あの、私、このチーム、辞めたいんです。
チームに不満があるわけじゃなくて、すみません、個人的なことで、たぶん社会人失格な感じの理由なんですけど、マキノさんが、話してもいいって言ってくれたから、話しちゃいますけど、いきなりクビになったりはしないですよね。そんな権限ない?あはは。
マキノさん、ときどき私と斜め前の席の、ええ、彼、彼のほうみて、にやって笑ってたでしょ。視線が完全に下衆でしたよ。「おまえらつきあってるんだろ、げへへ」みたいな。でもねえそういう平和なものじゃなかったんですよ、私たち。
彼ってひどいんですよ。見た目さわやかだし、マキノさんなんか完全に騙されちゃって、私たちをひっくるめて、礼儀正しくて、気持ちのいい若者ばかりで私はラッキィだなあ、なんて、言うじゃないですか、私が覚えてるだけで三回言ってました。ええ三回。覚えてないんですか。へえ、私てっきり、ある種の人心掌握術なのかと思ってました。いい子いい子って言い続ければいい子になる、みたいな。マキノさんってそういうの好きそうだし。
でもねえ、いい子なんかじゃないんです。彼も、私も。マキノさん騙されてるんですよ。ええ、お察しのとおり、彼と私は、そういう仲でしたけど、でも、気持ちがあったのは、私だけ。彼にとっては、ただの遊びです。遊び相手を探すにしては手近すぎますよね席が斜め前って。一メートル以内じゃん。もっと広い狩り場に出ろよとか思いませんか。ねえ。
へえ、マキノさんは彼のこと、おとなしいって思ってたんですか。一途系?あはは、すごいこと言うなあ。見た目と仕事ぶりと人柄ってぜんぶちがうものですよ。見た目と仕事ぶりだけで騙されてても、マキノさんはまあ上司だからべつにいいんですけど、私はだめですよね。
だめだったんです。
いつも冗談みたいに、うち来てよとか言うんですよね。そういう男ってだめでしょ。何人に何回言ったんだよって感じ、最初から数打って当ててくる感じ。私だってばかじゃないからそれくらいわかります。
でもね、気持ちが弱るときって、あるじゃないですか。私は、彼のこと、好きなんだから、ちょっとでも一緒にいられるだけでいい、なんて、思っちゃうんですよ。一回そう思っちゃったら、もうやめられないんですよ。
よくある話だと思います。ええ、相手が誠実じゃないことまでわかってるつもりなのも、よくある話で、わかってるつもりが実はわかってなくって、ちょっとやさしくされて変な期待して苦しくなる、とか、よくある話です。もうびっくりするくらい、ありきたりな話でしょう。
複数の女と遊ぶんだったら相手のケアをしたほうがいいと私は思うんです。だってよほど好きじゃなかったら逃げちゃうじゃないですか。私が逃げないくらい好きだってわかってたならたいしたものです。ええ、ケアしない、なんてもんじゃないですよ、ちょっと言えないくらい、えげつないやつですよ。もう会わない、って言ったことあるんですけど、返事、ひとことですからね。あなた自分の立場、わかってんの?
ええ、わかってます。最初から、私だけ好きで私だけ彼の都合に合わせて私だけ苦しいんです。そういう人間を見てかわいそうだとも思わない男なんです。むしろなんでも言うこと聞くからラッキィとか思う、そういうやつなんです。あの男にとって、自分が好きな人以外の女からの好意なんて「肩たたき券」みたいなもんです。あると気持ちよくなれるっていう。最後なんか、露骨すぎてびっくりですよ。しばらく呼び出しがないからこっちから連絡いれたら「もういい」って。どうしてって訊いたら「飽きた」ですって。「写真とかぜんぶ消すから」だって。まあ消してくれないと困る写真もあるんですけどね、あはは。
マキノさん。私は、もう斜め前のデスクで彼を見ていることに耐えられないんです。自分がみじめだっていう以上に、なんですか、最近の彼。幽霊みたいじゃないですか。きっと、彼を苦しめている人がいるんです。親御さんが病気、とか、借金の保証人になってしまった、とか、そういう話かもしれないですけど、恋愛沙汰じゃないかと私は思ってます。彼の部屋にはあきらかにほかの人が出入りしている跡があったし、私を呼び出すのは好きな人とうまくいかないときの腹いせだったんじゃないかと。そういうのってなんとなくわかるじゃないですか。
あ、もう彼に病院行くように言ってくれたんですか。よかった。ありがとうございます。やっぱりどう見ても変ですよね、私の目がおかしいんじゃないですよね。私の異動希望の話は、どうしましょう、書類とか書くんですか。一身上の都合により、とか?