傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

世界の底にあるべき網

 ママなんか、と息子が言う。すごく怒っている。息子はもうすぐ五歳になる。五歳ともなると腹立たしいことがたくさんあり、しかもそれを言語化することができる。歯を磨いたあとにアイスクリームを食べさせてもらえないこととか。現在の彼にとって、それはとても重要なことなのだろうとわたしは思う。しかしアイスクリームはあげない。歯を磨いた後だもの。

 息子はとても怒っており、そのことを表現している。もうすっかり人類だなあとわたしは思う。わたしと同じたぐいの生物だと感じる。二歳まではそうではない。言語を解さない存在には隔壁を感じる(言うまでもなく、そういう感覚は愛情の有無とは関係がない)。赤ちゃんともなると喜怒哀楽が分化していないから、怒るということがそもそもできない。快不快の不快を泣いて示すのみである。

 ママなんか、すばらしくないもん。

 わたしは眉を上げる。息子は言いつのる。ママなんか、せかいいちじゃないもん。ポケモンマスターになれないもん。

 わたしは必死にまじめな顔をつくり、否定とも肯定ともつかない発音で、そう、とつぶやいた。憂いを帯びた声を出したつもりだ。息子はとたんに後悔の色を浮かべ、しかし引っ込みはつかないらしく、前言撤回はしないのだった。すねたときにいつもそうするように、ちょっと前に気に入っていたおもちゃを引っ張りだした。わたしはアンニュイな空気を発しながらテレビのリモコンを手に取った。

 カウンターの向こうの台所をちらと見遣ると、夫がものすごく真剣な顔で皿を洗っている。わたしたちは子どもが泣いているときや怒っているときに笑ってはいけないと思っているのだ。悪意がなくても、子どもの切実な感情表現を茶化すことになるから。茶化したら傷つくじゃないか。叱られても傷つくかもしれないけど、傷つく可能性のぶんだけ価値がある。茶化すことには親子にとっての価値がない。

 そんなわけでわたしと夫は耐えに耐え、息子が眠ってからおおいに笑った。美しいとか素晴らしいというのはわたしがわたし自身をよくそう評するので、息子が覚えたのである。わたしは何かというと自分をほめる。生活に負担を感じたとき、自分を指して、すばらしいなあ、と言う。自分が苦労していると思いたくないからだ。豪雨のなか自転車をこいで保育園のお迎えに行くわたしは、かわいそうなのでもなく、えらいのでもない。すばらしいのである。同じく、朝はやく起きて子どもに身支度をさせて送っていく夫は気の毒なのではない。立派なのでもない。ただすばらしい人なのだ。

 息子の語彙には罵倒がない。だから罵倒しようと思ったら、褒めことばに否定語をつけるしかない。最低限の罵倒の語彙があれば、ママのばか、と言ったかもしれない。でも息子の世界を構成する要素のなかに「ばか」はない。夫はといえば、ママの料理は世界一、というのが口癖だ。どうやら息子とふたりの時間にも「ばか」は教えていないようだった。

 それが完全に良いことだと、わたしは思わない。子どもの世界を形成することばを清潔に保ちたいという願望もない。息子は遠からず罵倒の語彙をそろえ、偏見から生まれた言い回しを学習し、それを使うだろう。わたしと夫が手渡した語彙だけの中におさまっていることはないだろう。それでいいのだ、もちろん。息子は保育園で他者とことばを交わしているし、いずれ小学校やその外の世界でたくさんの人と話をする。わたしがすすめたくないテレビ番組にも興味を示すだろう。本だって自分で選んで読むだろう。インターネットも見るだろう。息子にはそれらを自分で選ぶ権利がある。もちろん、わたしたちがわれを忘れ、たがいを口汚く罵倒する可能性だって、じゅうぶんにある。

 けれども、息子がまだ幼い今、相手をもっとも悪く言うための表現が「すばらしくない」であることを、わたしは可笑しく、うれしく、それからいささか誇らしく思う。わたしが笑いをこらえ、ポケモンマスターになれないという宣言に憂いのそぶりを見せている今を、ずっと覚えていたいと思う。わたしたちの息子がわたしたちの編んだことばの網のなかにいたときのことを、忘れてしまいたくないと思う。

