あの、わたしの、彼氏、マナブさんていうんですけど、サネヨシマナブさん。彼女がはにかんで言い、空中に文字を書く。サネヨシさん、と私は繰りかえす。ちかごろ私の部下の若い女性たちのあいだで交際している相手のフルネームを告げるという妙な流行があって、彼女もそれに倣ったらしかった。言いたくない者が気まずくならないよう気をつけているけれども、私に言うぶんには止めていない。おそらく生涯会わない人の姓と名を知るのは妙に可笑しかった。
彼、わたしのこと、褒めてくれるんです、と彼女は言う。そうして彼がいかにすぐれた人物で、日々の重圧に耐え重要な仕事をしているか、滔々と話す。私はすこし違和感をおぼえる。この人が一度にこんなにたくさん話すのははじめてだ。ふたりだけで話すのがはじめてだからだろうか。一対一だとこういう人なのだろうか。
なにかがおかしい、と思う。彼女のせりふは、断片だけ聞くと、惚気に聞こえる。本人も惚気だと思っているのだろう。けれども、惚気というのは、もっと散らかったものだ。理路整然とひとつの場所に向かうことはない。せいぜい「わたしはいかに愛されているか」という場に集約されるくらいで、だいたいは「相手の話をするだけでうれしいから話してしまう」というようなものだ。私の目の前の部下の話はそうじゃない。彼がいかにすぐれているか、もっと言うなら、彼女よりもいかにすぐれているか、という話をしている。
そう、と私は言う。はい、と彼女はうなずく。上気している。人は恋をするとそわそわするものだ。けれども彼女のそわそわには別のものもまじっている、と私は思う。口に出して恋人と自分のあいだの序列を確認しなければならない、何かが。私はできるだけ軽く言う。そんな立派な人だと、私だったらちょっと気が抜けないなあ、ずぼらだから。そうなんですか、と彼女は目を見開いてみせる。そんなふうに見えませんけど。でも仕事ができる人ってそうかもしれませんね。
謙遜も相づちも省略して私は言う。叱られちゃいそうだなあ、そういう人と一緒にいたら。叱られちゃうんです、と彼女は言う。わたし、料理もろくにしたことなくって、世の中のこと知らないし、彼、なんでも教えてくれるんです。そう、と私はこたえる。はい、と彼女はうなずく。私は言う。それで、褒めてくれるんですね、彼は、あなたが、彼に教えられたことを、うまくできたときに。
はい、と彼女は言う。その声音はひときわ輝いていた。私はしばらく、彼女が褒めてもらった内容を聞いた。彼はいつも正しく彼女を導いていると彼女は信じているようだった。私が仕事上で指示したことを私生活でも適用して褒めらたという話が出るに至って、私は確信した。要注意だ、サネヨシ。
私は彼女に指示を与える。私は彼女の上長だからだ。彼は彼女に指示を与える。おそらく彼にとって恋人は部下のようなものだからだ。教育し指示し正しく導くべき相手だからだ。そういう考えの人間は実はけっこういる。そしてそれにしたがうことに快楽を覚える彼女のような人間も。
仕事には理不尽が内在している。努力をしても報われるとはかぎらない。自分の手に届かないところでひどい目に遭ったりする。上司がバカだったり、会社が舵取りを誤ったり、業界全体が傾いたり。コントロール不能なできごとにかこまれて私たちは仕事をしている。努力が正しく報われない世界にいる。
彼女はいかにも勉強ができたであろうまじめな人で、まじめな子、と言いたいくらいの、ある種の幼さを感じさせた。先生の言うとおりにしていい成績を取っているような感じがした。それだから私は少しばかり彼女に申し訳ない気持ちでいた。仕事は受験勉強やダイエットみたいに(一時的にでも)線形に報われるものではないから。上司がバカなだけでひどい目に遭ったりするものだから。
だから年若くまじめな彼女が「がんばれば報われる」恋愛を求めたのは私のせいでもあるのだ。上司である私や私の所属する会社や私がそのごくごく一部を担っている世界が、努力しただけ認めてくれる相手ではないから。けれども、と私は思う。努力が報われるなんて、嘘なんだよ。努力はみじめに足蹴にされて、それでも価値を持つものなんだよ。あなたはもう大人なのだから、誰かに褒められるために生きていてはいけないんだよ。恋人と自分のあいだに序列をつくる人間はだいたいろくなものじゃない。
そう思う。でも言わない。今はきっと通じない。私は話しつづける彼女の笑顔を見る。いつも努力してその努力が報われて、だからとても幸福そうな、彼女の笑顔を。