傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

世界を試す

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、世界はすっかり変わってしまった。そのためにわたしは無意味な賭けごとがしたいという気持ちでいっぱいになっている。

 学生の時分に何度か酔っぱらって路上で寝た。文字通りの睡眠ではないが、つぶれていたことはたしかである。そのころわたしは若い女であり、特段に身を守る能力もなかったから、どう考えても危険だ。

 酒が好きでつぶれるまで飲んでいたのではない。今となっては若い自分の考えていたことはよくわからないが(日記を読んでも「どちらさまですか」「たいへんそうですね」と思う)、少なくとも酒自体を好んでいたのではなかった。若いころから飲む機会がなければ飲まなかったし、今でもそうだ。食事とともに二杯か三杯がせいぜいである。

 そんなだから、若いころのわたしはたぶん、飲みたかったのではなく、酔いつぶれたかったのである。もっと正確に言うと、酔いつぶれて悲惨な目に遭うか遭わないかという賭けをしたかったのだと思う。

 二十代半ば以降のわたしは今のわたしとのあいだに強い連続性があり、日記を読んでも「どなたさまですか」とまでは思わない。どうやらそのあたりからわたしは、「世界はそれほど悪いところではなく、わたしはそれほど悲惨な境遇に陥らない」という信念を持っている。

 もちろん世界には暴力と死があふれている。疫病の前から、理不尽と悲惨にあふれている。しかし同時に世界には美があり、驚きがある。若いころのわたしは(日記によれば)世界の美と悲惨の双方をすでに知っていた。日記にそう書いてあった。要するに若者が芸術や恋愛で多幸感をおぼえたり、身近な人が死んで嘆き悲しんだり、そういうありふれた生活をしていたわけだ。

 そして若いわたしは世界の両義性に耐えられなくなった。どちらかにしろと思っていた。世界よ、美しくあるか、悲惨であるか、はっきりしてくれ、と思っていた。直接のきっかけは大学の友人が死んだことだと推測される(そのことは日記には書いていない。中年になったわたしの推測である)。友人が死んだのに腹は減るし、夕焼けは美しい。それに耐えられなかったのだと思う。

 今のわたしからすると、その程度の両義性に耐えられないのは未熟としか言いようがないし、世界がおまえの単純な頭に合わせるわけないだろと思うのだけれど、でもまあしかたない。要するに幼かったのだ。

 そして若いわたしは大量の酒を摂取して路上にへたりこんだ。結果、一度は水のペットボトルをもらい、一度はマンションに送ってもらい、一度はしっかり歩けるようになるまで公園のベンチで付き添いをしてもらった。

 わたしは賭けに負けたのだ。三回勝負して三回とも完敗した。わたしは財布を取られず、暴行されず、放置さえされなかった。わたしは世界が美しいことを認めざるをえなかった。そして今のわたしと連続性のあるわたしができあがったのだーーたぶん。

 けれども今、わたしはもう一度、世界を相手に賭けをしたくなっている。疫病の蔓延で薄く複雑な恐怖がわたしたちを覆い、そのくせ日常はだらだらと続いている。会う人間が制限され、そのために私的関係を選別しなければならず、楽しいことや美しいものにアクセスする方法も減っている。世界は、もしかして世界は、やっぱり、ただ悲惨なだけの場所なのではないか。

 わたしはおそらくそのように感じたのだ。だからわたしは唐突に若いころのわたしのことを思い出し、実家から持ってきたきりあけていなかった段ボールを引っ張り出して日記を読んだのだ。

 とはいえわたしは分別盛りである。もう酔って路上で寝たくはない。そもそも酔うための場所だって疫病対策でやけにこまかく区切られて向かいの席とアクリル板やビニール幕で仕切られているのだ。完全に興ざめだし、それすらいつアクセス不能になるかわからない。

