるはずがないでしょう。夜中のポテトチップスとはわけがちがうのよ。いいえ、夜中のポテトチップスを「母親が手料理を作らない」くらい悪いと思っている人もいるかもしれないけど、まあとにかく、わたしにはできないの。

 そう、とわたしは言う。じゃあ夜中のポテトチップスだけでもやってみたらどうかな。楽しいよ。それか納豆ごはんにいろんなものをかけてみるとか。息子は最近マヨネーズをかけているよ。

うしなわれた毛づくろいを求めて

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの仕事ではときどき要で急とみなされる業務内容があるらしく(それを判定するのは上司というより「空気」であり、とらえどころがなさすぎて、わたしには「気分」と区別がつかない)、週に二度ばかり出社している。

 社屋の中で人とすれちがう。すでに身に着いた動作で距離をとる。目だけを合わせる。わたしは目だけでほほえんでいることを伝えることができるようになった。近隣の部署には会釈がとてもうまい人(今日はテンションが高いな、今日は疲れているみたい、くらいのことがわかる)、ハンドサインであいさつをする人などがいる。わたしたちの口元がマスクでおおわれて久しい。表情がわからないと人間は不安になるので、それぞれが代替となる表現方法を身に着けているのだと思う。新しい「表情」を会得していない人はなんとなし温度が低く見える。動いているのに景色に埋め込まれているように見える。

 同僚がわたしのデスクに近づいてきた。ゆっくりと近づき、「適切な距離」を置いて立ち止まった。他人に声を出させる回数は少ないほうがいいので、「適切な距離」で止まった相手はわたしに用事があると察するようになった。近ごろはそうした相手の姿が視界の隅に入っただけで気づく。わたしがそっと立ち上がってからだの向きを変えると、同僚はしぐさだけで「お邪魔します」というような意味内容を表明した。

 同僚の用事は明後日の会議の根回しだった。必要十分な声で、同僚は話した。はい、そういうわけで原案に強い反発は予測されないのですが、できれば補助的な説明をしていただけると安心だなと、こういう次第です。

 わたしはうなずく。わたしのうなずきの種類は疫病以降飛躍的にこまかくなった。「聞いていますよ」「ふむ」「なるほど」「わかります」「賛成です」「実にまったくそのとおりだ」などなど。この同僚は眉の動かしかたがうまい。そのテクニカルな眉によって言葉数を疫病前の半数程度に削減しているのではないかと思う。

 同僚が自席に戻るとわたしはマスクを少し持ち上げて息を吸った。気分がよかったのだ。会議の根回しなんてほんとうに久しぶりだった。そんなものが禁じられる世界になるなんて誰が思っていただろう。

 根回しがうれしかったのではない。何がそんなにうれしかったのかと、自分で不審に思う。相手が好きな人とかだったらともかく、良くも悪くも普通の同僚だというのに。わたしは同僚との会話を頭の中でリピートする。たいした内容ではないと思う。重要なことではないし、感情をやりとりしているというのでもない。

 わたしを喜ばせたのは同僚その人ではなく、会話の内容でもない。わたしは他人と他愛ない話をすることに、きっと飢えていた。発話が制限される世界では、伝える意味のあること、重要なことが優先される。意味のないことや些末なことは優先順位の下のほうでひっそりと待つ。順番なんかきっと来ないのに。

 疫病前にこんなにも意味のある会話ばかりしていたことがあるだろうか。いや、ない。わたしは無駄な会話をたくさんしていた。意味のない会話をしていた。あいさつなんてその最たるものだ。ようやく梅雨があけましたね、とか。

 そういうものがわたしを安心させていたのだと思う。敵意のないこと、少なくともことばが通じることを始終示されて、それでようよう、この複雑な社会を生きてきたのだろうと思う。相手がそこにいることを認めるための意味のないことばを交わすこと。内容のないしるしを交換するようなこと。毛づくろい的なコミュニケーション。

 それは戻ってこない、とわたしは思う。少なくとも年単位で戻ってこない。もしかするとずっと戻ってこないのかもしれない。そんなぜいたくは同居している家族にだけしかできなくなるのかもしれない。

 電車に乗る。電車の中で突然誰かが話しはじめる。そういう症状の持ち主なのかもわからないと思う。彼のまわりから人が引き、そのぶん人と人とのあいだが詰まった。誰も誰とも目を合わせなかった。わたしも合わせなかった。かなしかった。声をかけたかった。人と間隔を詰めざるをえないとき、失礼、と声をかける、そういう者のままでありたかった。わたしはさみしかった。もうすぐ家に着くのに、家に着いたら家族がいるのに、わたしは彼らと仲がよくてたくさん話すことができるのに、それでもとても、さみしかった。

