傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

生徒会長から雲をもらった話

 西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇くんは進学校に行くつもりであるらしかった。わたしたちの中学校はどちらかといえばガラの悪い下町の公立校で、わたしたちはだから、相対的に優等生だった。

 西脇くんは背の高いがっしりした男の子で、もじゃもじゃの髪を中学校の校則ぎりぎりまでのばしていた。黒縁のめがねをかけていて、そのめがねは上等のものだった。わたしは工芸に詳しくなかったけれど、それでもわかった。

 そのめがね、いいね。わたしが言うと西脇くんはそれを外し、制服の裾でていねいに拭いて、見る、と言った。わたしはありがとうと言ってそれを見た。一見ふつうの黒いフレームのめがねだったけれど、流麗なフォルムをしていた。わたしがそれをほめると、西脇くんはうつむき、ほしくてほしくて親に頼み込んだ、と言った。

 わたしが芸高を受験すると話すと、西脇くんは細く長いため息をつき、選ばれた人だ、と言った。まだ選ばれていないと言ってわたしが笑うと、西脇くんは首をうしろに向けて、だって、目指せるじゃないか、と言った。芸術をやりますって、宣言できるじゃないか。もう選ばれてる。

 西脇くんは絵が少し描けた。でも絵を描くための教育を受けているのではなかった。そしてそれでもわかるような飛び抜けた絵の才覚があるのでもなかった。成績は学年でいちばん優秀で、実直な生徒会長だった。西脇くんは自分のことをよくわかっていた。美しいものを好きで、でも進学校に行くのが妥当であることを。

 わたしのお母さんは西脇くんをわたしの最初の彼氏だと思っているけれど、そんなのではなかった。西脇くんもわたしのことを恋愛とかそういう感じで好きなのではなかった。好きという感情が未分化な中学生でも「これはちがうよな」と思ったし、その後も折に触れて「やっぱりそういう感じではない」と思った。西脇くんのほうはもっと露骨で、高校で好きになった女の子がいかにすてきかという話をわたしにしていた。西脇くんは奥手でなかなか女の子に手を出せず、わたしにせっつかれて話をするときにも真っ赤になって広い肩やら大きな足やらをじたばたさせるのだった。そんなだから二十歳過ぎまで女の子とつきあったことがなかった。

 わたしは芸高から美大に進んだ。山の中にある敷地の広い学校だった。西脇くんとはときどき連絡をとっていた。美大の文化祭に行ってみたいというので、当時の彼氏と駅まで迎えに行った。どうして彼女を連れてこなかったのと訊くと耳たぶまで真っ赤にして、あの、あの人は、あの、そんなのじゃないから、とこたえるのだった。わたしと彼氏はすごく楽しくなって西脇くんを両側からつつきまわした。

 わたしたちは文化祭を回った。わたしが仲間たちと大学の敷地内に作った小屋を見せると(全員音楽をやっていたのに文化祭では学校のお金で木材を発注して敷地の中にクレイジーな小屋を建てた)、西脇くんはひどく笑い、それから、いいなあ、と言った。いいなあ。うらやましいなあ。

 これ、あげる。西脇くんが唐突にそう言ってわたしにこぶしをつきだした。包み紙をあけるとごく小さなつや消しの不規則な楕円を細い細い鎖でつないだピアスが出てきた。先端にはうす青いガラスがついていた。何もかもが小さくて、全長は三センチもなかった。

 わたしと彼氏は西脇くんを見た。金の楕円は雲で、と西脇くんは言った。雲が雨を降らせているんだ。わたしたちは感心してその精緻な細工を鑑賞した。好きな女の子にあげたらいいじゃんとわたしが言うと、あの子はピアスあけてないからと西脇くんは言った。自分でつけたくないの、と彼氏が言った。耳に穴あけるなんて簡単なことだよ。あけてやろうか。