 わたしは考える。考えるというほど明瞭ではないぼんやりとした思いをめぐらせる。わたしは賭けをしたい。わたしは世界を試したい。世界の悲惨を引きずり出してやりたい。賭けに勝って、そして、

 わたしははっとする。それから散漫な思考の中身を書き出す。ずいぶんメランコリックである。病的というほどではない(たぶん)。でも気をつけたほうがいい。そのように思う。若かったころの無茶な自分は、いなくなったのではない。彼女はわたしの中にいて、わたしが世界に耐えられなくなったときに出てくるのである。

彼女の最後の犬

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。人が死んで出かけるのは「要」で「急」とされている。しかしこのたび死んだという知らせが来たのは犬である。親戚の犬が死んだから県境を越えて出かけるというのは、今のこの国の基準では「不要不急」である。

 犬はトイプードルで、名をスモモといった。スモモはとてもわがままだった。飼い主はわたしの伯母である。犬がわがままになるのはたいてい飼い主の不適切な甘やかしによるものだけれど、ご多分にもれず、伯母はスモモをそれはそれは甘やかして育てた。

 伯母はしろうとだから、あるいは判断力がなかったから、犬を甘やかしたのではない。トイプードルを飼う前に、伯母はセッターを二頭飼育していた。そのときはまだ伯父が生きていたし、子ども(わたしの従弟)も家にいたが、主な飼育者は伯母だった。犬たちは機敏で物静かで、人間の食べものにはまるきり興味を示さず、とても安定した生き物に見えた。

 セッターは狩猟犬にもなる運動量の多い犬である。伯母はセッターたちに玄人はだしの訓練をほどこし、二頭の犬の仲に目をくばり、甘えがちでも怯えがちでもない、落ち着いた素晴らしい犬に育てた。わたしはセッターたちと伯母が一緒にいるところを見るのが好きだった。ファンタジー小説に出てくる魔法使いと動物みたいでかっこよかったから。

 でも犬は死ぬ。健康的な生活を送っていたセッターたちも死んだ。人間も死ぬ。折悪しく二頭目のセッターの死と前後して伯父が病を得、しばらくして亡くなった。従弟が就職のために家を出てすぐのことだった。

 従弟は伯母を心配し、犬が必要なんじゃないか、もう一度犬と暮らしてはどうかとすすめた。そうねと伯母はこたえた。そして迎えたのがスモモである。従弟の帰省に合わせて伯母を訪ねてスモモと対面し、わたしはたいそう驚いた。わがまま放題の、可愛いといえば可愛いが、あの伯母の育てた犬とはとても思われない、落ち着きのない犬だったからだ。人間がものを食べていると必ず寄ってきて自分にもくれとせがむのである。そんな犬は世の中にたくさんいると思うけれど、わたしの犬の基準はあの優秀なセッターたちだったので、完全にあきれてしまった。

 伯母も伯母である。しかたないわねえなどと言いながら、塩分のないものを少しちぎってその場でやってしまう。なんというけじめのない態度か。トイプードルは警察犬をつとめることだってあるのに。わたしが渋面をつくると、伯母は言った。

 この子はわたしの犬よ。人ではない。人を甘やかしてわがままに育ててはいけない。犬だってそうしてはいけないとわたしは思っていた。でも、犬なら、いいの。わがままが原因で寿命が縮むこともあるかもしれない。それでもわたしはスモモを甘えんぼうの犬にした。わたしの意思で。わたしがそういう犬をほしいというだけの理由で。

 わたしはスモモより先には死なないつもりよ。でもスモモのあとに犬を飼って寿命まで一緒にいることはできないでしょう。だからスモモはわたしの最後の犬になる。最後の犬を、わたしは甘やかした。わたしがそうしたかったから。正しくはないわね。でも正しくないことをしてもいいのよ。わたしの犬だから。子どもではないのだから。わたしはね、犬が自分の子ではなく、誰の代わりにもならないことなんか、よく知っているんです。犬は犬。人ではない。だからカネで買ってきて人にしてはいけないことをするのよ。