 

わたしのかわいい放浪

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、不要不急の代表格である旅行が好きな人間はだいぶ弱ってきた。わたしもそのひとりである。

 わたしが思うに旅行好きには二種類あって、きちんとしたレジャーとして旅行したい人と、遠くへ行ってふらふらすること自体をやりたくてしかたない人がある。後者は要するに放浪癖のある連中である。移動していればそれだけで薄ぼんやりと嬉しく、なんとなし元気になる。

 わたしもそのひとりだ。三日も休みがあれば、「あれやりたい、とくになにもないと言われる地方都市で駅からスタートしてひたすら地名を読んだり方言を聞いたりするやつ」と思い、それより多くの休みがあれば、「あれやりたい、東南アジアでぺろぺろのTシャツにサンダルで歩き回って屋台で名前のわからない麺をすすったりするやつ」と思う。ストレスがたまると「パリに移住して美術館の掃除をする係になる」とか「ニュージーランドで羊飼いに弟子入りする」とか「スコットランドの島で醸造所をいとなむ老人と意気投合して跡を継ぎ、ウイスキー作りに後半生をささげる」とか言い出す。負荷がかかったときの妄想がぜんぶ「遠くへ行く」なのである。

 そんな人間が疫病下における移動の制限にダメージを受けないはずがなく、わたしも旅好きの仲間たちもどんどん弱った。少しだけ移動の制限が緩和された時期があったので、それぞれが勇んで近場に行った。過去には旅行とカウントしなかったほどささやかな移動であったのに、わたしたちはおおいに喜んだ。わたしのスマートフォンには、「息がしやすくなりました」「どうしても取れなかった肩こりが治った」「眼精疲労が回復した」「道行く人々がみな頼もしく美しく見える」などといった、あやしげな健康食品の宣伝文句みたいなメッセージが次々に届いた。

 しかしわたしたちはふたたび、県境を越える移動を禁じられた。禁じるのは政府や自治体だけではない。人々が相互に監視をし、圧力をかけあっている。疫病はもはや「外から来る連中が持ち込むケガレ」である。うすうす気づいていたのだけれど、この事態はきっと何年も、どうかすると十年単位でおさまらない。わたしたちは長いあいだ、居住地に縛られて生きていくしかない。

 つまり、わたしたちはわたしたちの放浪癖をなだめる手段をもはや持たないのだ。数日の休みが決まった瞬間に航空券を押さえて「そんなところに何をしに行くの」と言われるような旅行をすることはこの先もうないのだ。世界はすっかり変わってしまったのだ。元になんか戻らないのだ。そしてわたしは世界の一部であって、だからわたし自身も元には戻れない。

 頭の中は自由だと、わたしは思っていた。しかし、空想上の放浪のイメージさえしだいに貧弱になり、解像度がどんどん下がっている。わたしは愕然とした。わたしの空想が貧しくなったことがかつてあっただろうか。空想はいつもわたしの味方で、つらいときにはよりいっそう鮮やかにわたしを包み込んでいたというのに。

 わたしはメモを手にとって考える。旅行・旅・放浪のメタファーになりうる行為を列記する。直接手に入らなくなったものにはメタファーを通してアクセスするよりほかにない。わたしはわたしの放浪をあきらめるつもりはない。かつて「そんなところに何をしに行くの。意味ないでしょ」と言われたとき、わたしは気取ってこうこたえた。「わたしのかわいい休暇は百パーセントわたしのものです。だから意味があるかどうかはわたしが決めます」。

 わたしはわたしの持って生まれたものをだいたい愛している。そのほうが生きるのが楽ちんだからである。自分の外見をだいたい好きだし、自分のことをいいやつだと思っている。放浪癖についても、だから手放すつもりはない。わたしはわたしの顔をかわいいと思うし、わたしの放浪癖だってかわいいと思っているのだ。

 そうしてわたしは文章を書きはじめた。読書はもともとするし、あれがいちばん旅に近い。でもそれだけではだめだ。わたしはもっと遠くへ行きたい。わたしのたましいを遠くにやるのは、画像や映像ではないようだった。また、書くにしてもあることをそのまま書いても、遠くには行けない感じがした。そんなわけでわたしはフィクションを書くことにした。いろいろ試してみたところ、フィクションを書いているときの感覚がもっとも旅をしているときの感覚に近いからである。

