傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

残滓としての病とそのための点滴

 手首にメモとかするのと訊くと彼女は笑って、ああこれはね、点滴、と言った。うっすらと残ったボールペンのインクの跡。点滴、と彼女は繰りかえした。きのうちょっと具合が悪くなってね、それで点滴を打つ必要があったの。
 出張から戻る途中の土曜日の改札前で、彼女は立ち止まる。新幹線の切符を探す。ない。長いことかけて探し、ようよう最初に探ったはずのポケットにそれを見つける。改札を抜ける。新幹線を探す。乗りこんですぐ、線路をひとつまちがえたことに気づく。発車のベルのなか彼女はホームに降り、向かいの線路にすべりこんできた正しい列車を見る。新幹線の切符を探す。ない。まずは乗りこんで、近くの自由席に移動し、荷物をひとつずつあらためる。財布のなかにそれはある。財布、財布のなか、と彼女は思う。指定席の番号を覚える。仕事柄移動の多い彼女に身についた手順で、車両番号と座席番号のあいだに座席のアルファベットをはさみこむのがこつだった。13A18。彼女は歩く。号車を確認する。頭のなかの数字が消えていることに彼女は少しうろたえる。財布をひらく。切符はない。それは右手のなかにある。彼女はあらためて座席の番号を確認し、それと前方を交互に見ながら歩いた。座席におさまって、久々に来たな、と彼女は思う。自分が半ば以上ここにない感覚。有能ではないかわりに、痛くない、つらくない、なににも傷つけられない。子どものころにはそれを「離脱」と名づけていた。
 切符と鍵と財布に重々気をつけて自宅に戻る。機能の高い遮光カーテンの隙間から光の束が落ちている。カーテンを、彼女はきっちりと閉じる。いろいろの用途に使っているやわらかな大きい布を細長く折り、カーテンレールとカーテンのあいだに置く。光のほとんどが遮られる。小さい間接照明だけを彼女はつける。風呂の湯を張る。台所の明かりをつけ、バスルームの電灯はつけずに入る。お湯に二種類のアロマオイルを落とす。首と肩胛骨の下と背中を、それぞれ軽くストレッチする。ごくゆっくりとからだを洗う。ベッドに入る。
 彼女がときおりたましいを手放したようになるのは、子どものころに病気でひどく痛い思いをしたからだった。痛みは繰りかえされ、終わりが見えず、誰にも止められなかった(もちろん医療者たちはできるだけ止めてくれたのだろう。けれどもそのプロセスだってやっぱり痛みをもたらすのだ)。痛みに対して彼女は無力だった。抵抗する方法はなく、逃げる方法がひとつだけあった。それが「離脱」だ。病気が治り、成長し、まるっきり健康な人間の顔をして働いていても、「離脱」はときどき彼女をおとずれた。彼女にはそのためのスイッチが彼女自身と不可分なかたちで埋めこまれており、いくつかの条件がそろえば、自動的に彼女はそうなる。
 久しぶりだなと、ベッドのなかで彼女は思う。何度もそう思ったような気がする。思うそばからことばは花びらみたいに散ってしまう。皮膚はいつもより遠いところにあって、時おり微弱な電流が流れているように感じられる。香りに彼女は注意をはらう。洗いたてのシーツの綿のにおい、バスタオルから蒸発していく水分のにおい、気に入りのコンディショナのはちみつのにおい。彼女は慎重に腕を伸ばしていくつかの事実をつかんで引き寄せる。翌日が日曜日であること、食事の約束は反故にしてもかまわないこと、だから安心して眠っていられること。まぶたの裏にははるか昔の未消化の記憶が不随意に出入りしている。「離脱」の前後はいつもそうなる。ずるをするからいけない、と彼女は思う。たとえば痛いのから逃げるためになんにも感じないようにすると、それは冷凍されて、いつまでも残る。そうしていつかその取り分を取りにくる。きっちりと利子をつけて。
 ベッドから出ないまま床に置いた鞄を探って赤いペンを取りだす。いちばん好きだったきれいな看護師がちっとも痛くない方法で点滴を挿してくれる映像が脳裏で自動再生されている。それに合わせてボールペンで腕に印をつける。息をつく。ボールペンを動かす。窓の外の音が聞こえる。看護師はいない。もう大きいからね、と彼女は思う。もう大きくて、それに元気になったからね。
 なるほど、と私は言う。半分そこにいないみたいになっちゃうのって、治るものじゃなくって、つきあっていくみたいな、そういうかんじなのかな。治るものじゃなくって、と彼女は言う。治しているから起きる現象だと私は思っている。架空の点滴を打ってね。なにを治しているのかは、私にもわからないんだけど。