 わたしは黙りこんだ。スモモのわがままはごく普通の犬の範疇だ。客観的にみれば、ひどい育て方をされているとはいえない。でも伯母はきっと「悪い育て方をするんだ」「そして自分の、ただかわいがりたいという欲望に都合のいい存在にするんだ」と心に決めて育てたのだ。自分のためにスモモを犠牲にしたと思っているのだ。

 スモモが死んだので伯母から電話が来た。来なくていいわよと伯母は言った。このご時世だし、親戚の犬のことなんかで出歩いたらいけないわよ。東京から病原菌もってきたって言われるわよ。わたし? わたしはスモモが死んだら高齢者住宅に入ろうと思って準備してたから大丈夫よ。

 伯母はゆっくりと言った。犬なんてどうせ死ぬの。わかってて飼うの。スモモが死んだからもうわたしの人生に犬は来ない。都合良くわたしと同時に寿命が尽きる犬はいない。それでもね、犬のいる人生は、とてもいいものだったわよ。

地面につながる

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。最初の一、二ヶ月くらいはリモートワーク効率的でいいじゃんと思っていたし、Zoom飲みもしょっちゅうやった。僕はわりと社交的なたちで、呼ばれれば行くし、自分が声をかけて人を集めるのも嫌いではない。

 それは事実である。表面的な知人もいれば、胸襟をひらいて親しく話す相手もいる。仕事でいろんな人に会うのも好きだ。会社関係以外にもいくつか仲間を持っている。一人暮らしを満喫しているけれど、家族仲はいい。今どき三人もきょうだいがいる。しかも年が近い。彼らのことはとても頼りにしている。

 しかし同時に僕は基本的に内向的な人間でもある。しょっちゅう漠然とした薄暗いことを考えている。暗いマンガとか暗い小説とかをやたらと読む。たましいが薄暗いのである。僕は思うんだけれど、社交性のある人間が明るくてそうでない人間が暗いなんていうのはまったくの思い込みである。他人とのコミュニケーションが好きでよく笑うおしゃべりな人間であることとたましいが薄暗いことは両立する。どこも矛盾しない。

 不要不急な外出が禁じられても、僕は平気なつもりだった。仕事で対面の打ち合わせができないために起こりがちなトラブルを防ぐ程度の能力はあるし、会話をしたければリモートで話す相手もたくさんいる。疫病の前に恋人と別れたのだけれど、僕が思うに恋人というのはいれば孤独でないわけではなく、場合によってはいるほうが孤独である。

 だから平気なつもりだった。でもそれはある瞬間、静かに訪れた。あれ、と思った。なんだろう。世界が目の前にない感じがするんだけど。

 最初はすぐに元に戻った。体調不良かなと僕は思い、多めに睡眠をとった。睡眠にも支障はなかった。僕はのび太くんのようによく眠る。食事だってちゃんととっている。しかもけっこう健康的なやつを。

 でもそれはまた訪れた。世界が目の前にない感じ。全身が薄いビニールの膜に包まれているような感じ。脳が半透明なゼリーで覆われているような感じ。音は聞こえているのにどこか遠く、目は見えているのにモニタの外と中の区別がつかない。すべてが書き割りめいている。

 ああ、これは、だめなやつだ。僕はそのように直感した。僕は実はぜんぜん平気なんかじゃなかったんだ。これはあれだ、人間が幽霊みたいになっちゃうやつだ。戦後を舞台にしたマンガで読んだことがある。戦場で凄惨な体験をした男が帰国するんだけれど、帰国しても彼のたましいは戦場にあり、だから身体が東京にあっても何の実感もない。

