傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

生き物を拾う

 少しさみしくなって人を拾った。

 わたしの家は小さな二階建てで、一階は元工場である。若いころに相続して少しリフォームした。ふだんは二階に住んでいる。一階にはピアノがあり、犬がいる。そこでも暮らせないこともない。だからわたしは拾いたい人にこう言う。部屋が余ってるから、来る?そうして人が来ると自分のすみかを一階にうつす。

 わたしは相手が男でも女でも仲良くなりすぎるとかえってさみしくなる。離れたくないように思う相手が稀にいて、二階でずっと一緒にいたこともあるけれど、結局のところふたりの人間はひとつにはなれないので、近くにいるほど別離を感じる。一階と二階に分かれているくらいがいちばん具合が良い。

 同じ家に人がいる。生活の中でなんとなし顔を合わせる。いいな、と思う。わたしは生き物の気配が好きなのだと思う。ずっと犬を飼っているのもそのためだ。今の犬は和犬の雑種で、小さくはない。小さすぎる生き物は苦手だ。触ると壊れそうだから。

 わたしの犬は日に一度ばかり、わたしの腕や足に軽く歯を当てる。眉間を撫でてやると目を三日月にし、歯の位置をずらして何度か甘噛みする。子犬のようだね、おまえ。わたしはよくそう言う。ひどく落ち着いた犬で、甘噛みさえ静かにする。ほとんど成犬になってから捨てられたのを拾った。

 街で人々を眺めると、みんな居場所があるような顔して行き来している。けれども、行き場のない人もいるのだ、もちろん。わたしは何年かに一度、そういう人を、拾う。拾って家に置く。朝晩口を利く。友人のようであることも恋人のようであることもある。いずれでもないようなこともある。わたしは他人とのかかわりに名前をつける必要を感じない。

 さみしくなると人を拾う。人はやがてわたしの家を出て行く。たまに死ぬ。このあいだ、また拾った。わたしの犬と似ていた。噛み癖のある人間をはじめて見た。そう言うと、そんなに珍しくない、と返ってきた。そうなのだろうか。きみは犬のようだね、とわたしは言った。うちの犬は噛む、怪我をしない程度に。躾のなってない犬、と相手はこたえた。わたしの犬より噛み方がなっていないくせに。だいいち、わたしの犬は、わたししか噛まない。

 わたしの犬は誰が来てもたいてい落ち着いている。おまえはいい子だねとわたしは言う。犬はしっぽをゆらりと振る。わたしの家の近くには大きな川がある。わたしたちは川のそばを歩く。犬は誰がいても気にとめないけれども、散歩をさせるほど気を許すことは少ない(えさは誰がやっても食べる)。今回は同居人が引き綱を取っても機嫌よくついていくので、わたしの運動量が減った。半年ばかりのあいだそのような日々が続いた。それはずっと続くもののように感じられた。珍しいことだ、と思った。けれども、もちろん同居人は一時的な存在にすぎない。いつでも。

 そろそろ自分の家を借りる、と同居人が言う。たいていの人間は一時的にしか住居を喪失しないのだ。残念なことだと思う。そう、とわたしは言う。今度はきみの番、と同居人が言う。なんのことかといえば、わたしと犬にその「自分の家」とやらに来いというのだった。何を言うのかとわたしは思った。わたしが他人の家に行く理由なんかどこにもない。そう言うと同居人はわたしを「公平な関係に耐えられないどうしようもない人間」と指摘して出て行った。公平な関係に耐えられない。わたしは復唱し、犬を撫でた。指を差し出すと犬は申し訳程度に歯を立てた。犬とわたしは公平な関係ではない。もちろん。

 元同居人から連絡があったので、何の用かと尋ねた。それから、用事なんかあったためしがないと気づいた。わたしは誰にも用事なんかない。誰かと継続的にかかわるエクスキューズとしてわたしの家の二階があって、それが相手にとって用なしになれば、わたしには何も残っていないのだった。

 用もなく会いに行くと、なぜだか得意げな顔で待っていた。帰ってきてほしいなら機嫌を取りなよ。そう言った。わたしは人間向けの機嫌の取り方を知らない。誰かの機嫌をとる人生なんかごめんだと思って生きてきた。しかたがないから指を差し出した。犬向けの機嫌のとりかただ。親指の付け根に痛みが走る。犬と同じだとわたしは思う。犬も人間も、わたしを噛む連中は、噛みながらわたしの目を見る。このまま噛み切ることを許されている、その特権を確認している。どうしようかな、とわたしは思う。左手でグラスの中身をぶちまける?にっこり笑ってもっと噛めと言ってやる?