 つけたくないことは、ないけど、と西脇くんは言った。僕は男で、こんなだから、つけられない。そういう、つまらない人間なんだ。でもどうしても買いたかった。イスラエルの作家が作ったんだって。

 いつかイスラエルに行きなよ、とわたしは言った。そうする、と西脇くんは言った。大学を出たあと、西脇くんはほんとうに海外出張の多い商社に就職した。たまにSNSで見る。わたしのピアスホールはとうにふさがっているけれど、金の雲は捨てずにとってある。とても美しいから。

好意なし、友情あり

 いや、みんな、だいたい、おたがい、知ってます。部下がそう言うので、ははあ、とわたしは返した。間抜けである。部下は笑った。うちのチーム、お互いの私的な事情はだいたいわかってます。もちろん、濃淡はあるけど。「あの人は今年お子さんが受験だ」とか、「あの人はがんが見つかったけど今のところ仕事は可能」とか、「あの人が母と呼んでいる人は二人いる」とか「あの人の前夫は暴力を振るう人間だった」とか、そのくらいはわかってます。なんならわたしがソシャゲに毎月何万も課金してて、そのためにランチは滅多に外食しないってことも、みんなわかってます。マキノさん、メンバーがお互いのプライベートを把握してるって、知らなかったんですか。

 知らなかった。私は人の気持ちに疎い。同僚の誰と誰の仲が良いか程度のことさえわからない。自分の気持ちしかわからない。私が管理する部署の人員はやや若年が多いが、おおむね老若男女いて、険悪ではないが、仲良しでもないように思う。年齢や性別や家族構成で分けてみても特段の共通点はない。職場を離れて話したいというリクエストがあれば昼食をともにする。部内で私が仕事の後にときどき一緒に出かけるのはこの目の前の部下だけである。あとは年に一回の会社主催の歓送迎会。ザッツ・オールである。

 私が若いころお世話になった上長が「だって自分の人事を査定する人間と仕事外で仲良くしたいわけないじゃん」と言っていて、実にまったくそのとおりだと思って、自分が管理職になってから真似をしている。私はその上長がわりと好きなので、たまにお願いして食事につきあってもらうのだが、それは私の都合である。

 私は世の中の人間の九割に関心がない。嫌いという関心を持つ人もあるから、好意的にかかわりたい相手は一割弱である。他人の割合は知らないが、統計データがあるような性質のものではないから、自分を基準に考えるよりない。そんなだからだいたいの人間は自分に関心がないと考えて生きている。九割が相互に無関心であって、話してもすぐ忘れる。そういうものだと思って生きている。

 ただし、個人的な関心がなくても職場において私的な事情を共有したほうが好ましいことはある。集中的に休暇を取るだとか、仕事の負荷を調整しなければならない事情があるとか、そういうときである。私としては管理する部署の全員が好きなときに有給を全日程消化してほしいのだが、弊社にはそこまでの余裕はない。法的にも有給の時期は相談して決めてよい。それで部下に相談をする。そうすると時に私的な事情があきらかにされる。「そこまで話さなくてもいいのになあ」と思うこともあるが、そんなのは部下の勝手である。私は「気が進まなければ話さなくていいですからね」と何度も言い、彼らは平気でべらべらしゃべる。「彼氏と旅行に行くんで休みます。彼氏の写真見ますか」とか(見て何になるのか)。

 ですからね、と部下が言う。それはマキノさんに対してだけしていることじゃないんです。お互いに話しているんです。グラデーションはあるけど、全員かなり踏み込んだところまで自己開示してますよ、うちの部署は。そうなのと私が言うとそうなんですと部下は言う。そしてちょっと笑って、マキノさんは鈍いなあ、と言う。

 休暇取得のためだけに話しているのでは、たぶん、ないんです。同僚っていうのは、選んだ相手じゃないけど、でも、いい人たち、多いじゃないですか。そうしたら、互いに調整できることは、したい。思いやりたいです。せっかく人生のひととき同じ場に居合わせたんだから、助け合いたいですよ。みんなマキノさんよりは他人のこと考えてるんですよ。