世界を試す

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、世界はすっかり変わってしまった。そのためにわたしは無意味な賭けごとがしたいという気持ちでいっぱいになっている。

 学生の時分に何度か酔っぱらって路上で寝た。文字通りの睡眠ではないが、つぶれていたことはたしかである。そのころわたしは若い女であり、特段に身を守る能力もなかったから、どう考えても危険だ。

 酒が好きでつぶれるまで飲んでいたのではない。今となっては若い自分の考えていたことはよくわからないが(日記を読んでも「どちらさまですか」「たいへんそうですね」と思う)、少なくとも酒自体を好んでいたのではなかった。若いころから飲む機会がなければ飲まなかったし、今でもそうだ。食事とともに二杯か三杯がせいぜいである。

 そんなだから、若いころのわたしはたぶん、飲みたかったのではなく、酔いつぶれたかったのである。もっと正確に言うと、酔いつぶれて悲惨な目に遭うか遭わないかという賭けをしたかったのだと思う。

 二十代半ば以降のわたしは今のわたしとのあいだに強い連続性があり、日記を読んでも「どなたさまですか」とまでは思わない。どうやらそのあたりからわたしは、「世界はそれほど悪いところではなく、わたしはそれほど悲惨な境遇に陥らない」という信念を持っている。

 もちろん世界には暴力と死があふれている。疫病の前から、理不尽と悲惨にあふれている。しかし同時に世界には美があり、驚きがある。若いころのわたしは(日記によれば)世界の美と悲惨の双方をすでに知っていた。日記にそう書いてあった。要するに若者が芸術や恋愛で多幸感をおぼえたり、身近な人が死んで嘆き悲しんだり、そういうありふれた生活をしていたわけだ。

 そして若いわたしは世界の両義性に耐えられなくなった。どちらかにしろと思っていた。世界よ、美しくあるか、悲惨であるか、はっきりしてくれ、と思っていた。直接のきっかけは大学の友人が死んだことだと推測される(そのことは日記には書いていない。中年になったわたしの推測である)。友人が死んだのに腹は減るし、夕焼けは美しい。それに耐えられなかったのだと思う。

 今のわたしからすると、その程度の両義性に耐えられないのは未熟としか言いようがないし、世界がおまえの単純な頭に合わせるわけないだろと思うのだけれど、でもまあしかたない。要するに幼かったのだ。

 そして若いわたしは大量の酒を摂取して路上にへたりこんだ。結果、一度は水のペットボトルをもらい、一度はマンションに送ってもらい、一度はしっかり歩けるようになるまで公園のベンチで付き添いをしてもらった。

 わたしは賭けに負けたのだ。三回勝負して三回とも完敗した。わたしは財布を取られず、暴行されず、放置さえされなかった。わたしは世界が美しいことを認めざるをえなかった。そして今のわたしと連続性のあるわたしができあがったのだーーたぶん。

 けれども今、わたしはもう一度、世界を相手に賭けをしたくなっている。疫病の蔓延で薄く複雑な恐怖がわたしたちを覆い、そのくせ日常はだらだらと続いている。会う人間が制限され、そのために私的関係を選別しなければならず、楽しいことや美しいものにアクセスする方法も減っている。世界は、もしかして世界は、やっぱり、ただ悲惨なだけの場所なのではないか。

 わたしはおそらくそのように感じたのだ。だからわたしは唐突に若いころのわたしのことを思い出し、実家から持ってきたきりあけていなかった段ボールを引っ張り出して日記を読んだのだ。

 とはいえわたしは分別盛りである。もう酔って路上で寝たくはない。そもそも酔うための場所だって疫病対策でやけにこまかく区切られて向かいの席とアクリル板やビニール幕で仕切られているのだ。完全に興ざめだし、それすらいつアクセス不能になるかわからない。

 わたしは考える。考えるというほど明瞭ではないぼんやりとした思いをめぐらせる。わたしは賭けをしたい。わたしは世界を試したい。世界の悲惨を引きずり出してやりたい。賭けに勝って、そして、

 わたしははっとする。それから散漫な思考の中身を書き出す。ずいぶんメランコリックである。病的というほどではない(たぶん)。でも気をつけたほうがいい。そのように思う。若かったころの無茶な自分は、いなくなったのではない。彼女はわたしの中にいて、わたしが世界に耐えられなくなったときに出てくるのである。

