傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女の負債と有罪

 私たちは空想上の通帳をあいだにはさんで難しい顔をしていた。空想上のでないものをテーブルの上に置くことはなんだかできなかった。安全のためというより違和感のために、私たちはそれができないのだった。にぎやかな駅の前にはほとんど必ずあるようなチェーン展開のありふれたカフェのありふれたテーブルの上に個人名の通帳を置くことがどうしてか耐えられない。むきだしの通帳が似合うのは誰かのおうち、でなければ銀行のカウンタだけだと私は思う。
 それは彼女が彼女の若いころに助けられた「おばさま」のために就職以来ずっと貯めていた預金で、今ではけっこうな金額になっていた。おばさまとは言うけれども血はひとつもつながっていない。わけあって血のつながった人間が誰ひとり彼女の身分を保障しないので、なにかというと保証になる人間を求められた若いころはとくに、彼女はおばさまに助けられていたのだった。おばさまは大胆な嘘だってついた。必要とあれば、ほんとうの叔母のふりをした。たとえば親族の保証がないと入れないアパートを借りるときなんかに。ばれませんかねえと彼女が訊くとおばさまはふふんと鼻で笑い、ばれないわと請け合った。だって私が叔母じゃなくてただの「おばさま」だってことを調べるほど彼らはひまじゃないから。そんなコストをかけられるような商売はしていないから。
 そのようにして彼女はおばさまに助けられていた。親がいないなら親代わりに会いたいと彼女の恋人が言ったとき、おばさまはもちろん彼に面会した。彼女とおばさまが出会ったのは彼女が十九のときで、あらゆる意味で親代わりではなかったけれども、おばさまはなにしろ必要とあればなんのふりでもするので、「親代わり」の芝居などお茶の子さいさいというやつだった。なんならバージンロードだって歩くからねとおばさまは言った(けれども彼女いわく親族のない人間と結婚するとメリットが小さく彼女にはそれを上回るメリットを与える手段もないので結婚はしないのだった)。
 私は彼女からおばさまについての話を何度か聞いていた。だから私たちが目の前に置いたつもりになって見つめている通帳をおばさまに渡すことに強く反対した。そんなことをしたらおばさまはがっかりするかもしれない、と私は言った。借金を返すならともかく、あなたは、お金は借りていないんだから。
 お金じゃないものはいくらでも借りてると彼女は主張した。お金のなにがいけないの、お金は清潔で折目正しいよ。お金はいいやつだよ。彼女はそう言う。私はゆっくりとことばを選び、結局いちばんぶしつけなものを口にする。縁を切りたいの?
 彼女は一瞬だけ片目の上下に皺を寄せる怖い顔をして、それから笑い、お返しをしたいんだよとこたえる。お返しのしかたとしてはお金しか私にはないから、もっといいものをおばさまにあげられないから、それにお金はいいものだと私は思うから、だから、お金を貯めた、そうしていったん、おしまいにしたい。
 負債を、と私は言う。それに類似するなにかを、と彼女はこたえる。誰だって助けられたくなんかない。助けるほうがいい。いい気分になる。助けられざるをえない立場になんか誰だって立ちたくない。けれども助ける私たちはしばしばそのことを忘れる。ありがとうと言われていい気になって愚かしく笑っている。助けられた人の中にだけそれは溜まる。その負債の感覚は彼や彼女の中でゆっくりと発酵する。
 おばさまはきっとあなたを選んだのにと私は言う。すべての人を助ける人はいない、あなたを気に入って、あなたを好きで、だからしたんでしょう。それがよけいにいけないんだよと彼女は言う。サヤカさあ、さっきはわかってると思ったけどそれはふたつあるうちのひとつだけだったね、残りのひとつについてはぜんぜんわかってないね。
 私が首をかしげると彼女は架空の通帳をひとさし指ではじく。負債の感覚はね、もうひとつの感覚と必ずセットになってるんだよ。助けられるだけの価値がある人間がほかにいるのにという感覚。その人間から救いの手をかすめ取っているような感覚。私はそもそもくびり殺されたわけじゃない、五体満足で生きてる、そうじゃない人が、たくさんいるのに。そのうえいくつもの救いの手を小ずるくつかんでのうのうと大人になって、使わないお金まであって、それを返すなとあなたは言うの?それに耐えろとどうして言えるの?耐えろよと私は言う。耐えろ。彼女はしばらく私をにらみ、それから、長いこと声を出して笑っていた。