 美しいなあ、と私は思う。そしてこの美しさは実は当たり前なのかもしれないなあと思う。私は複数の人々がいがみ合う人間関係を実は見たことがない。一方的な暴力やハラスメントはたくさん知っているが、内輪揉めみたいなのはほとんど見たことがない。

 私がそう言うと部下はまた笑って、それはマキノさんが気づいていないだけですよ、と言う。けっこうけんかもしてます、悪口言いあってる人たちもいます。マキノさんが気づいてないのは友だち少ないからですよ。部内にわたししか友だちいないじゃないですか。あのね、嫌いな人はいても、その人の事情は了解しているんです。仲良くない人でも、助け合うの。わかんないかなあ。

 よくわからないと私は言う。しかたないですねと部下は言う。

憤怒の才能

 嫉妬って怖いですよね。歓送迎会でよく知らない人がそう言うので、そうなんですね、と私は言った。とくに意味のない、社交上のせりふである。歓送迎会はまとめてやるので、ふだんはかかわりのないよその部署の人がいるのだ。

 そうなんですね。私が相槌よりやや疑問に寄った四文字を発すると、そうですよと彼は言う。俺すごい嫉妬されるんで困ってるんですよ。

 彼はそのように言う。恋愛相談だ、と私は思う。唐突だと思う。私の理解によれば、嫉妬というのは「あなたは私だけに恋していると私は思い込んでいたのに、そうじゃなかったんだ、あなたは別の人を好きなんだ、その人は私ではないんだ。私の世界はまちがっていたんだ、そんなの認めたくない」という感情である。

 私があなたの好きな人のようであったらよかったのか。でも私はそのようでない。あなたはその人を好きになった。私はかなしい。私はくやしい。あなたが私を好きなあなたのままでいなかったことがつらい。私は、あなたのことを、私の心臓であるかのように思っていた。あるいは私があなたの肝臓であるかのように。でもそれは嘘だ。あなたは私の心臓ではないし、私はあなたの肝臓ではない。私は、できるものならあなたになってしまいたい。でもできない。私は私以外の誰かになることができない。

 嫉妬というのは、そういう感情である。いくら配偶者や恋人であっても、なかなか出てくるものではない。ひとことで言うと、どうかしている。恋で頭がおかしくなっている。対処としてはまず、「恋人は私ではないから、しかたない」と自分に百回でも千回でも言い聞かせる。あと座禅のまねごとをする。私は四十年ちょっと生きてきて、恋で頭がおかしくなったことが複数回あるんだけど、自己暗示と座禅以外に有効な対処はなかった。

 あの、つまり、配偶者の方ですとか、彼女さんですとかが、大変な感じなんですか。私がそう訊くと、彼は顔をゆがめて突然嘲笑する。あのさ、恋愛とかぜんぜん関係ないですよ。そういう話題、セクハラなんですけど。えっとお、失礼ですけど、おいくつですっけねえ? 俺が話してたのは、会社の嫉妬深い連中に困ってるって話なんですけど、わかりますかね、足引っぱる側の人の話を聞こうと思って声かけたんですけど。

 私は彼の言葉に含まれる大量の負のエネルギーにショックを受ける。無関係の他人に向けるにはあまりに強い悪意だ。彼はたぶんすごく怒っている。憤怒している。もちろん私にではなく、誰か、他の人に。彼の「足を引っぱっている」人に。私はその代わりなのだ。彼は言う。

 マキノさんそんな仕事できるほうじゃないじゃないですか。てかザコポジションでしょ、こないだ篠塚さんがもっと上いったじゃないですか、負け組決定、で、どう思うんですかね。

