傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

口説く男を憎まないためのたったひとつの条件

 そうだ今日は男の人から口説かれたのに不愉快じゃなくてね。不愉快じゃないのは珍しいからうれしかったよ。つきあうことはないだろうけど、なんだか感謝しちゃう、私の世界の殺伐度がすこし下がった気がするから。
 彼女はそのように話す。殺伐度、と私は思う。いいことばだ。殺伐とした心境にもいろいろなレヴェルがある。そしてある種の人間は人生のおおかたの時間、殺伐と無縁ではない。私もそうだし、目の前の友だちもそうだ。私たちはだいたい暗い。少女のころから夢とか希望とかはあんまり持っていなかった。生き延びることが最優先で、その先のことはとくに考えていなかった。そのような戦略によって私たちは生き延びた。「生き延びた」といえる境遇と年齢にあっては、殺伐とした部分はおおよそ保険みたいなもので、いざとなったら発動する非常用装置のひとつにすぎない。存在意義はあるし、今さら追い出すわけにもいかないくらい一体化してもいるけれど、あんまり重くなってもらっては困る。
 そこまでは共通している。あとはそれほど共通していない。たとえば彼女は外見と外面がたいそう良いのでしょっちゅう男の人から言い寄られている。私が見ても綺麗なのでまったく自然なことだと思う。美はいいものだ。好きになるのも当たり前のことだ。私だって最初はあんまり美しいから声をかけたのだ。十六のとき、高校の教室で。
 彼女は自分の外見のために言い寄られることに文句はない。四十ちかくなったら半分に減ったというけれども、半分いるならかなり残留率が高いと思う。けれども質が変わらないから私にとってはとくに変化がない、と彼女は言う。質というのは言い寄る男の外見でもなければ中身でも属性でもない、と言う。
 彼女は食事を終え、お行儀わるく頬杖をついて言う。私は、あまり人を好きにならない、だから、ちょっと気に入った程度でも、好きになったら手が早い、男の人たちより。そんなわけで、私を口説くのは私の積極的な恋愛の対象じゃない人がほとんど。だからこそ、その男にとって私が「人間であるか否か」が、ものすごくよくわかるの。目が曇る要素がないから。
 彼女は私を見る。それから念を押す。ねえマキノ、私を見てほしいとか、私を好きになってほしいとか、私たち、思ったことないでしょ。ないね、と私は言う。恋も欲望も、ただ湧いて出るか、あるいは「いまはよほど不快じゃなかったらだいたいOK」かだから、相手にも求めない。見た目とか雰囲気とか流れとかで全然かまわない。あとで私という個人を見るかどうかは問題になるけど、所詮は、あとあとの話。
 ねえマキノ、と彼女は言う。私が私を口説く男の少なくとも八割を憎むのはなぜだと思う。私はぼんやりと空想してこたえる。私の数少ない経験によると、それは相手が自分を見下しているからだね。はなから所有できるモノであると思っているから。
 半分正解。彼女はたのしそうに笑う。ねえマキノ、私は、見下されたって、べつにかまわない、選んだ相手に選んだあいだだけ見下されるのはたのしいゲームだよ。でもね、私を自分と同じ人間だと思っていない人間が口説いてくるのは不愉快でしかない。遊びとか真剣とか関係ない、椅子で殴りたくなる。
 椅子で、と私はつぶやく。椅子で、と彼女は繰りかえす。だって仕事上の都合でふたりきりになったとたんずうずうしく距離つめてごちゃごちゃ言い出すやつ、いっぱいいるよ。同席者が席を立った瞬間に変貌するのもいる。私を自分と同じように仕事している同じ人権を持つ人間だと思ってない。そこで私が席を立てば、いい年して自意識過剰、とか言って笑って、立たなければどっか触ってくるか、それと同然のせりふを吐く。椅子で殴りたいのも当たり前じゃないか。
 でも今日はそうじゃなかったんだねと私は言う。だからよかった、と彼女はこたえて、ちょっと笑う。ねえ、私はそこいらのおばさんで、そこいらのおじさんがまっとうに私を口説くのは、とても自然で、貴重なことだよ。斜め前の席をキープしたまま、私を、勝手に触ったり暴言を吐いたりしていいモノとして扱わないで、下心を上品に開示して、私の反応をみてさっさとそれを引っこめて、なんだか華やいで楽しそうに笑ってて、ねえ、私は、ああいう人ばかりなら、私の中身なんかなんにも知らなくても、外見しか見てなくても、なんかのフェチでも、ぜんぜんかまわないよ、今日は友だちと食事があるからってそのまんまの理由で帰ってきたけど、気が向いたらお食事なんかしちゃうし、気が変わったらつきあうかもしれないよ。私は私を、人間として扱ってさえくれたら、それでいいんだよ。