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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

もう手放しで憎めない

 育児休暇中の里佳子さんが赤ちゃんを連れてあいさつに来た。赤ちゃんはなにしろ小さかった。小さいねえ小さいねえと言うと里佳子さんは可笑しそうにだって赤ちゃんだものとこたえた。母子の通された空き会議室には入れ替わりいろんな社員が訪れていた。里佳子さんはにこにこ笑って、変わっていないように見えた。
 私がデスクに戻ろうとしたとき先輩が里佳子さんに尋ねた。その声はさりげなさを装うことにあきらかに失敗していた。この先輩はお芝居というものが一切できないのだ。旦那さまはお元気。彼女の発言とともに空気の色がわずかに変わり、ええとっても、と里佳子さんはこたえる。家事が行き届かなくなって機嫌悪くなるかと思ったらそうでもないのね、子どもがいるといいわね、ちょっと散らかっててもそんなに怒られないの。私たちはそっと目を合わせ、早すぎも遅すぎもしない完璧なタイミングで辞した里佳子さんを見送り、女ばかり三人で昼食に流れた。
 私まだ納得いかないわあ。里佳子さんの夫について尋ねた先輩が言う。彼女は臨月まで平気で働いて、子育ての負担は夫婦できれいに分担している。当たり前でしょ、あんたも親でしょ、私たちふたりが親でほかに親はいないんだよと、彼女は夫に言ったのだそうだ。彼女は率直で丈夫で実務的な能力にすぐれ、だから正しさをそのまま生活の型に適用することができる。彼女のところに会議の根回しに行った人が面と向かって「これは根回しです」と言ったという話が最近のヒットで、つまりは根回しを根回しと明言しないとわからないくらい、籠もったことに縁がない人なのだった。
 でもみんなが先輩みたいに生きているわけではない。里佳子さんの夫の抑圧的であることを、この席にいる人たちは知っている。里佳子さんは夫を愛しているのでそれをまるごと飲みこんでしまう。私たちはそのことに対してなにもすることができない。けれども私たちは里佳子さんをうっすらと見張っているというか、見守っているというか、どうしてかそれぞれが里佳子さんを、忘れることができないでいた。
 後輩が身を乗り出して私の目の前でてのひらを振り、私はああ、うん、とこたえる。槙野さんぼんやりしすぎと先輩が言い、槙野さん基本上の空ですしと後輩が言う。でも珍しいねと先輩が言う。槙野さん前は里佳子旦那の話するたびに鼻に皺が寄ってたじゃん。もう嫌悪感むきだし。私はあいまいにうなずいて、他人の生活に口を出すつもりはないよと言う。里佳子さんがそういう人を愛して結婚するのは里佳子さんの自由だと思ってるよ。ただ個人的に、そのような人をとても嫌いだったの。嫌いだった。後輩から時制を返されてそう、と私は小さい声でこたえる。今も嫌いだけど、なんだか、手放しで憎めなくってねえ。もしも私にすごく鬱屈がたまっていて、それで男だったら、きっと誰かを食べさせてあげて、そうしてその人を始終見下して暮らすんじゃないかって、そう思うんだよねえ。
 生きたサンドバッグを欲するような邪悪な欲望は私にもある。伴侶をそのように取り扱っても外からはわからないような、伴侶ががまんせざるをえないような環境が整備されていたら、そうしてきつい負荷がかかりつづけて私のなかにある沼みたいなものがじわじわと大きくなったなら、私はその誘惑に乗るかもしれないと思う。里佳子さんの夫と同じ立場に立ち、そうして鬱屈の種があったなら、食い扶持を出すくらいで精神的に殴り放題の相手ができるなんて安いと感じるんじゃないかと思う。
 先輩はボールみたいなハンバーグをもりもり食べている。私の手は止まっている。私の食欲はどこへ行ってしまったんだろうと私は思う。私の食欲は有能で(おなかがすくとなんにもできなくなる)安定していて(人が死んでも食べ物を要求する)育ちが良い(ジャンクフードに触発されない)。私のかわいい食欲はいったいどこへ行ってしまったんだろう。
 つまり、と後輩が言う。里佳子さんの旦那的な人間は制度と文化にスポイルされてできた存在であると、槙野さんはこう言いたいわけですね。彼らが特別に邪悪なんじゃなくって、彼らの邪悪さをひどいかたちで具現化する装置があったのだと。彼らと自分はたいして変わらない。それに気づいてしまったから、もう手放しで憎めない。後輩はそのように解説し、私は力なくうなずく。
 そうしたら先輩はあっけなくそれを切って捨てた。ばかねえ槙野さん、槙野さんが男になったってそんなことするはずないじゃないの。ああいう男はね、遠慮なく憎んでやればいいの、想像力を及ばせる必要なんか、一グラムだってないんだからね。