 わたしは夢想する。息子が大きくなったとき、その網が息子と一緒に強度を増していることを。息子が成長し、その世界が清濁を含んで大きくなって、でも世界の底にはわたしたちが手渡した網があるところを。息子が自身の構築した、わたしたちの知らない世界の中で足をすべらせたとき、その古く小さな網が彼をしっかりと受け止めてくれる、そのようすを。

マンガ読んで寝てろ

 お金の知識がないのは現代社会の大人として恥ずかしい。他人にそう言われて、ほほう、と思って、少し本を読んだ。そういう話をしたら、ふーん、と友人は言った。この女はどこの株を買ってどこの株を売ったら儲かるかというようなことを始終考えていて、余所の人にこれを買えあれを買えと勧める仕事をしているのである。他人を出し抜くと儲かるのでとても楽しいと言う。放っておくとずっとお金の話をしている。そんな人間を相手にお金に関する不勉強を開示するのは恥ずかしいような気もするけれど、私は彼女を数字の亡者だと思っているし(お金の亡者ではない)、彼女のほうは暇さえあればごろごろして小説やマンガを読んでいる私を生産性のないろくでなしと呼んでいる。価値観の相違は既に明らかであり、私たちの関係に悪影響を及ぼすことはない。私は率直なところを告げる。お金の勉強、超つまらなかった。もうやらなくていいよね。

 やらなくてよろしい。彼女は断定した。なぜならあんたは、資産がないし、給与も実に慎ましい。副収入もない。大雑把にいって食って寝て起きる以上の経済資本を稼ぐ機会も才能もない。そんな人間の小銭を増やしたって社会にとってはゼロと同じだ。そのうえ家計が破綻するタイプでもない。紙に字を印刷したやつをめくっていたらだいたい満足する低コストな生物だから、給与以上のお金を得る必要も実はない。だから槙野はお金の勉強をする必要がない。

 ほぼ悪口である。私に関する情報として間違っているといえる文言は含まれていないものの、どう考えても全体的に悪口である。

 ちょっとの貯金でもまじめにやったら少しは増える?そう尋ねると、増えるよ、と彼女はあっけなく言う。勉強して多少なりともリスクをとって、たとえば年間数万円とか十万円の運用益を手に入れることはできる。今はそれが可能な時期。でもそれが真実得になる人とそうでない人がいる。槙野はそのための勉強や手続きが楽しくないんだから、そのプロセスを労働と考えて時給換算したら割りに合わないと感じるよ、わたしが保証する。あんたはそのぶんの時間、ごろごろ寝て好きな小説やマンガを読んでいたらよろしい。主観的にそれは十万円よりはるかに価値のあることなんだから。

 十万円かあ、と私はつぶやく。ちょっといいな、と思う。十万円はいい。旅行とか行ける。行ってるじゃん、と彼女は指摘し、私は発言に詰まる。もう行ってる、たしかに、毎年。欲しいものだってあるよ。私がそう言うと彼女は鼻で笑い、買えないの、と訊く。欲しい物が買えないの?だいたい買えるでしょう、あとはお金じゃない何かを欲望しているでしょう、それが良いとか悪いとかじゃあ、なくて。

 彼女は口の端を引き上げて、言う。わたしは、そういうの、わかるんだ、他人が何に飢え渇いているか、細かいことまではもちろんわからないけど、それがお金で解決できるかは、わかる、経済状況は、破綻さえしていなければ、実はあまり関係がない、精神性とかもたいして関係ない、好みの問題、それからスキルの問題。槙野には両方ない、たくさんのお金を自分の幸福のために使う能力がない。

 私は反論しようとする。私だってお金はあったほうがいいと思う。思ってから、でも、一生懸命になるほどではないなあ、と思う。なんか、めんどくさいし。私がそう考えていた一秒かそこいらが過ぎると、彼女はすごく得意そうな顔で、それ見たことか、と宣言した。

