私は口をきわめて見も知らないその人を罵った。彼女はひっそりと笑い、そこまで言うほどたいしたことじゃないよと言った。でもありがとう。
私はコーヒーをのむ。コーヒーはいい香りがするから気持ちがささくれだっているときにはお酒よりコーヒーを選んだほうがいい。いい匂いがするのはなにしろ大切なことだ。たとえ小さいものでも、傷がそこにあるときには。
罵倒くらいいいじゃないと私はこたえる。不問に付してやるんだから。せめて本人のいないところで罵るくらいはしようよ。そのほうがすっきりするよ。
彼女は職場の人たちとお酒をのみに行った。密接に連携して業務にあたっている戦友めいた五人だった。帰りは二手に別れてタクシーに乗った。彼女のタクシーにはあとひとり男性が乗った。抱きつかれただけだよと彼女は言った。平気な顔をしていた。
そいつが彼女か妻にごきぶりみたいに嫌われますように、今いなければ一生できませんように、と私は祈った。そんなに重たい呪いをかけなくても、と言って彼女は笑った。私はかけたね、間髪入れずにかけたね、と私はこたえた。
私がその呪いをかけたのは十年ばかり前の花火大会の帰りだった。ようやく人がいなくなった道を友だちと四人で歩いていたら、ジャージを着た男が疾走してきて、すれ違いざまに胸をがしっとつかんでほとんど速度を落とさないまま駆け抜けていった。私はその男に追いつけないことを悟り(私は浴衣を着ていた。それにものすごく足の速い男だった)、小さくなる背中に向かって彼が生涯誰にも愛されませんようにという意味の罵倒を投げつけた。かなり下品なことばで。
彼女はげらげら笑って品がないと言い、品がないのは痴漢のほう、と私は断定した。私はそいつの品のなさにふさわしいことばを返したにすぎないよ。
彼女は不自然なほどに長く笑って、それからコーヒーをのんだ。私のと少しだけ違う香りがするはずの、私のとは色もかたちも違うカップに入ったコーヒー。この店に何客の色とかたちの違うカップとソーサーがあるのか私は知らない。長いスカートを履いた白髪の女が店主で、彼女が豆の量り売りをする店頭の後ろに衝立があり、その向こうにほんの四脚の椅子がある。
ほとんどの場合、そこに他人が来ることはなかった。小さいから誰かがいると入らないのかもしれない。少なくとも私は先客がいるとコーヒーを持ち帰りにして歩きながらのんだ(持ち帰りだと半額なのだ)。壁は薄い緑色に塗られ、深夜までひらいていて、夜のあいだは薄暗く、コーヒーよりほかのものを出すことがなかった。穴ぐらコーヒー、と私は呼んでいた。もちろんちゃんとした店名があるけれども。
私でよかったと彼女は言った。別のタクシーに乗った人、鈴本さんっていうんだけどね、鈴本さん修道女みたいだから、そういうことされたらきっとすごくショックを受けると思う。それに大学出たての純粋なお嬢さんとかでもなくってよかった。
そういう問題じゃないでしょうと私は言った。何人たりともアクセス権のない他人のからだに触っちゃいけないの、相手がすれっからしのばばあであっても関係ないの。彼女はまたひどく笑い、すれっからしのばばあ、と繰りかえした。
いやだったよねと私は言った。いやだったよと彼女はこたえた。
彼は彼女の直属の上司ではないものの、彼女より職位が上だった。なにより彼らがぎくしゃくすると仕事に大きく差し障る。酔っぱらっていても、そういうのは忘れないんだと思う、と彼女は言った。この相手で、この程度なら、黙って水に流すって、どこかでわかってて、するんだと思う。私は、触られたのなんか、ほんとにたいしたことじゃないと思うよ、だって、いやな人じゃ、ないから。私は、私にならそのくらいしてもいいって、そう思われたのが、いやなの。
がっかりした、と彼女は言う。小さい声で言う。私はあのとき、あの人の、ちゃんとした仕事仲間じゃなかった、適当に扱っていい相手だった、手頃な抱きまくらみたいなものだった。がっかりした。
そいつの髪が明日から毎日百本抜ければいい、と私は言った。彼女は笑った。私はさみしかった。くだらない罵倒しか私には提供できなかった。花火大会の帰りに私は傷つかなかったのではなかった。でもそのできごとはするりと抜けた針のように軽かった。そこには接触だけがあり、文脈がなかった。彼女に起きたことはそうではなかった。関係と感情をともなう小さな暴力は返しのある釣り針のように私たちの中に潜り、どれだけ細く小さくても抜くことができない。