傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

地面につながる

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。最初の一、二ヶ月くらいはリモートワーク効率的でいいじゃんと思っていたし、Zoom飲みもしょっちゅうやった。僕はわりと社交的なたちで、呼ばれれば行くし、自分が声をかけて人を集めるのも嫌いではない。

 それは事実である。表面的な知人もいれば、胸襟をひらいて親しく話す相手もいる。仕事でいろんな人に会うのも好きだ。会社関係以外にもいくつか仲間を持っている。一人暮らしを満喫しているけれど、家族仲はいい。今どき三人もきょうだいがいる。しかも年が近い。彼らのことはとても頼りにしている。

 しかし同時に僕は基本的に内向的な人間でもある。しょっちゅう漠然とした薄暗いことを考えている。暗いマンガとか暗い小説とかをやたらと読む。たましいが薄暗いのである。僕は思うんだけれど、社交性のある人間が明るくてそうでない人間が暗いなんていうのはまったくの思い込みである。他人とのコミュニケーションが好きでよく笑うおしゃべりな人間であることとたましいが薄暗いことは両立する。どこも矛盾しない。

 不要不急な外出が禁じられても、僕は平気なつもりだった。仕事で対面の打ち合わせができないために起こりがちなトラブルを防ぐ程度の能力はあるし、会話をしたければリモートで話す相手もたくさんいる。疫病の前に恋人と別れたのだけれど、僕が思うに恋人というのはいれば孤独でないわけではなく、場合によってはいるほうが孤独である。

 だから平気なつもりだった。でもそれはある瞬間、静かに訪れた。あれ、と思った。なんだろう。世界が目の前にない感じがするんだけど。

 最初はすぐに元に戻った。体調不良かなと僕は思い、多めに睡眠をとった。睡眠にも支障はなかった。僕はのび太くんのようによく眠る。食事だってちゃんととっている。しかもけっこう健康的なやつを。

 でもそれはまた訪れた。世界が目の前にない感じ。全身が薄いビニールの膜に包まれているような感じ。脳が半透明なゼリーで覆われているような感じ。音は聞こえているのにどこか遠く、目は見えているのにモニタの外と中の区別がつかない。すべてが書き割りめいている。

 ああ、これは、だめなやつだ。僕はそのように直感した。僕は実はぜんぜん平気なんかじゃなかったんだ。これはあれだ、人間が幽霊みたいになっちゃうやつだ。戦後を舞台にしたマンガで読んだことがある。戦場で凄惨な体験をした男が帰国するんだけれど、帰国しても彼のたましいは戦場にあり、だから身体が東京にあっても何の実感もない。

 似ている。感覚としては似ている。でも僕は戦争に行ったわけじゃないから、この男よりずっとダメージが浅いはずである。「ここにいない感」「実感のなさ」だって百分の一とかだと思う。でも、百分の一だろうが千分の一だろうが、それがまずい状態だってことはわかる。えっと、こうなっちゃったら、どうすればいいんだ。

 僕はKindleをあさってそのマンガを取り出してぱらぱら読み返した。たましいを戦場に置いてきた男は商売をしたり戦友と再会したりいろんな人に心配されたり明るいきれいな女の子に愛されたりするんだけど最終的に死んでいた。だめじゃん。仕事しても人に心配されても友情や色恋を得ても結局死ぬんじゃん。

 そういうのではだめなのだ、と僕は思った。誰かに助けてもらうことはできないのだ。だってこれは僕のたましいの問題なのだから。あのマンガの男は戦場からたましいを持って帰ることを拒んだから死んだのだ。僕はそうではない。僕は遊離しつつある僕の薄暗いたましいを、しっかりつかみ直さなくちゃいけない。

 そして僕は外に出た。平日だけれど、昼休み時間帯だからか、近所のちょっと大きな公園には小さい子を連れた家族連れが何組もいた。きっと子どもの保護者たちがリモートワーク中なのだろう。子どもが靴を脱ぎ、父親らしき人があわててそれを拾った。

 これだ。

 僕は芝生の上を裸足で歩いた。ちょっとつめたい地面、草のおもての特有の感触、そのにおい。足の指、土踏まずとそうでないところの境目。かかとの厚い皮膚をくすぐる芝生。

 「今なにしてんの」というLINEが入ったので「裸足で公園歩いてる」と返した。「何その奇行」と返ってきた。僕は笑った。僕は戦争に行ったのではないから、きっと大丈夫だ。小さな疎外が雪のように降り積もっていることを忘れず、それをなめてかからず、足と地面をつけていれば、きっと大丈夫だ。