傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

伯父の役割

 僕の生家では、盆正月に親戚の集まりがある。僕はそのどちらかには行くことにしている。東京に出て三十年、いくつかの試行を経てできた習慣である。行きたくて行くのではない。後ろめたいから行くのである。

 両親は僕を適切に養育したと思う。弟とも悪くない仲だと思う。親戚の人々も(少なくとも露骨に加害的なふるまいをしないという意味において)、良い人たちだと思う。そして、それらとは関係なく、僕は他人といるのが好きではない。
 僕の言う「他人」は僕以外のすべての人間をさす。
 会議室の隣の椅子に人が座っている状態がわずかに苦痛である。電車に乗らずに済むことを優先して住居を決めている。個室に単独でいる状態がもっとも息がしやすい。
 十年単位で馴れた相手であれば、さらにそれが頻繁でないならば、半日程度一緒にいることに支障はない。両親や弟、亡くなった祖父母、それから少数の友人たちがこのカテゴリに入る。それ以外の人間との同席は数時間が限度である。限度を超えたって死にやしないだろうが、事前にさまざまの努力をして避けたいたぐいの苦痛ではある。
 僕はそのような気質であって、どうやら修正がきかない。修正する気もない。修正しなくていいことを優先して人生を構築した。
 しかし僕は年に一度、親戚の集まりに顔を出す。ひとえに、後ろめたさのためである。

 僕だって自分がよくいる普通のちゃんとした人間だと思っているのではない。
 統計的によくいるタイプではないだろう。普通とされる規範から逸脱している部分がかなりあるだろう。「ちゃんとした」は条件ではなく各自の持つイメージだと僕は思っているのだが、そのイメージにも一致していないと思う。
 でも僕は排除されていない。
 僕が東京で死んだら都内にいる友人に死亡を確認してもらって、それから地方にいる血縁者に連絡してもらう手筈を整えているのだけれど(積極的に死ぬつもりはないが、人間はいつ死ぬかわからないので)、連絡があれば血縁者が、今ならたぶん弟が、さっと上京して後始末をしてくれるだろう。
 ありがたいことである。
 のみならず親戚の間には、僕について、「変な人だが、とても頭が良くて、東京で立派なことをやっている」という認識があるのだそうだ。二十年ほど前、弟がそのように教えてくれた。僕はとても驚いた。
 弟は僕のできないことをほとんどすべてやってのけた人間である。
 弟は地元の信頼の厚い大学に進学し、卒業後は地元の優良企業に就職、学生時代から交際していた女性と結婚して子をふたり育て、生家の近くに家を建てた。
 僕にはそのひとつだってできない。
 生まれた土地の大学も立派だとは思うが、僕は高校生なりにあこがれた先生のいる大学に行きたかったし、その段階から大学院にも進むつもりだったし、二十代の終わりまでボロアパートに住んで学籍のあるフリーターをやって、それに何らの問題も感じていなかった。たまたま就職できたが、もしそうではなくて、五十近い今までその生活をしていたとしても、問題はないように思う。
 そしてそれが「普通」じゃないと知っている。
 僕はだから、盆正月のどちらかは、生まれた家に顔を出すのである。

 インターフォンを鳴らす。弟が出迎えてくれる。リコが帰ってるよ、と言う。弟の娘の名である。つい先日までハイハイしていた姪っ子は、関西の大学に進学したとかで、去年来たときにはいなかった。
 居間で親戚たちに挨拶していると、おじさん、と呼ばれた。こっち、こっち。
 なにやら凝った髪型の、化粧をした若い女性である。姪だろう。
 僕は姪の顔を覚えていない。他の親戚の顔も、ほぼ覚えていない。状況で判定し、誤っていてもおおむね問題ないような会話文を出力している。
 おじさん、ありがとね。おそらく姪である人物が言う。今年はまだ小遣いをやっていないが、何のことだろうか。弟に預けた入学祝いのことだろうか。
 姪は目を見開き、そんな前の話、と大笑いする。それから言う。あのね、ほら、こういう家じゃん、おじさんみたいな人が親戚にいなかったら、わたし自分の好きなことやるのにもっと時間がかかったと思うんだよね。でもたまにおじさんが来てたでしょう。それでわたし「いいんだ」と思ったの。こんな変な大人でも、いいんだ、って。 
 僕なんかいなくても、「いい」に決まっている。
 僕がそう言うと姪は笑って、でもいたほうが、勇気が出るでしょ、と言う。
 そう、と僕は言う。それならよかった、と言う。勇気? なんでそんなものが必要なんだろう、と思いながら。