 自分の得られる幸福の総量が多いほうを取るだけのことだよ。お金の勉強が楽しい、リスクを取る判断に知的興奮をおぼえる、不労所得を得たら気分がいい、こういう人はぜひ資産運用をやったらいい。いい気分で十万円入るんだからやらない手はない。あんたは同じ結果を出してもたいしていい気分にならない。そしたら十万円得てもぜんぜん得ではない。余ったカネは銀行にぶちこんで寝てろ。銀行が運用しろと言ったらよそでしますと言えばいい、彼らも商売なんだから、商売しがいのない人間にかまう暇はない。

 あのねえ、誰かがあんたに何かを勉強しろというときには、相手の思惑を考えなきゃだめだよ、ちょっとした勉強で誘導される先はだいたい誰かの商売なんだし、人がかかわっていればいるほどお金というのは間引かれていく、それを超える「利益」を出すだけの手間暇と能力があると思ったら、やる。そうじゃなかったら、やらない。いいからマンガ読んで寝てろ。

 私はそれを聞いてたいそう安心し、マンガ読んで寝た。

転んで失敗したあの子

 夜中に帰宅して居間のフットライトだけをつける。いつのころからか思い返すと、二十年ちかくそうしている。あとで妻になった彼女と、どちらかのワンルームに泊まっていた学生時代、いずれかが先に眠ってもかまわないよう、そうしていた。

 音をごく絞ったテレビをつける。誰かが氷の上で踊っているのを観るともなしに観る。疲れると人間がただ動いているのを視界に入れたくなる。よく知っているのは陸上、ルールがそれなりにわかるのはいくつかの球技。どういう競技かもよく知らなくてても、テレビに映っていたら漫然と観る。今夜はフィギュアスケートだった。

 もう結婚していたか、それともまだだったか、とにかく、妻が言っていた。あなたは言葉があんまりうまくないから、疲れてるときは人が話す番組はいやなんじゃないの。さみしいから人間を見たいけど、口を利いている人間は鬱陶しいから、踊りとか観てるんじゃないの。言葉があんまりうまくない? なんのことだろう。僕はおしゃべりなほうだと思うし、率直なほうだと思う。

 おかえり、と妻が言った。寝室の扉がひらいて、ちいさく顔を出していた。なんだか可愛いのがいるな、と思う。なんだこれどうして俺の家にいるんだよクソ醜いな、と思う。ああ妻か、と思う。当たり前だ、家に帰ってきたのだから。あ、世界選手権の再放送じゃん、わたしも見る。妻は言い、ソファに座った。うたた寝していたのか、ちょっとむくんだ、平和な顔をしていた。妻が訊いた。どうだった、ここまで。どの子も転ばなかったよと僕はこたえた。

 子。妻はつぶやき、あのさあ、と尋ねた。昔から気になってたんだけど、あなたスポーツ選手にかぎって「あの子」とか「この子」とか言うよね。なんで。

 僕はびっくりして、だって子どもじゃないか、と言いかける。それから、なんでだろ、とこたえる。この大会の選手なんか、三十歳の人いるよ。妻が指摘する。子どもなわけないし、あなた普段、大人に「子」って言わないでしょ、二十歳超えたら大人扱いするでしょ、そもそも、ジュニア大会に出てるんじゃなければもう大人だって、昔言ってたじゃない、学生とのときとか。学生選手を子ども扱いするべきじゃないって。

 僕は何か都合の悪いものを感じて、時間を稼ぐためだけに、そうだったかな、と言う。稼いだ時間で思いついたせりふを言う。年だね、若い人が子どもに見えるのは。妻はそれに対しては何もコメントせず、お、と言う。テレビ画面に日本人の選手が出てきた。

 選手がぐらつく。僕は腰を浮かせる。選手はぶれた体軸を立て直す。僕は息を止めていた。僕は息を吐いた。転ばなかったね、と妻が言った。僕は自分が少しおかしいことに気がついた。フィギュアスケートを僕は好きではなかった。好きではないのに、どういうわけか見てしまうのだった。その理由はたぶん、とにかくよく転ぶ競技だからだ。僕はひどく都合の良くないことに気づき、それを退けようとして、あきらめた。そこには何かがあるのだ。