 似ている。感覚としては似ている。でも僕は戦争に行ったわけじゃないから、この男よりずっとダメージが浅いはずである。「ここにいない感」「実感のなさ」だって百分の一とかだと思う。でも、百分の一だろうが千分の一だろうが、それがまずい状態だってことはわかる。えっと、こうなっちゃったら、どうすればいいんだ。

 僕はKindleをあさってそのマンガを取り出してぱらぱら読み返した。たましいを戦場に置いてきた男は商売をしたり戦友と再会したりいろんな人に心配されたり明るいきれいな女の子に愛されたりするんだけど最終的に死んでいた。だめじゃん。仕事しても人に心配されても友情や色恋を得ても結局死ぬんじゃん。

 そういうのではだめなのだ、と僕は思った。誰かに助けてもらうことはできないのだ。だってこれは僕のたましいの問題なのだから。あのマンガの男は戦場からたましいを持って帰ることを拒んだから死んだのだ。僕はそうではない。僕は遊離しつつある僕の薄暗いたましいを、しっかりつかみ直さなくちゃいけない。

 そして僕は外に出た。平日だけれど、昼休み時間帯だからか、近所のちょっと大きな公園には小さい子を連れた家族連れが何組もいた。きっと子どもの保護者たちがリモートワーク中なのだろう。子どもが靴を脱ぎ、父親らしき人があわててそれを拾った。

 これだ。

 僕は芝生の上を裸足で歩いた。ちょっとつめたい地面、草のおもての特有の感触、そのにおい。足の指、土踏まずとそうでないところの境目。かかとの厚い皮膚をくすぐる芝生。

 「今なにしてんの」というLINEが入ったので「裸足で公園歩いてる」と返した。「何その奇行」と返ってきた。僕は笑った。僕は戦争に行ったのではないから、きっと大丈夫だ。小さな疎外が雪のように降り積もっていることを忘れず、それをなめてかからず、足と地面をつけていれば、きっと大丈夫だ。

まろやかな地獄

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。職場においてもできるかぎりのリモートワークが推奨されたが、ものには限度がある。「不要不急」の範囲は感染状況だけでなく政治的な要因で拡大縮小され、さらにそれを「忖度」した人々が他者を監視し、ときに私刑ともいえる行為に至る。まろやかな地獄、とわたしは思う。

 わたしの勤務先で解釈されている現在の「不要不急」度は隔日出社なら良い、というものである。根拠はとくにない。雰囲気である。まわりを見て決めている。魚の群れみたいなものだ。でも先頭の魚は見えない。

 弊社における隔日出社というのは、全社員の出社を平均で半分にするというものである。全員が隔日で出社するという意味ではない。なにしろ外向けに「隔日出社しています」と示すことのほうが大切なので、社員ひとりひとりの労働形態までは気が回らないのだろう。いち管理職のわたしの目からはそのように見える。

 そうなると当然のことながら業務量が多い社員とそうでない社員が出てくる。そうして、弊社の場合には出社する人間はリモートでも補助的に仕事するなどしているために、業務量が多い人間ほど疫病へのリスクも高いという現象が発生している。端的にいって、たいへんに不公平なのである。

 業務の不均衡、感染リスクの増大、コミュニケーション機会の低減、そしてその長期化による倦怠感。当然ながら社員の不満は溶けない雪のように降り積もる。不満がたまった人間はけんかをする。とくにオンラインでのけんかは始末が悪い。対面ならばーっと怒って「ふん」と終わるようなケースでも、文字情報で発言が残ってしまうから、延々と引用しあいながらけんかを継続することが可能なのである。

 わたしの部署でもとうとう派手なけんかが発生した。おとななのに、とわたしは思った。おとななのにけんかをするのだなあ。双方が重要な業務をになっているのだが、双方が「解決しないならこの立場を降りる」とまで言っている。これを解決するのが管理職であるわたしの仕事である。

 わたしはため息をつく。というのも、けんかをしているふたりは部署でもぶっちぎりでよく働いているメンバーだからである。疫病以前から有能な社員だったが、疫病以降はそれがいっそう加速した。非常時には常時の構造が良くも悪くも拡大するものだなあとわたしは思った。

