傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

嘘つきの子ども

 母の前で僕は嘘つきになる。母が年をとって弱ってだめになって問題を起こすから、ではない。昔から僕は、親の前で嘘をついていた。

 僕の自己認識はとうの昔に「自分の両親の息子」であるより「自分の娘の父親」である。しかし子は成長する。じきに成人する娘に、親というものは、そりゃあいたほうがいいだろうけれども、いなくたってまあどうにかなる程度のものでしかない(そうでなければこちらが困る)。だからそろそろ年老いた両親の保護者としての役割のほうが重要になって、僕はふたたび「人の親」より「人の子」としての認識を強めなくてはならないのだろう。そう思って、僕はため息をつく。親。このやっかいなもの。

 僕は当時としては遅くにできた子で、両親はいま八十代。平均的には定年後に直面する親の介護問題が十年早くやってきたような具合だ。両親は地方に、僕は自分の家族と東京に住んでいる。父親は足腰がやられてろくに外出もできなくなった。そしていらいらして母親に暴言を吐く。執拗に吐く。いやな話だけれど、僕の田舎ではよくある話でもある。物理的な暴力をふるっていないだけましだと言われる。誰に言われるかというと、母親が父親にいびられて家を出て街をうろついていると警察官に保護されて、その警察官に言われる。殴られたわけじゃないんですから、とか言われる。

 そんなわけで僕の携帯電話には警察や母親から電話がかかってくる。警察官は、息子さんがちゃんと親御さんの面倒を見てください、と言う。母親は父親が「家に他人を入れるな」と怒鳴って介護士を追い返してしまうと言う。他人でなくて介護をしてくれるのは息子だけだと言う。東京で仕事があるから行けないんだよと僕は言う。僕にも生活があるんだ、自分の家庭があるんだよ。

 嘘である。僕の職場には早期退職制度がある。僕はそろそろその制度の利用が可能な年齢にさしかかっている。娘は来年大学を卒業するし、妻も働いていて、僕をあてにする経済状況ではない。なんなら僕を助けてくれるだろう。僕が介護のために田舎に帰ったからといって崩壊するような家庭ではない。僕はただ田舎に行きたくないのだ。僕は定年まで仕事をしたいし、もっといえば、介護なんかしたくないのだ。

 父親は昔から僕に向かって感情をあらわにすることがない。感情を表出する能力が低いんだと思う。はけ口は母親しかない。僕にとっては無愛想ながらやさしい父親だった。それなりの良識をそなえてもいた。でも今はそういう人格ではない。ただの精神的DV男である。母親をののしるくらいしかすることがない。母親は、自分はもう生きていてもしかたがないと言う。どうせもう長くないんだから楽になりたいと言う。これから死ぬと言う。すぐ来て自分を殺してくれと言う。

 僕はしばしば、夜中に母親からの電話を取る。こっそりベッドを抜け出して暗いリビングで通話ボタンを押す。そうして電話の向こうの母親に言う。そんなこと言わないで、死ぬなんて言わないで、長生きしてよ、みんなそう思ってるからさ、僕もできるだけそっちに行くから、仕事さえ都合がつけば。

 嘘である。僕は「死ぬ」「殺してくれ」と包丁持って迫ってくる母親と始終顔を合わせていたくない。仕事が休めても田舎に行きたくない。親にずっと生きていてほしいと思わない。あと数年のうちに始末がついてほしいと思っている。要するに早く死ねと思っている。思っているも同然だ。僕は、親に、死ねと思っているんだ。

 僕はやさしい子どもでいたかった。でもそうではなかった。ほんとうの子どものころから、僕はやさしくなんかなかった。父はやさしかったし、母はもっとやさしかった。彼らは自分たちのことより僕のことを優先させた。彼らは借金をしてまで僕に特段の教育を受けさせた。物心ついたころから僕はいつも後ろめたかった。だって、両親が僕を愛するようには、僕は両親を愛することができなかったんだ。僕にできたのは嘘をつくことだけだった。自分より親を大切に思っているふり。そうすれば彼らはこう言ってくれた。わたしたちのことより自分を大切にしなさい。ああ、僕は最初から、自分のほうが大切なのに。

 父親は弱りきって僕にことばをかけてくれなくなった。母親は弱りきって僕を振り回すようになった。でも僕はいまだに、彼らがいつか言ってくれると、心のどこかで思っている。わたしたちのことより自分を大切にしなさい、自分の人生を大切にしなさい、幸せになりなさい、お父さんとお母さんはそれが幸せなんだから。