彼女の最後の犬

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。人が死んで出かけるのは「要」で「急」とされている。しかしこのたび死んだという知らせが来たのは犬である。親戚の犬が死んだから県境を越えて出かけるというのは、今のこの国の基準では「不要不急」である。

 犬はトイプードルで、名をスモモといった。スモモはとてもわがままだった。飼い主はわたしの伯母である。犬がわがままになるのはたいてい飼い主の不適切な甘やかしによるものだけれど、ご多分にもれず、伯母はスモモをそれはそれは甘やかして育てた。

 伯母はしろうとだから、あるいは判断力がなかったから、犬を甘やかしたのではない。トイプードルを飼う前に、伯母はセッターを二頭飼育していた。そのときはまだ伯父が生きていたし、子ども(わたしの従弟)も家にいたが、主な飼育者は伯母だった。犬たちは機敏で物静かで、人間の食べものにはまるきり興味を示さず、とても安定した生き物に見えた。

 セッターは狩猟犬にもなる運動量の多い犬である。伯母はセッターたちに玄人はだしの訓練をほどこし、二頭の犬の仲に目をくばり、甘えがちでも怯えがちでもない、落ち着いた素晴らしい犬に育てた。わたしはセッターたちと伯母が一緒にいるところを見るのが好きだった。ファンタジー小説に出てくる魔法使いと動物みたいでかっこよかったから。

 でも犬は死ぬ。健康的な生活を送っていたセッターたちも死んだ。人間も死ぬ。折悪しく二頭目のセッターの死と前後して伯父が病を得、しばらくして亡くなった。従弟が就職のために家を出てすぐのことだった。

 従弟は伯母を心配し、犬が必要なんじゃないか、もう一度犬と暮らしてはどうかとすすめた。そうねと伯母はこたえた。そして迎えたのがスモモである。従弟の帰省に合わせて伯母を訪ねてスモモと対面し、わたしはたいそう驚いた。わがまま放題の、可愛いといえば可愛いが、あの伯母の育てた犬とはとても思われない、落ち着きのない犬だったからだ。人間がものを食べていると必ず寄ってきて自分にもくれとせがむのである。そんな犬は世の中にたくさんいると思うけれど、わたしの犬の基準はあの優秀なセッターたちだったので、完全にあきれてしまった。

 伯母も伯母である。しかたないわねえなどと言いながら、塩分のないものを少しちぎってその場でやってしまう。なんというけじめのない態度か。トイプードルは警察犬をつとめることだってあるのに。わたしが渋面をつくると、伯母は言った。

 この子はわたしの犬よ。人ではない。人を甘やかしてわがままに育ててはいけない。犬だってそうしてはいけないとわたしは思っていた。でも、犬なら、いいの。わがままが原因で寿命が縮むこともあるかもしれない。それでもわたしはスモモを甘えんぼうの犬にした。わたしの意思で。わたしがそういう犬をほしいというだけの理由で。

 わたしはスモモより先には死なないつもりよ。でもスモモのあとに犬を飼って寿命まで一緒にいることはできないでしょう。だからスモモはわたしの最後の犬になる。最後の犬を、わたしは甘やかした。わたしがそうしたかったから。正しくはないわね。でも正しくないことをしてもいいのよ。わたしの犬だから。子どもではないのだから。わたしはね、犬が自分の子ではなく、誰の代わりにもならないことなんか、よく知っているんです。犬は犬。人ではない。だからカネで買ってきて人にしてはいけないことをするのよ。

 わたしは黙りこんだ。スモモのわがままはごく普通の犬の範疇だ。客観的にみれば、ひどい育て方をされているとはいえない。でも伯母はきっと「悪い育て方をするんだ」「そして自分の、ただかわいがりたいという欲望に都合のいい存在にするんだ」と心に決めて育てたのだ。自分のためにスモモを犠牲にしたと思っているのだ。

 スモモが死んだので伯母から電話が来た。来なくていいわよと伯母は言った。このご時世だし、親戚の犬のことなんかで出歩いたらいけないわよ。東京から病原菌もってきたって言われるわよ。わたし? わたしはスモモが死んだら高齢者住宅に入ろうと思って準備してたから大丈夫よ。

 伯母はゆっくりと言った。犬なんてどうせ死ぬの。わかってて飼うの。スモモが死んだからもうわたしの人生に犬は来ない。都合良くわたしと同時に寿命が尽きる犬はいない。それでもね、犬のいる人生は、とてもいいものだったわよ。