 どう思うと言われば、「篠塚さんは仕事ができてうらやましいなあ」と思う。篠塚さんは私より仕事ができて成果を出した。仕事は評価されるものだし、評価があれば上やら下やらに位置づけられて、いつも自分が上じゃないのは当たり前だ。自分の評価が下だったのは、ふがいないけど、しかたない。そう思う。もし自分にぜんぜん需要がなくなったら仕事を変えたらいい。たぶんどこかには需要がある。

 私がそう言うと彼は私のことばに金属質の笑い声をかぶせる。なげーし、と叫ぶように言う。私は完全にうんざりして彼に背を向ける。背後からさらに声が飛んでくる。めんどくせえ女。私はその甲高い声を非常に不快に感じる。声はやまない。俺ああいう女いっぱい見てきたわ、ほんとめんどくせえよなー。

 なんだか怖かった。彼はおそらく強く怯えていて、その怯えの気配のようなものが私を怖がらせた。酔っているからといって済ませるような感情の表出量ではなかった。たぶん彼は、「自分の足を引っぱっているのは自分より評価されていない社員に違いない」と思って、それで「マキノもうだつが上がらないから誰かの足を引っぱっているだろう」と思って、それで怒っているのだ。怒ってあれだけ激しいエネルギーを発することができるのなら、それも才能のうちだ。その才能でもってがんばって成果を出したらいい。そして、私は、その才能を、好きではない。私は彼の怒りの依り代にされるいわれはない。「足を引っぱっている」人に直接怒ったらいい。私はその人じゃないんだから、放っておいてほしい。あとやたらと性別の話をしていたのは不適切だ。だって、性別、ぜんぜん関係ないじゃんねえ。

嘘つきサキちゃんの不払い大冒険

 サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。

 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきがいます。サキちゃんは後者でした。完全にほんとうだと思いこむと嘘がばれないように操作することができません。サキちゃんはそのさじ加減が絶妙でした。嘘を嘘と自覚しながら意識の中ではほんとうと思い込む。サキちゃんはそういうタイプの嘘つきでした。

 サキちゃんの妹はやがて、それほど派手な嘘をつかなくなりました。姉妹が中学生のときのことでした。嘘つき姉妹は解散し、嘘つきサキちゃんだけが残りました。サキちゃんは妹を軽蔑しました。正直になった妹は地味で、ださい連中と一緒にいて、いつだってキラキラのすてきなグループにいたサキちゃんとは格が違っていたからです。

 サキちゃんは大学生になりました。それから、自分にはお金がないことに気づきました。人並みの、そこいらのぼんくらな学生たちと同じくらいしかお金がないのです。なんということでしょう。そこでサキちゃんはITベンチャーを立ち上げました。サキちゃんは小さな仕事からはじめて、着実に顧客を取りました。就職超氷河期と呼ばれた時代ですが、サキちゃんは平気でした。自分の会社をやっていく自信があったからです。

 サキちゃんはITのことはよくわかっていません。ただサキちゃんは、人に「すごそう」と思われる能力が段違いに高かったのです。その内容はもちろんハッタリという表現でおさまるものではなく、嘘でした。嘘つきサキちゃんは、ついに嘘で稼ぎを得ることに成功したのです。

 手順は簡単です。サキちゃんは仕事を取ります。それを下請けに出します。一人あたま数万円から十数万円の少額下請けです。誰かがその作業を請け負います。サキちゃんはその仕事を右から左に納品します。下請けにもちゃんとお金を払います。愛想よく挨拶して、食事を奢ってあげたりします。

 サキちゃんはすてきな女性です。キラキラしていて、でも親しみやすく、初対面の人でもきゅっと距離を詰めます。小さなころのサキちゃんの嘘は、お金のためのものではありませんでした。人に気に入られるためのものでした。愛されやすさを、サキちゃんは修得していました。疑い深い人間であればそれがあまりに表面的であり操作的であることに気づきますが、サキちゃんはそんな心のまずしい人間に用はありません。サキちゃんはやさしくて愛情深くて自分を気に入ってくれる人だけが好きなのです。

