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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

義務と娯楽

 お疲れ、と言う。つかれた、と彼女は言う。教科書どおりの膝下の礼服を着て二重のパールのネックレスをさげ(一重でないのは弔事でなく慶事であるというコードのひとつだ)、よく見れば生け花としてはやや前衛的に配した生花を胸につけている。
 そのコサージュ、かっこいいね。生花みたいに見えるけど、ツヤ感からするとそうではないみたい。私が言うと、この世のコサージュは九割、だせえ、と彼女はつぶやく。でも式典でアクセサリーが足りないと「先生、もう少し華やかにしてくださいね」とか文句言われるじゃんか。慶弔両用の服だからよけいに。両方買いたくねえよ、だりい。しょうがないから自分で無難かつ許せるデザインで束ねたのを友だちに教わって加工したんだよ。この花はもう死んでる、完全に死んでる、生花に見えたらならマキノの目は相変わらず節穴だな、昔から、あんたは、目が悪い、生きてる花は汁とか出るし式典のあいだに萎れるじゃん、だから、固めるの。なんなら人間の死体だって水気をプラスティックに置き換えて保管できるんだよ、知ってる?
 私はその加工の手法を尋ね、彼女は生き生きと解説する。彼女の脱いだ上着が椅子の背から床に落ちそうだから私は勝手に店の人に預ける。今日は彼女の勤務する高校の卒業式である。謝恩会やパーティは別日程だから、彼女いわく「消化試合」だという式典のあと、私たちはコーヒーを飲んでいるのだった。
 どこへ出しても恥ずかしくない立派な装いですよと私は言う。でもあなたの職場にはあなたより服装のいいかげんな人だっているでしょうよ、芸高なんて芸術家の集まりなのだし。そう言うと彼女は鼻で笑い、いるに決まってる、とこたえる。ああ、いるさ、でも彼らには権力があるんだ、権力か、または実績が。わたしにはない、あるいは足りない、だからわたしはコードを遵守してわたしの絵を描く時間と場所をもらうんだ。それしかわたしのできることはないんだ。
 彼女は高校生の時分に私の高校の近所の高校にいた。近隣の合唱部で集まって年に何度か合同練習をしていた。私は陸上部から駆り出された助っ人で(陸上部とサッカー部は足が強く、脚力と声量はおおむね比例するために、多少なりとも音程が取れる者はだいたい合唱コンクールに駆り出される)、彼女の高校はホールが広いから何度か合同練習に行った。
 私たちは公立高校ばかり集まったエリアにいて、彼女が属していたのは芸術系の高校だった。ホールが広いのも当然だ。彼女はそのころから絵描きだった。だから歌わない。ステージコーディネートに駆り出されてつまらなそうな顔をしてザーッと舞台をととのえ、でも袖で歌ってくれと頼んだら私よりはるかに上手かった。当たり前だよと彼女は言った。わたし、マキノのとことか、駅前の男子校みたく、模試でいい点とるんじゃないからさあ。
 私は彼女をだから、立派な人間だと思う。ちょっと意味がわからないくらい絵を描けて(ほんとうに見たらなんでも描けるのだ、なんでも)、立体造形もいけて、絵を教えるのもうまくて、学生時代あれだけ呑んだくれてたのに美術の教員免許だって取ったし、高校生の時分から今の今まで「あさ起きるのだるい」って言ってるのに毎日高校に出勤しているのだ。本質的にはぼろいジャージ着て猫背で口開けてぼけっとしていたい人なのに、こんな、顔に粉を塗って、まっとうな社会人みたいなふりして。
 疲れたね、と私は言う。学期末、ちゃんとした人のふりをして、疲れたよね。疲れたよお、と彼女はこたえ、それから、しょうがないからさあ、とつぶやく。
 彼女は「実家から通えるし学費が安い」という理由で国立の芸術大学に入り、「みんなの言うことがむつかしい。あと年上ばかりだ」という理由でときどき私に愚痴を言いに来て、今では高校の美術準備室を占拠して、私に展覧会のチケットをくれるけれども、「きちんとする」のが嫌いなのは高校生の時分から変わっていない。
 彼女は付け襟をがばりと外す。背中からなにかを引き出す。畳石めいた青の四角、あいだには青白いバロックパール。それらが支えるのはコサージュの中央の花によく似た繊細で複雑な白の造形、刀の影の残る彫刻だ。彼女の「きちんとしなければならない」象徴としての本真珠のネックレスは二重を解かれ、長く下がってその脇役におさまる。私はため息をつく。いいね。その花の彫刻はなあに。真珠母貝のばかでかいやつを彫ったんだ、と彼女はこたえる。義務があるなら義務の中でで遊ぶんだ、わたしはそのうちこれをコサージュだと言い張って使うよ。さあ、遊びに行こう。

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