 有能で、責任感が強く、非常時だからと無理もして、ある程度のリスクも飲み込んで、理性的な判断もしている。けんかしている二人は、そういう社員である。未熟だから喧嘩っぱやいのではない。そうでないから負荷が集中して、あるところでぶつかり、そしてキレるのだ。彼らは職能にすぐれた機械ではない。職能にすぐれた人間である。だからいつも職業上有益なばかりの存在でいることはできない。

 わたしがせつないのは、「あいつらけんかしてるねー」「おとなげないねー」みたいなノリでのんきにしている社員たちがたいして働いていないことである。彼らの業務負荷は増えておらず(任せられる仕事が少ないから)、疫病感染のリスクも相対的に少なめであり(どうしても移動しなければならない仕事を任せられる社員ではないから)、他者との調整や難しいコミュニケーション場面も発生していない。仕事ができなければ非常時の負荷も増えない。少なくともわたしたちの仕事ではそうである。

 それではのんきにしている社員たちは悪か。もちろん悪ではない。彼らは彼らにできることをしているし、常時はそれでよいのだ。期待したほどの成果が出ていなくても、責任は採用した会社の側にあり、被雇用者には労働者としての権利がある。非常時だからといって非常な働きをするように求めることはできない。少なくともわたしにはできない。できるのは「お願い」だけである。そして「お願い」を聞いてくれた特定の人に負荷がかかる。

 わたしはため息をつく。わたしはけんかしている社員のそれぞれと面談をする。自費で買ったフェイスシールドをつけて面談する。よく働いてくれているのにごく薄い手当しか出せないことを詫びる。もちろんわたしは、そんなことでものごとが解決するはずがないことを知っている。

 こんなことがいつまで続くのか知らない。仕事があるだけましだと言う人もあるだろう。感染した上で誹謗中傷された患者よりましだという人もあるだろう。そのとおりである。こんなのはまったくましな、些細なことだ。そしてあれもこれも些細だと片づけられるのは、やっぱりまろやかな地獄なのだ。

僕が正常になった日

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。そのために人々は個人的なコミュニケーションに困り、インターネット越しに話したりしていたようである。僕にはそういうのはとくに必要ないのでやらなかった。数ヶ月間くらい私的なコミュニケーションがなくても僕の精神はとくに問題を感じない。個人的な情を交換する会話は年に何度かでじゅうぶんに足りる。疫病のせいではない。もとからである。そういうのを正常でないと言う人もいるんだろうけれど。

 久しぶりに友人と会った。その友人が久しぶりなのではなく、友人という関係の人間に久しぶりに会った。なにしろ僕の友人は一桁しかいない。そのうえで疫病が流行したので、他者がいる空間での食事など一年ぶりである。僕は独居で、遠方に住む血縁者と話したいという欲求もとくにないので(仲が悪いわけではない。単に必要がないのだ)、一年間、すべての食事を黙って一人で食べた。そういうのは正常な状態でないと人は言うのだろうし、だから外出禁止が少しでも緩むといっせいに人と会おうとするんだろうけれど。

 友人はテーブルの向こうにいる。大きなテーブルである。隣のテーブルとも大きく間隔があいている。そういう場所を選んだと友人は言う。どうもありがとうと僕は言う。僕は食が細いし、満腹したらぜったいにそれ以上食べたくないし、酒は一滴も飲まない。他人に合わせて喫食するなんてぜったいにごめんである。友人は僕のそういう性質をよくわかっているから、勝手に好きなものを食べて手酌で日本酒をのんでいる。そして言う。羽鳥さん、ここしばらく、快適だったでしょう。