 やがてサキちゃんは、学生アルバイトの下請けだけでなく、プロのフリーランスや小さな法人の信頼をも得ることに成功します。サキちゃんの仕事の額面はだんだん大きくなります。そしてちょうどいいタイミングで、その一部にお金を払わなくなります。

 お金を払っていないことを、サキちゃんはメールに書きません。払ったとか払わないとか書くのはしろうとです。相手が「それなら待とうかな」と思うような文言を、相手のタイプによって使い分けます。相手がいよいよ怒ったら、まるで相手のほうが悪いかのように思わせる表現を送ります。サキちゃんのすごいところは、相手がものすごく疲れて、これ以上かかわりあいになりたくないから数万円を(あるいは十数万円を)諦めようと思うようなコミュニケーションを取る能力があることです。サキちゃんはまず愛され、それから「もういい」と思われることに長けていました。

 サキちゃんはこのようにして最初の「成功」体験をしました。頃合いをみて会社をたたみ、引っ越しをしました。そして別の会社を立ち上げました。原資はもちろん前の会社の不払い分です。より規模を大きくし、より操作を徹底し、サキちゃんはさらに「成功」します。しかし不払いの額面が大きくなったので一度訴えられそうになりました。サキちゃんはぎりぎりのところで逃げました。

 サキちゃんはそれを繰り返します。地元の松山にはじまり、名古屋、仙台、福岡、札幌と移り住み、それぞれの地で会社を立ち上げ、そして畳みました。サキちゃんはそのあいだに結婚し、離婚しました。子どもはいません。サキちゃんは、子どもはほしくない。サキちゃんは自分より愛されるものなんて欲しくないのです。

 サキちゃんの被害者は、一度ずつしか被害に遭いません。そして被害額は訴訟しても損をする額面のうちです。だから今のところサキちゃんは無事です。どうしてわたしがそのことを知っているのかって? それはわたしがかつての「嘘つき姉妹」の片割れ、忘れられた「嘘つきマキちゃん」だからです。わたしはこつこつと姉の所行を記録しています。いつか地獄に落としてやる。

わたしの部下は口を利かない

 榊さんは口をきかない。そういう人なのだそうである。聴覚障害ではない。発声器官に障害があるのでもない。特定の場面、たとえば学校や会社などで口をきけなくなるのだという。榊さんは一度も口を利かないまま同じ会社の別のフロアで何年かアルバイトをして、仕事ぶりが非常によいので、正社員になってもらったのだけれど、部署の上司が転勤することになったというので、人事からわたしのところに話が来た。「口きかない部下って、受け入れてもらいにくいんですよ。でもあなた気にしないでしょ」という。会議で発言できないとなると、担当できる仕事はかぎられるが、それでもいいのだという。

 そんなわけで榊さんと面談をした。面談といっても、言語を発したのは榊さんの上司(転勤予定)と人事担当とわたしである。榊さんは音声を発しない。あいさつも無言の会釈である。そうして目をいっぱいに見開いてわたしを見ている。表情はほとんどない。ぴしりと背筋が伸びて、手以外が動かない。ときどきまたたきをする。人事の評価を見ると、頼んだ仕事のアウトプットは非常に早く、英文の書類も扱えて、資格も持っているとのことである。

 少し驚いたが、よく考えてみれば口を利かなくてもできる仕事はあるのだ。口頭で決めた内容をメールで送ったりもしている。そうして、わたしはチームのメンバーと親睦を深めたいという考えはとくにない。休暇の日程調整や業務上の相談は就業時間内でしている。榊さんの場合、そういうのもメールで送ってくるのだという。それならば、問題ないのではないか。

 そう思って榊さんにチームに入ってもらった。メンバーには簡単に説明した。全員「ふーん」という感じだった。つまりそれは、とひとりが質問した。とてもとても内気ということですか。不安感が原因ではあるらしいんだけど、内気といっていいのかはわからない、とわたしはこたえた。いや、と質問者は続けた。つまりですね、もしもその人が、非常に内気で繊細であるならば、まわりで大きい声出したり大きい音出したりするのも控えたほうがいいかなって思ったんですね。