 妻がちょっと笑う。僕もしかたなく笑う。思い出した、と妻が訊く。思い出した、と僕は言う。

 自分が十九のときに大会で転んで陸上競技を辞めたこと、それ自体を忘れていたのではない。ただ、たいしたことではないと思っていた。スポーツ自体が自分にとっては余技であり、学生時代の趣味であり、体力づくり程度のものだったと、そう思っていた。けれどもそうではなかった。今の今まで忘れていたけれど、十代の僕にとって、それはとても重要なことだった。僕の最初の人生は走ることを柱に構成されていて、僕の原初的な喜びはそこにあった。そうして僕はその過去を、丸ごと否定した。捨てた。僕は転んだから。十九のときに、全国大会の決勝で。

 忘れていた、と僕は言った。そう、と妻が言う。話さないんじゃなくて忘れるんだよね、人間はとことん都合の悪いことを認めないよね。いつから気づいてた、と僕は訊く。六年前。妻はやけに具体的にこたえた。

 学生のころは単に話したくないんだと思ってた、大会で転んだのがショックだったんだろうし、格好いいことじゃないから。だからその後は話題にしないようにしてたんだけど、子どもが歩き始めたころ、あなたちょっと異常だったよ。自分では気づいていなかったかもしれないけど、子どもは、転ぶものだよ、そのときに、あなた、おかしかった。子どもなんて転ぶために歩いてるようなもんなのに。あのね、そろそろ大丈夫になってよ、うちの子はこれから自転車を練習するんだし、いっくらでも転ぶんだから。

かつて凛々しかった、わたしと彼女のこと

 花とか小鳥みたいにきゃらきゃら生きていたかった。自分がそうじゃないことをよく知っていたからそういうふりをしたかった。わたしは清潔な植物でも自由な動物でもなかった。もっとなまぐさい、みっともない生き物だと思っていた。アイライナー、短いスカート、上手につけた香水、おしゃべり用に作っておく好きな男の子の名前、そういう鎧を纏って少しはマシなものみたいなふりをしていた。十六歳だった。

 地方の進学校にも毎日ばっちり化粧をしているちょっと派手な女の子たちがいて、彼女たちがいちばん花と小鳥に近かった。だからわたしはその集団の中にいた。着崩した制服、噛み崩したことば、教室で大きな声を出すのは権力の証、机の上に座って凝ったかたちの髪を揺らして遠慮なしに笑うのは「かわいい」子たちだけ。そういう序列をくだらないと思わなかったのではなかった。序列を崩すほど序列に対する情熱がなく、自分の心地よさを確保するだけでひとまずは良しとしていた。わたしの高校にはそれなりの多様性があって、カーストが絶対ということもなかった。小鳥と花の女の子たちはわたしを、体育祭とかノってこないしミシマユキオとか読んでるしよくわかんない、と評しながら、排除はしなかった。十六歳のわたしにとって友だちというのはそういうものだった。

 亜美さんはそうじゃなかった。亜美さんは花じゃなかったし、小鳥じゃなかった。亜美さんは生徒会の書記で、みんなの前ではだいたいはきはきしていた。クラスで何かを決めるとき、真っ先に発言するのではないけれど、意思決定が淀んだタイミングでいやみなく解決策を提示するようなタイプだ。保護者も先生も好きそうな、ぎりぎりダサくはないくらいの雰囲気を保っていた。亜美さんは唇が薄くて目と眉のあいだにほとんど距離がなく、ビューラーなんか知らないような短くてびっしりそろった睫を目の庇にして、首筋と膝下がすらりと長かった。

 亜美さんがわたしに興味を持ったのはわたしが授業中にものを書いていたからだ。わたしはたくさんの文章を書いていた。どうしてか自分でも知らない。亜美さんはわたしの手の動く速度があきらかにノートを取っているより過剰だと見て取った。亜美さんはすごく目がいいんだ。目の白と黒がはっきりしていて、その境目が青いような色をしていた。青い目は白い目の反対だ。そう思った。その文句をどこで読んだのか、大人になった今でも思い出すことができない。