 僕はうなずく。僕は他人と物理的に接触することが嫌いだ。目の前の友人のような、よほど慣れた人間であれば、たとえば自動車の隣の席に座ってもそれほど不愉快ではない。世の中のほとんどの人間とはそれ以上近づきたくない。僕はそれほどまでに他者との接触や近接を嫌う。職場ではコクーン状の半個室ワークスペースを使用している。就職氷河期世代だったので何度か転職しているが、転職条件のひとつに「じゅうぶんなワークスペース」と明記している。混んだ会議室はひたすらがまんする場所だった。満員電車に乗らないためだけに相当の家賃を負担し、一時間歩いて通勤している。

 そいういうのは正常じゃないと、若い頃はとくにうるさく言われたので、ひどく努力して女性と交際したりもしたけれど、そしてそれはやってできないことではなかったけれど、そのあと「抑うつ状態」と診断された。交際していた人が嫌なのではなかった。他人との物理的接触のすべてが、僕は嫌なのだった。医者にしつこく質問されたのだけれど、僕は人を汚いと思っているのではない。自分を汚いと思っているのでもない。単に皮膚だとかそういうものと接触するのが嫌なのだ。調理のために生肉を触るのが嫌で、生きている他人の身体はもっと嫌だと、そのように感じる。生まれつきそういうたちなのだ。

 でも今、混んだ会議室はない。大量の他人がみっしり詰まった宴席もない。僕はきわめて安定し、仕事のパフォーマンスは向上した。

 友人は言う。羽鳥さん覚えてる? 私が「羽鳥さんに向かって正常じゃないって言ったやつ全員殴りに行く」って言ったときのこと。

 覚えている。僕が抑うつ状態に陥ったとき、最初に気づいたのはこの友人だった。友人は僕の性質をよく知っていた。僕と交際していた女性と親しい仲でもあった。

 正常になろうと努力した、その結果、どうも生きていかれる気がしない。そういうようなことを、僕は述べた。友人は憤怒した。そしてかばんから紙とペンを取り出し、名前を書けと僕に命じた。あなたにそう思わせた人間の名前をぜんぶ書け、ひとりひとり殴りに行くから。そう言ったのだ。

 友人は言う。でも今や世界はこのようになった。人々はモニタや、アクリル板や、ビニール・カーテンや、フェイスシールドや、そんなものをはさまないと、他人と話すことができない。なんならそのうえでマスクをつけている。みだりな物理的接触は悪事になった。ねえ、「正常」なんて、その程度のものですよ。今やあなたは「正常」であり、社会に迷惑をかけない、立派な生活態度の人なのですよ。

 僕は笑う。僕はうつむいて少しだけ笑う。僕はもうだいぶ前から「正常でなくてもよい」と思い定めて生きてきた。でもいざ自分が「正常」になってみると、やはり少しだけ、ほんの少しだけ、嬉しいように感じるのだった。

そしてわたしは嘘をつく

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。しかしながら引っ越しはいまだ認められている。「要」で「急」であるという審査を通るかぎりにおいて。具体的には労働もしくは「家族」の要請するかぎりにおいて。

 この社会は第一に自助、それから血縁・法律婚家族の「絆」で回っている。真実天涯孤独であるならその証明書を出せばしかるべき機関が(ゲットーとあだ名されている)指定住宅を提供する。「福祉」である。疫病が流行しているこの非常事態において許される私用の引っ越しは、家庭の結成と解散、または「福祉」を要するケースのみである。

 わたしの引っ越しは政府の定義における不要不急でない。この国家がこの事態において容認するものではない。わたしは女で、女と暮らしたいのである。

 そんなだからわたしは芝居を打った。わたしは一緒に暮らしたい女を「緊急連絡先の姉」とし、そうして同世代の男の友人を「結婚する予定の人」として連れて、不動産屋におもむいた。そのようにしてわたしは「生家と配偶者をもつ正しい家族」の隅につらなる嘘をつき、引っ越し先を探すことができたのである。一度賃貸住宅に入居してしまえば、契約者であるわたしの「お姉さま」が入りびたっていても、「ご主人さま」の居住実態がなくても、滅多なことではバレない。一名入居として借りて二名住んだら訴訟もありうるので、リスクが段違いである。