 人事を通して榊さんに文書で尋ねてみると、たしかにとても怯えやすいが、子どものころからたくさん訓練しているので通常のオフィス環境には適応できており、音などについてメンバーに負担をかけたくない、という回答があった。なるほど、わたしは当人が口を利かないというシチュエーションしか考えていなかったが(他人の内面に疎いのだ)、気づく人は気づくものである。わたしは声が大きくて所作が雑だからできるだけびっくりさせないように気をつけようと思った。

 そうして一年少々が経過した。とくに問題はない。榊さんの仕事の範囲は限られるが、その範囲では安定して有能である。とにかく静かで、手首から先だけ動かすような独特のタイピングで大量の書類を作る。メンバーによると、ときどきランチや仕事帰りの夕飯にも加わっているらしい。一緒にどうと訊くとこっくり頷いてついて来るそうである。「榊さんはお蕎麦を一本ずつ食べます。麺がすすすと吸い込まれていくのです。無音です」ということであった。

 榊さんは無表情だが、無感情なのではない。一度だけ、小さく小さく口をひらいて、ありがとうございます、と蚊の鳴くような声を出したことがある。その後の発言を待っていたが、化粧の上からでもわかるほど顔色が真っ赤に変わって目にいっぱい涙がたまり、それから驚くべき早さで元の白くて動かない榊さんに戻った。べつに泣いてもいいんだけどなとわたしは思った。業務上のやりとりでわたしからのハラスメントがあって部下が泣いたという状況なら第三者に査問に入ってもらうが、そうではないのだ。泣くくらいなんだというのか。わたしは頻繁に手洗いに行くが、それと同じように泣きやすい人もあるのだろうと思う。他人が泣いてもわたしには関係のないことである。ぜんぜん気にならない。

 でも榊さんはたぶん「社会人なのだから絶対に会社で泣いてはいけない」と思って、ものすごい気合いを入れて涙を止めたのだと思う。そのほうが適応的ではある。適応的ではあるんだけど、なんかみんなもっとラクにやれないのかなと思う。わたしは身体をしめつける服装がとても嫌いだし、気がつくと口があいてるんだけど、会社ではちゃんとした格好をして、口があきっぱなしにならないように気をつけている。ほんとうは榊さんが好きなときにおしゃべりにトライして副作用として泣いて、その横でわたしが原始人みたいな格好で口をあけっぱなしで仕事してるんでも、いいと思うんだけど。

蟻の女

 これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、その場所は僕が高校生のころまでいた、いわゆる実家で、そうして僕はこう言ったのだ。肩もんであげようか。

 女親の肩を揉むことが僕には知らない女とセックスするよりはるかに大変な行為なのだった。かわいそうにね。かつて僕にカネを払ってホテルに連れ込んだ女がそう言っていた。お母さんに一度も頭を撫でてもらえなくて、かわいそうにね。でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。

 そのころ僕は大学生で、女と寝てカネを稼いでいた。僕はたいそうな大学に通っていて気が利いて顔も悪くない若い男で、だから上等だった。僕は高く売れた。女なんか簡単だった。僕みたいなのを好むタイプをフィルタリングしてまるでその女を欲しているかのように振る舞えば必要なカネが手に入った。僕は学生生活のすべてを、つまり学費と家賃と生活費と遊興費を完全に自分の稼ぎでまかなっていた。

 顧客はどういうわけか比較的若い女が多かった。最初は正気かと思ったけれど、そのうち慣れた。どうやら昨今男を買うのは誰にも相手にされなくなったババアではなく、ねじまがった二十代女子であるらしかった。僕は女には内面なんか存在しないと思っているから(だって、あいつらの行動って蟻とそんなに変わんないじゃん。蟻に内面とかあるか? )、実年齢はどうでもいいんだけど、身体が若いのは助かった。若いほうがまだ見苦しくないし、だいいち、三十すぎたババアは、くせえだろ。鼻だけ息止めてやるのは手間だし。