 亜美さんと教室で話すことはあんまりなかった。わたしにも彼女にもそれぞれの友だちがいたからだ。わたしはいちばん目立つグループ、亜美さんは優等生たちのグループ。わたしたちはそれを侵害しなかった。ただ日記を交換していた。ねえ、百合さん、と彼女は言った。百合さん、いつも何を書いているの、読んでみたいな、わたしもものを書いているから、かわるがわるに書いたらいいと思う。

 わたしはそれまで彼女をなんと呼んでいただろう。大人になった今では思い出すことができない。でもその瞬間のことはよく覚えている。そのとき彼女は「百合さん」と言ったのだ。だから彼女は「亜美さん」になった。クラスの誰にもしない、姓でなく名を呼んでそのあとに「さん」をつけるやりかた。それがわたしたちの皮膚だった。湿っていないのに内側はひたすらに水の満ちているような、その皮膚の感触を、わたしは好きだった。わたしたちはたがいの書いたものを交換した。何を書いていたのか、大人になった今、何も覚えていない。

 わたしは東京の、亜美さんは地元の大学に進んだ。亜美さんは一度東京に遊びに来た。わたしは大喜びして亜美さんを連れて歩きまわり、軽薄に話しつづけた。亜美さんは大人びた笑いを笑って、百合さんは、と言った。それから黙って、また口をひらいた。朝の集会とか始業式でさ、体育館とかに集まってるときあるじゃん、ああいうときに、ほらわたしはコーノちゃんとかミズノと一緒にいてそのへんに座ってるんだけどさ、なんかそういうとき毎回、うちらのあいだで「あ、ユリさんだ」ってなるの、「ユリさんが歩いてる」「ほんとだー」って。うちらからちょっと離れたところを、まあただ歩いてるだけなんだけどね、すごく目を引くの、ほかの人じゃなくて、百合さんだってわかるの、背筋が伸びてて。綺麗だったなあ。

 面と向かってそう言われたことさえ、今はもうずっと昔のことで、わたしはもう、亜美さんが褒めたようなわたしじゃないかもしれなかった。でもそうでありたいと思う、今でも、そう思う、できることならこの先もずっと、そんなふうに思っていたい。

 

ask.fm(id けれ) けれさんは凛々しいよ | ask.fm/keredomo より

春と歌

 ぐずぐずに疲れて家路に就いた。わたしは二十三歳で、世間は不景気で、氷河期という名をつけられていて、だからとても寒くて、芯から冷えていて、世界は暗黒で、わたしのまわりには、誰もいなかった。オーロラという神話を、わたしは待っていた。こんなにも寒いのなら、その美しいものが目の前に現れてくれていいはずだと思った。マッチ売りの少女の死に際みたいに。

 わたしはアルバイトから帰るところだった。大学院生という身分はあって、学費は免除されていて、大学はわたしに少しのお金をくれたけれども、そうでなかったらいくら就職がなくったって進学なんかしなかったけれども、そのカネは、家賃を払って国家の要求する金を出して三食食べて眠るには足りなかった。そんなことは大学生のころから変わらなかったのに、高校生のころからずっとそうだったのに、わたしは、そのころみたいに愉快じゃなかった。大学生のころも高校生のころも、ただ生きているだけで楽しかったのに、二十三になったら、わたしはなんだか贅沢になって、生きているだけでは満足できないのだった。そのくせ生きているよりほかの価値を知らないのだった。生きて、生き延びることだけがわたしの目標だったから、生きたあとに憂鬱だったら、どうしていいのかわからなかった。

 わたしはさみしかった。二十三にもなって誰からも生きていていいと言われなかった。もう大人になったのに、白紙の値札をつけて企業の窓口を渡り歩いても、誰ひとり、わたしを欲しいと言わなかった。世界が悪いんだとみんなは言った。不景気が悪いのだと言った。未曾有の不景気がやってきたのだから、あなただけがつらいのではないのだから。そう言った。みんな就職先がなくて苦労しているのよ。