 わたしの収入はわたしの借りようとする物件が求める相場の二倍である。そこまで収入をつり上げても自分が選んだ相手と住む部屋を借りることができない。「ご主人さま」の芝居をして相応のリスクを取ってくれるやさしい友人の助けがなければ、借りることができない。

 わたしは良い子の顔をする。わたしは不動産仲介業者に勤務先の書類を出す。収入証明を出す。彼らはにっこりと笑う。わたしは知っている。わたしが馬鹿正直に女と一緒に住みたいと言えば、どういったご関係でしょうか、という慇懃な発言にはじまる長い長い尋問に耐えなければならないことを。「お姉さま」と「ご主人さま」を連れず単独で物件を探し、緊急連絡先に男の名を書けば、その男の愛人として扱われることを。

 この社会において「血縁者なし」「女」「未婚」で生きるための陰に籠もった労力は莫大であり、女が女と住むためにはさらに多くのフェイクを要する。

 わたしはこのような世界に生きていたくない。しかし自分から死ぬことは今のところしないでいようと思っている。だからわたしは嘘をつく。「お姉さま」と「ご主人さま」がいらっしゃって「ご両親さま」がお亡くなりになった、善良で正しい国民の芝居を打つ。

 去年、わたしの知人が引っ越しをした。知人はずっと自由業で、年収はわたしの三分の一ほどである。でも知人は猫を二匹つれてひとりで簡単に引っ越した。ペット可の物件は賃貸物件全体の十分の一しかないから、わたしなどには夢のまた夢である。知人にはまったく夢ではない。緊急連絡先として機能する血縁者を持っているからである。さらに知人は男であり、独身であり、これから結婚して子をなす可能性を思わせる属性にあるからである。そういう「信用のある」人間は簡単に賃貸物件を契約することができる。

 わたしは、親族からそれはそれは陰惨な虐待を受けて十代で家出をし、ひとりで働いて図書館で勉強して大学に行って職について熱心に働いた。そうして法律婚をして子を産むのに向く思想および性的志向を持っていない。だから「社会的信用がない」。嘘をつかなければ賃貸物件のひとつも借りることができない。

 わたしは善良な顔をする。高給取りのエリートの顔をする。名刺を差し出す。いわゆるところの清楚な格好で、女性らしいとされる控えめなそぶりで、言う。お恥ずかしいことですが、事情がありまして、主人ではなくわたしの名義での契約を希望しているんですけれど。

 不動産仲介業者は「配慮しますよ」という顔をする。わたしはあらかじめクチコミで「柔軟」な不動産仲介業者を選んで来ている。わたしは浅く椅子に腰掛け、「ご主人さま」の横でよぶんな口をはさまずにいる。

 わたしはほほえむ。わたしはとても感じよくほほえむ。不動産屋を出て、芝居につきあってくれた友人に頭を下げる。彼はわたしをかわいそうだと思っている。

 わたしは契約書にサインする。わたしは数十万円を支払う。そうしてわたしは、疫病の空気を吸って、そのままいなくなりたいようにも思う。

ステイ、ホーム、ステイ

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。そのためにわたしは血眼で自宅にいながらしてできる賭けを探している。

 公営ギャンブルや商業的なギャンブルはやらない。わたしにはそれほどおもしろく感じられないからだ。小銭を賭けて胴元に一定額を巻き上げられながら勝つの負けるのと言ったってしょうがないと思う。娯楽としてやる人はそれでいいのだろうが、わたしの賭けは娯楽ではない。人生の必須栄養素である。