 新しい蟻がやってきたので食事に誘うと蟻は露骨にいやな顔をした。さっさとやれと言わんばかりだ。欲求不満があまりにひどい。僕は笑う。メシくらい食わせろよと思う。世も末だと思う。女というものは、いつも、こんなにも、醜い昆虫だ。僕が気の利いた会話を展開するとため息をついてきみの話は押しつけがましいと言った。失礼な蟻だった。安っぽいキャリアウーマンもどきの蟻。腹が立って頭に血が上ってやりたくなったんだけど蟻は目と鼻の間に皺を寄せて僕を押しのけてホテルの部屋の扉まで後退して後手に持ったかばんを漁ってカネを撒き、帰れ、と言った。蟻は出張でこのホテルに泊まっているから自分が帰るわけにいかないのだった。せこい。所詮は蟻だ。

 僕は流暢に語った。一万円札の散った床を見ながらベッドに膝をついて腕をだらりと落としたまま延々と語った。僕の母について。僕の母が決して僕に触れなかったことについて。清潔な部屋と栄養バランスの整った食事と完全な学習環境を提供し、僕が六歳になるまで冷徹な子守を雇って、僕に一度も触れたことのない、母について。

 蟻は鼻と目のあいだに皺を刻んだままティッシュペーパーにぺっとつばを吐き、僕を見たまま着衣の乱れを直して、かわいそうにね、と言った。かわいそうにね、お母さんに撫でてもらったことがなくて、でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。ファミレスで時間つぶして東京の顧客のとこ行って新幹線で寝て帰るわ。

 カーテンをあけると西新宿は早朝で、やたら光っていた。ビルばかりだからだ。ビルはガラスをいっぱい使っているから。

 僕は女の取ったホテルで女の食べるはずだった朝食を平らげて大学に行った。カネはもらった。仕事、すなわちセックスあるいはそれに類する行為はしなくて済んだ。女は関西在住だそうだからもう来やしないだろう。つまり、OK。まったくOKだ。

 そんなのは僕の学生時代のありふれた夜のひとつで、今どうして想起したのかと思ったら、あの蟻の女に母の話をしたからなのだった。なんで話したのかと思う。たぶん、人間っぽいことしたらエージェントにクレームがいかないと思ってやったんだと思う。

 東京に両親がいるのに家出して何もかも自分でまかなって卒業してめでたく外資に就職してそのままドイツに渡って二年後に帰国した。つまり、今。

 両親は完全に老人に見えた。彼らはあきらかに僕をもてあましていた。肩もんであげようか。そう言うとお願いしようかしらと母は言った。気がつくと僕は「大人になった息子の穏当な肩もみ」を終えていた。それじゃあねと僕は言った。ありがとうと母親は言った。父親は黙っていた。僕は不意に理解した。僕は二度と彼らを訪れないだろう。僕は二度と彼らを求めないだろう。僕は二度と、あの蟻たちを必要としないだろう。

愛されにくさへの手当て

 わたしは愛されにくい。ほとんど誰もわたしを愛さない。しかたがないから愛されにくくてもできるだけ楽しく生きていく方法を考えようと思った。十五のときのことである。

 わたしは空気が読めない。口頭での会話が苦手で、人と話す場面でがちがちに緊張する。クラスの子たちは半笑いで気持ち悪そうにわたしを避けた。話ができない人間は基本的にだめだ。でもたまに問題ない人もいる。ろくに口をきけない女の子はクラスにもう一人いたけれど、彼女はとても華やかな容姿だったから、可愛い可愛いと言われて何人かの女の子たちに取り囲まれていた。