 わたしにはわからなかった。みんなが与えられている養育環境を一滴ももらえず、少女のころから食い扶持のことばかり考えて、たくさんのテストをパスして、いちばんいい点数を取って、それで十年経って、一人前になったと思っていたのに、住居の保証人だの就職の保証人だの緊急連絡先の親族だのを求められて、そんなのはないのだと言いながら割れるまで奥歯を噛んで、わたしは、何者でもなかった。早く一人前になりたかった。誰にも後ろ指を指されない大人になりたかった。でもなれなかった。とうとうなれなかったのだ、と思った。わたしは親だとかそういうものがなくて、誰の助けも得ないで、ろくでもない大人たちに媚びて媚びて媚びてやっと得た時間で図書館に行って勉強して、ここまで這い上がってきたのに。

 この先なんてあるはずがないと思っていた。二十三年も生きてなんにもできなかったんだと思った。そこいらのぬくぬく育って保護されている若い女と同じように観られたくて着飾って貰い物を使って顔に色を塗っていたけれども、わたしは自分が、何ひとつ成し遂げることができずに死んでいくだけの、悪臭をはなつ醜い生き物だと知っていた。プレスした古着、接着剤を使った靴、見習い美容師の切った髪、からっぽの胃袋、皮膚を覆うビニールのような無感覚、ろくに見えていない目。古いめがねが壊れて半年になる。

 家庭教師先はどれもこれも立派なおうちで、子どもたちはだいたい目が死んでいた。わたしの欲しかったものを生まれたときからぜんぶ与えられているくせに。わたしはへらへら笑って彼らの高価なテキストを開きながら絶望した。わたしがずっとうらやましかった子どもたちは少しも楽しそうじゃなかった。それならわたしはもう誰のこともうらやむことができないじゃないか。

 わたしはカネのための愛想笑いをわらい、カネをもらって帰った。歩いて歩いて繁華街に入った。眼前にスクリーンが出現した。いつもの光景だ。わたしは足首の角度を調整しサイズの合わない靴の踵を引きながらそこに向かって歩いた。

 歌が聞こえた。当たり前のコマーシャル、そのためのスクリーン。わたしはなんでもなかったふりをしてその場を離れようとした。それに失敗した。歌に殴られて失敗した。

 わたしは路地裏に避難した。歌は追いかけてきた。わたしは回収を待つゴミ袋のあいだに座りこんで泣いた。わたしは長いこと泣いたことがなかった。わたしは自分を、強い大人だと思っていた。誰にも助力を得ずひとりで生きているから立派な大人なのだと思っていた。でもそうじゃなかった。そこいらのポップソングひとつで背骨を砕かれて立てなくなるほどに、わたしは弱かった。わたしは疲れていた。しんから疲れていた。わたしは寒かった。オーロラがまぶたの裏に踊り、夜明けが来るまでわたしは泣いた。

雪の女王たちにさらわれた、たくさんの友だちのこと

 天に感謝するがいいよ、あなたが宗教を持っていないとしても。

 彼女がそう言うので、私は彼女の顔を見る。あんまり天に感謝しそうな顔をしていない。すらりと長いからだにつるりと丸く清潔な顔を載せた、私の友人である。主に画像と映像の芸術を享受して生きている。職業は映像ディレクターで、夫と子と楽しく暮らし、週末ごとの劇場通いと夜ごとのホームシアターの成果をもって私の観るべき映画を推薦し、盛り上がりそうな映画の封切りに誘う。そうしたら私はいそいそと行って彼女と映画を観てそのあと一緒にごはんを食べて絶賛したり酷評したりする。

 今日はそのような心楽しい封切りの帰りで、けれどもいまの話題は映画ではないのだった。私が彼女とは別の古い友だちとライブに行くという話をして、そのバンドのライブはおよそ二十年ぶりだと言ったので、彼女はひどく感心して、そうか、と言うのだった。そうか、それはとてもすばらしいことだ、二十年は長い、二十年あったら人が成人するし、知り合いが何人も死ぬ、あと、だめになる、すごくたくさん 、友だちだった人が、目の前からいなくなる。だからよかったね。二十何年も友だちでいて二十年ぶりにライブに行けるなんて、とてもよかったね。

