傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

さみしさにつける薬

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために勤め人も職場のつきあいがなくなり、新人や転勤者が職場の人と親しくなりにくい。わたしは二十年選手だから人間関係に問題は感じないが、ときに煩わしかったつきあいの飲み会やランチがゼロになると、やっぱりさみしいものである。

 でもそれより退職者のほうが問題、と友人が言う。わたしの父が一昨年退職したんだけど、この状況でろくに帰省してなかったのね。お祝いだけ贈ってさ。そんで今年のお正月にようやく帰省したら、テレビからYoutubeが延々と流れてるのよ。うん、そう、あの、近隣諸国の国民ないしそこにルーツを持つ日本人と日本在住者を侮辱する系のやつ。
 あー、とわたしは言う。もう少し力強い相槌だったつもりが、耳に入る自分の声はしぼんだ風船から最後の空気が漏れるようなやつである。うん、と友人が言う。こちらもなんとも力ない声である。
 父には友だちがいない、と友人は言う。だからそういうことになったんだと思う。

 彼女の父はその世代では珍しくない、いわゆる仕事人間で、家庭内のできごとにも外の世界にも関心を向けなかった。父も母もそれが当然という顔をしていたから、幼かった友人もそれほど強い疑問は持たなかった。同級生の父親がPTAの行事などであれこれかまってくれると、あんなお父さんっていいなと思わないこともなかった。でもそれだけだった。
 あの人がどういう人かわたしにはわからない、と彼女は言う。目をあわせて話をした覚えがないから。父は、テレビに向かってものを言って、たまに成績のことを聞いてきて、でも目はテレビか昔とってた新聞を見ているままで、月に何度か不機嫌になって、そのときは母親が目配せするからわたしは自分の部屋に戻って、なぜ不機嫌になるかもいまだにわからない。
 今にして思うと、父にはまるっきり友だちがいなかった。わたしが中学生くらいまでは会社の人と海やスキーに行ったりしていたけれど、それはたぶんバブル期の企業で自然発生的に起きていたイベントで、父が企画したり個人として誘われたりしたものじゃなかった。そして会社をやめたら父には人間関係というものがきれいさっぱり残っていなかったの。どうやらそういうことなの。
 わたしは思うんだけれど、と友人は続ける。年をとっても友だちがいるのって、当たり前じゃないんだよ。それなりの技量と努力があってはじめて成立することなんだよ。父にはそのどちらもないし、そもそも「友だちがほしい」とか「このままでは定年後に人間関係がなくなる」とか思ったこともたぶんなかったんだよ。それでさ、たぶんさみしいんだよ。もう誰もかまってくれないから。母しか残っていないから。
 自我とコミュニティの双方がその人を支えないとき不健全なナショナリズムが要請される、というようなことを、高校の世界史の先生が言っていたんだけれど、要するにそういうことだよね。意外と覚えてるもんだね高校の授業とか。

 あなたのお父さんはだいじょうぶ、と彼女は訊く。
 わたしの父も人間関係が得意なタイプではない。悪い人ではないし、本人としてはいたってまじめなのだが、だいぶ変わっている。学生時代の友だちや会社員時代の友だちはひとりもいない。でも父は友だちメイク・友だちキープが不得手な人間につける昔ながらの常備薬を有しており、だから問題なく定年後の生活を送っている。父の常備薬は伝統宗教である。
 父はクリスチャンだ。祖父母が通っていた教会にそのまま通っている。若いころはろくに活動しなかったこともあるようだが(祖父母情報)、わたしが物心ついたころには日曜日には教会に行き、ほかにもあれこれのボランティアをする人だった。定年後はそれを熱心にやり、昔から知っている教会の人々に頼りにされてまんざらでもなさそうである。
 わたしがそのように話すと、友人はもう一度気の抜けた息を吐いて、言った。
 父もそういう無害でまともな集団のメンバーになっておかないといけなかったんだよねえ。一生自力で友だちをキープするなんて、けっこうな割合の人にとって無茶なことなのかもしれない。そしてそれをわかっている悪い連中が、インターネット経由でやってくるのかもしれない。そして父のような人のさみしさを慰撫して優越感を与える悪い薬をつけて、再生数や会費を稼ぐ。
 そしたらわたしは父に何をしてあげることもできないなあ。だってわたしは父をさみしくさせないためになにもできない。わたしは、父と人間同士の関係を持つことができなかったから。