 わたしは人様に金融商品をすすめる仕事をしている。すすめた銘柄が上がればわたしの勝ちである。確実に上がることなどない。本質的には根拠がない。ないからいいのだ。わたしは会社のカネで賭けごとをやれるから仕事をしているのである。一部の顧客や上司からは「果敢なリスクテイカー」として過分な評価を得ているが、正常なリスクテイカーは「やむをえないと考えてリスクを取る判断力と度胸がある」というような人種だろう。わたしはそうではない。「リスクを取りたくてしょうがない」のである。人知を尽くした、その膨大な労力の上でころがすサイコロ。舌の裏から甘いような苦いような味がして視界がいつもより広く、白くなり、頭が最大限に稼働したあとにこころよく停止する、あの感じ。

 わたしは勝つことが好きなのではない。勝つかどうかわからない状態でベットするのが好きなのである。それがなくては生きていかれないのだ。どうしてか知らない。たぶん生まれつきである。

 友人のなかには疫病以来の生活の静けさと変化のすくなさを愛し、「病気はなくなってほしいけど、個人的にはずっとステイホームしていたい」と言う者がある。信じられない。わたしはホームにステイできない。ていうかホームにいたくない。あんなの棺桶じゃん。わたしはシングルマザーで(子どもとかぜったい意味わからなくて思い通りにならなくて賭けの連続にちがいないと思ってそこらへんでこしらえてきた。実際のところ育児は超スリリングでわたしを思い切りふりまわしてくれたので、産んでよかった)、娘が持ち込む変化があるからまだましだが、そうでなければ家なんぞ棺桶である。せめてベッドと言いなよ、と娘は言う。そして得意のせりふをはく。ママ、ハウス。

 娘は十六である。そうしてその年齢にして自分の母親をしつけのなっていない犬みたいなものだと思っているのである。落ち着きがなく、刺激を欲し、河原に放すとどこまでも走って行く犬。首輪をつけた者がしつけた決まりごと(「待て」「ハウス」くらいのやつ。職業人としてのふるまいとか)はどうにか守る。そうでなかったらとうに死んでいる。というか、中年になるまで死ななかっただけで「賭けに勝ってきた」といってもいい。わたしはその程度の生き物だというのが娘の理解で、わたしはそれをわりと正しいと思っている。

 娘はこの世でわたしに首輪をつけることができる数名のうちのひとりだが、いくら娘に言われても「ハウス」には限度がある。永遠にハウスだかホームだかにステイしている犬はいない。今のところ仕事でのギャンブル(社会的にはまったくギャンブルではないのだが、わたしにとってはそれ以外のなにものでもない)の刺激でどうにか健康を保っているが、私生活での刺激がない状態がこれ以上続いたら早晩「わああああ」と叫びながら往来を走るのではないか。往来を走った結果は目に見えており賭けとしておもしろくないからやらないが。

 不確定要素。わたしは不確定要素がほしい。確定しているなんて、おそろしいことだと思う。いろんな人がだいじにする「安定」というものの価値を、わたしはほとんど感じることができない。たぶん「安定すると死ににくいから良い」という価値観なんだと思うけど、ぜんぜん動かなかったらそれはそれで死んでいるのと変わらないのではないか。生とは動であり、変化であり、未知ではないのか。

 きれいに言うとそういうことである。そういう人間にとって、「他人に疫病をうつさないようじっとしていろ」という通達が長いこと有効である今の社会は、完全なる逆境である。

 わたしは娘に言う。ねえ、あんたの進学費用ね、もう自分で管理できるよね。あげるわ。大学出るまでの生活費もあげる。このマンションもあげましょう。あげたあとも住まわせてくれるならだけど。

 娘は言う。なるほど、親としてのつとめは果たしたから、全財産を投じて賭けをやりたいと、こういうわけか。会社でも作りたい?

 わたしは架空のしっぽを振る。わたしは貯蓄が増えてもぜんぜんうれしくない。消費もそんなに好きではない。そんなものより「明日をも知れない」状態がほしい。