 そんなにも長いあいだ、私とその古い友だちが死ななかったことが?私が訊くと彼女は笑い、言う。サヤカさんとそのお友だちが死ななかったのはもちろん重要だけど、死ななきゃいいってもんじゃない。あのね、サヤカさん、あなた、友だちを、死ぬ以外のどんなルートで失いましたか、死とそれから惰性とおたがいの意思のほかの理由で。

 私はちょっと息をのむ。日常的な娯楽としての週末の映画館の帰りにそのような手厳しい質問が来るとは思っていなかった。私は言う。とても小さい声で言う。そうだね、私の古い友だちは、すいぶんとたくさん、持っていかれてしまったよ。人格をまるごと、どこかの化け物に持っていかれてしまった。そうして私と話をしてくれなくなってしまった。話が通じなくなってしまった。私はとても、かなしかった。

 その人たちは、仕事のために、最低限の人倫を捨ててしまった。ひどいことをして平気で笑っていた。仕事で疲れて何もしたくないし誰とも口を利きたくないと言った。へらへら仕事して平気で寝て休暇を取っている私のことをゴミクズだと言った。特定の仕事をしている人だけが人間であるというような物言いをした。私の仕事を卑しいものだと断じた。私は私の仕事を大切にしているから、そういう人たちとは友だちでいられなかった。

 それから、一部の人たちは、何かの教えのために、私を排除した。マルチ商法とか、自己啓発法とか、健康のための食事や運動の方法だとか、スピリチュアルとか、「結婚して子どもを産んだから、やっと一人前になったの、あなたにもわかるでしょう」とか、あと、支配的な恋人とか、そういう、ひとつひとつは好きにすればいいだけのことなのにどうしてか人格を預けてしまうようなものごとが、たくさんあって、たくさんの人が、持っていかれてしまったよ。私の昔の友だちは1ダースばかり、そうやって遠いところへ行ってしまった。みんながただ私に関心がなくなっただけなら私はどんなに気楽でいられたことだろう。みんながただ私に価値を感じられなくなっただけならどんなにかよかったことだろう。

 そうだね。彼女は言う。そうだね、彼らや彼女らがわたしたちをかまわなくなっただけならどんなにかよかっただろうね。けれども、そのような人々と「持って行かれた」人々は、明確に区別がつく。ねえ、サヤカさん、わたしたちは、たくさんの友だちをうしなった。一緒に高校の教室でお弁当を食べた、一緒に大学のサークル棟で無聊を託った、たくさんの古い友だちが、わたしたちの好きになった人格を奪われた。何か得体の知れないものが、わたしたちにやさしくしてくれたあのかわいい少年少女をさらって、遠くへ去っていってしまった。

 私たちは沈黙し、食後の甘いコーヒーをのむ。私たちは、かつての友だちをさらっていった、あの化け物を、どう扱ったらいいんだろう。かつての友人たちにとって、あの化け物だけが大切になってしまったことを、どうやって理解したらいいんだろう。私たちのかつての友だちにとって、あれこれの安っぽいカルト的な思想信条は、アンデルセンの童話で子どもを魅了した雪の女王みたいに、美しかったんだろうか。彼らをさらうだけの価値のあるものだったんだろうか。もしもそうだとしたら、私たちはこれから、その雪の女王どもを、いったいどうしたらいいんだろう。

夜と犬

 それさあ、と彼女が言う。犬好きが犬にやるやつだよ。それって、と訊く。僕の顎は彼女の頭蓋に接しているので発声の労力はとても小さい。あなたが今してるようなやつ、側頭部から撫でて頭のてっぺんにキスするやつ、犬がいたらわたしもそうするよ。だいたいあなたは昔からわたしを犬のように扱っているんだよ。そんなことはないと僕は言う。生まれてこのかた身の周りに犬のいたことはない。そういえば彼女はむかし、将来は犬を飼いたいと言っていた。まだ飼わないのと訊くと飼わないよと言う。生き物を飼うのはたいへんなことなんだよ、わたしは出張が多いし、それにもっと広いマンションに越さないと無理だよ。