 わたしは美しくない。ごつごつしたからだつきで痩せても太っても女の子っぽくならない。顔は左右非対称で目が奇妙な垂れ方をしていて鼻が曲がっている。肌がでこぼこで毛穴もすごく目立つ。態度とあいまって「気持ち悪い」という表現がもっとも適切だ。生理的な嫌悪感をもよおされやすい容姿なのだ。

 わたしはそれを認めた。しかたないと思った。女の子なのにねえ可哀想にねえというのが口癖の、四十過ぎてもつるつるした肌のきれいな母にうんざりしたためでもある。母は、わたしの世話をしたけれど、わたしのことを気持ち悪いと思っていた。

 母に愛されないから、母を憎むことにした。あんな低俗で愚かで不勉強な女はいないと思うことにした。母がわたしの容姿をけなすと、うるせえゴミクズ、と心の中で言って、じっとりと母を見てやった。そのうち母はわたしと口をきかなくなった。わたしは気づいた。母はわたしが怖いのだ。わたしがたくさん本を読んでいて、うまく話せなくてもものを考えるのは得意だとわかっているから。

 わたしは母を見限った。きょうだいはいないし、父親は家庭にまったく関心がない。友人はできたことがない。祖母は少しやさしかったように思うが、わたしが七つのときに死んだ。十五年生きて、誰にも愛されない。死にたいような気もしたが、死ぬのは怖いからやめた。

 わたしは会話の練習をした。台本を作って暗記し、鏡に向かって何度も話した。可愛い女の子の写真を実物大にプリントアウトし、それを箱に貼って練習に使った。よく使う台詞のパターンを作り、それを状況に合わせて発声できれば、会話ができる。わたしは十五歳から二十歳すぎにかけて懸命に訓練し、果敢に実践した。もちろんみんながわたしを気味悪がって無視したり、ひそひそ笑ったりした。でもそんなのはどうでもいいと思うことにした。学校を出たら一生会わない。おまえらなんか練習台だ。そう思った。服装はスタンダードをきわめた。地味目の普通。店員の目もぜったい気にしないと決めてばかみたいな量の試着をし、毎日化粧の練習をした。大学生になると、少しはましに見えて舐められにくい格好を確立した。

 その結果、わたしは視線を微妙に外したまま棒立ちになって無表情でぼそぼそ話している不気味な人として、特定の何人かと会話ができるようになった。十代後半を費やした血のにじむような努力の成果としてはたいしたことがないようにも感じるが、でもいい、と思った。SNSも使った。口頭で話すよりは上手くことばを出せるし、容姿も関係ないからだ。そうしてSNS上で話す相手を幾人か見つけた。

 それから大学を出て就職した。上司も同期もわたしをいじめないが、好みもしなかった。誰にも誘われないし、昼休みはいつもひとりだ。よろしい、とわたしは思った。迫害されないだけまし、舐められないだけ上等、業務に支障がなければ重畳。

 わたしはわたしと口を利く人がいないか、時間をかけて探した。わたしのような愛されにくい人間が他人に近づくとき、ぜったいに持ってはいけない感情がある。執着だ。考えてみてほしい。たとえ気持ち悪くない人だって、ちょっと相手をしたからって全力でしがみついてきたら、怖いだろう。わたしは大学生の後半、毎週禅寺に通って自分の執着心を見つめた。今でも一人で座禅している。座っているといろいろな雑念が浮かぶが、いつも、ほとんど必ずいつも、「愛されなかった」という感情がやってくる。すごく強い恨みの感情だ。わたしは思う。「愛してほしかったのに、愛されなかったな」と思う。「恨めしいな」と思う。それを何百回も何千回も繰りかえすと特定の人にしがみつこうという気はなくなる。

 今でも親密な友だちはいない。恋人もできたことがない。でも、愛されないことを気に病まなくなった。何人か口を利く人がいて、人間扱いされているから、なんだかそれだけですごく幸福であるような気もしている。そもそもみんなだって、ちゃんと愛されているか、わからないではないか。