その日はやけに酔った気がしたし、なにかしら不快にも感じられ、帰るなり浴槽に湯をためてじっくり浸かり睡眠導入剤を服んで眠った。いつも薬を使うのではない。眠れない予兆があるときに使う。自己管理というやつだ。
起床すると頭に煙が詰まっているようで、通勤電車で本を読むことができない。三十八度を超えると本が読めなくなることを経験的に私は知っているけれど、今は平熱だ。仕事はできる。少しくらい不調でも仕事のクオリティは自分で設定した下限の線以降には落ちない。そういうしくみを自分の中に作ってある。自己管理というやつだ。頭のなかの煙は喉から落ちて上体のなかに溜まり、ぼわぼわと動いているように感じられた。
陽のあるあいだ、神経から皮膜が剥がされてむきだしになるようなぞわりとする感触を幾度か覚えた。軽い吐き気と陰鬱な快感をともなう数秒の経験だった。
夜になるとからだの中の煙は質量を獲得して薄汚れた真綿のようになり、全身の皮膚のすぐ裏にまでおよんでいるようだった。その奇怪なぬいぐるみめいた身体を引きずって職場を出ようとすると外は嘘みたいな大雨だった。
あきらめて職場に戻った。軒先に立っているあいだに跳ねてきた雨粒でずいぶん濡れていた。靴を脱いで足を洗うことにした。私の中の胡乱な綿のかたまりと空が落ちてきたような雨の、その唯一の境界線である皮膚が、強くこすればちぎれそうに感じられた。足の指のあいだの皮膚を水で撫でるとどうしてか喉から口の中におかしな甘ったるさが詰まった。
主観的には数分、時計をみると小一時間のあいだ、職場で雨宿りをしていた。ざわめく足の皮膚を靴に押しこんで歩き駅に着くと豪雨の影響で電車が正常に動いていなかった。泊まっていこうと思った。このあたりのどこかにホテルをとればいいと。一時間も二時間も電車に乗るなんてうまく理解できなかった。もう歩きたくなかった。朝からろくに歩いていないのに。いつもは何キロも平気で歩くのに。
けれども、もちろん私は電車を待つ。たとえ自分の中身が古い綿みたいになっても自宅に帰る。野垂れ死にしない。自己管理というやつだ。
革の鞄の持ち手が冷たい金属のように感じられる。自分がふわりとかすみ、斜め上から電車に乗っている自分を見ているような気になる。
最寄り駅に着くころ、からだの中の綿のようなものはとろけて泥になっていた。歩くとたぷんたぷん波打ち、腕のなかでふるえ、足の中で揺れた。顎が上がり、顔が歪んでいるのがわかった。醜い、と思った。たぶん、今、私は、醜い。液体を入れた袋みたいに頼りない指で苦労して靴を脱ぎ玄関から直接バスルームに入り服を着たままシャワーを浴びる。すこしばかり自分の輪郭がはっきりする。冷蔵庫をあける。水をのむ。一気に飲みたくなるのを抑え少しずつ飲む。いつから水を飲んでいないんだろう。いつもしょっちゅう水を飲むのに。水はなくなり、容器を床に転がしたままからだをベッドに引きずりこむ。すみやかに眠る。
目をさますと世界は少しマシになっている。時計を見るといつもより長く眠りいつもより早く起きていた。焼いたベーグルの半分、コーヒー、豆のサラダ、葡萄がどうにか胃におさまる。この二日の食事の合計はいつもの一食分程度だ。よろしい、と私は思う。皮下脂肪があるのだから食欲不振ごときで死なない。数日のことなら飢えない程度に食べて眠っていれば問題ない。私は健康だしタフだ。
吐き気は減った。けれどもまだ確実にある。私は息を吸う。私は息を吐く。まともに見える身なりをする。電車に乗る。本はまだ読めない。音楽は私の友だちではないーーふだんは。ときどき必要になる。音楽を聴く。仕事をする。問題ない。音楽を聴く。ときどき過去の感傷の感情の部分だけが押し寄せる。エピソードは出てこないのに遠いところにあるなにかに心をもっていかれる感触だけが生々しくやってくるのだ。動画と音声が同時に再生されず真っ黒な画面で音声だけが再生されているような、故障。やるせなさがさまざまなバリエーションで満ち、引き、また満ちる。私は泣く。職場に着くと社会性のゲージが自動的に上がり私はまともな大人みたいな行動しかとらない。自己管理というやつだ。人目がなくなると何粒か泣き、さっとおさめる。
帰りの電車でも音楽を聴く。帰りの電車でも泣く。少し気持ちが良い。少し気持ちが悪い。皮膚の下は液体から固形に変わり、ざりざりと音を立てているように感じられる。これはなんだろう、飴かな。飴玉が詰まっているんだ。こすれて砂糖になって落ちる。からだは軋み、ひどく甘い。