 そうかいと僕は言う。可愛いねと言う。もう一度撫でる。彼女は手慣れたしぐさで僕の肩と胸のあいだにひたいをつける。完全にリラックスしている。たまにしか会わないのに好きなだけ撫でさせて帰るのがこの人の良いところだと僕は思う。僕の手をはねのけることがない。過去はいざしらず、すでに長いこと僕に何かを要求しないし、これからもきっと、しない。可愛い。可愛さには安心感が含まれる。それからえげつなさが含まれる。撫でられ慣れている女。くそビッチ、と僕は思う。よくもまあこういう種類の女とつきあってたよな、十年前の俺はちょっと頭がおかしかったんだ。

 わたしはもう四十にもなるのですよと彼女は言う。そもそもあなたと知り合ったのだって十三年前で、可愛い可愛いというような年齢ではなかった。そうかいと僕は言う。そんなのが僕に何の関係があるのかなと思う。僕にとってあなたの時間ははじめから停止していて、いくつになろうがどうでもいいことだ、と言う。彼女は僕の腕からすぽんと頭を抜き、グラスをかたむけ、やれやれ、と言う。わたしはそれなりに努力をし、成熟し、ささやかながら社会的成果も上げてきたのですよ。あなた、それについて認識していらっしゃるのですか。少しは褒めてくだすっても良いのではありませんか。

 そのような事象があることは認識している、と僕は言う。彼女はさっきとはちがう角度で僕の腕に顔をつけ、軽く噛む。かたい、とつぶやく。すごく不満そうだ。すまない、と僕はかえす。老いにあらがうためにトレーニングをしているんだ。きみの言うとおり、時は正しく流れ、僕らは年をとっているのです。

 あなたみたいにわたしの噛み癖を許容する男っていないな、と彼女は言う。むしろしてほしがるじゃない、あなた、それって、やっぱりわたしを犬みたいに思っているからだよ。こんなのってしつけのなってない犬のすることだよ。僕は返事をしない。もう一度噛まれるのを待つ。僕はそうされるのが好きだ。僕は犬と親しくなったことがない。僕にとってそれは愛情不足の子どもの仕草だ。僕は大学生のころ、毎年ひとりは小学生の家庭教師をしていた。アルバイトする時間はぜんぶ予備校に振り分けたほうがカネになるのにと仲間たちは首をかしげていたけれど、子どもというものを、僕は好きだった。小さくて距離感のつかめない、体温の高い存在。僕を雇った家のいくつかは子どもに適切な愛情を注いでいないように見受けられた。そういう家の子どもは慣れてくると不意に僕の手足に噛みつくのだった。僕は彼らを叱った。弱くしなさいと諭すと彼らはちゃんと言うことを聞いた。彼らの薄い前歯、彼らの無力な暴力、彼らのさみしく原始的な愛。

 彼女は最近つきあった男の話をする。僕も最近つきあった女の話をする。仕事と生活の話が終わったときに付け足りのようにするタイプの簡潔な報告事項だ。僕のちかごろの女たちはいずれも結婚している。彼女はあきれて、あなたは昔から子どもを欲しがっていたのに、と言う。そんなんじゃ間に合わなくなるよ。計算して人とつきあえるタイプじゃないんだ、と僕は言う。知っていると思うけど。彼女は肩をすくめる。きみだって結婚してる男と寝ることくらいあるだろ。僕が言うと彼女はふふんと笑う。わたしはしない。その男と結婚している女性を傷つけたくないから。わたしは女の人たちを大切にしたいの。女性たちの一部にとっていまだ結婚は生活の手段でありさえするんだよ。彼らは一対一という法的な契約を結んでいるのだもの、自分の娯楽のためにそれを侵害するわけにいかないよ。

 娯楽、と僕は思う。僕は娯楽で恋をしたことなんかない。あなたのまわりには相変わらずろくな女がいないねと彼女が言う。なんてこと言うんだ、と僕は言う。そんなことはない、みなすばらしい女性たちだ。彼女は笑い、髪を揺らす。僕はそれに手をのばす。