傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね

 出版市場は実は縮小していない。出版される本の数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。

 わたしの職能は雑誌編集、単行本企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。

 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社から仕事を取り、エージェント的な中継ぎ事務所を通してWeb媒体や自治体からの請負もするようになった。

 企画と取材とライティングを担当した原稿を一本納品した。元請けメディアの担当者がさっそく電話をかけてきた。どうもどうも、お世話になっております、拝読しました、はい、全文ママでOKです、いいですね、さすがの文章力、この独特の文体、僕、大好きなんですよ。元請けはそのように流暢な職業的世辞を口にし、それから、ちょっと口ごもった。あの、原稿のタイトル、ちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね。

 高尚、とわたしは言った。この原稿ではそんなに難しい言葉遣いはしていない。漢字だって中学生にも読めそうなやつしか使ってない。そう思って黙っていると、えっと、と元請けは間を取った。このタイトルはですね、美しいです、美しいですが、少し格調が高いといいますか、フックとしてダメなんです、うちの媒体だと。格調が高いというのは、簡単に言いますと、共感を呼ばないということです。もっと言うと、うっすら何様感があるってことです。

 もしかしておわかりにならないかもしれないですけど、今の、紙媒体でもWeb版をつくってタイトルをばんばんSNSに流して読者を取ってくるスタイルでは、大半の人が、なじみのない単語や言い回しを好まないです。「自分にはわからないことが書かれている」「お呼びじゃないと思われている」という印象を持つからです。一瞬の印象で、誰もほとんど気にしちゃいないけど、でも薄く、薄く、どこかで、「高尚」は、不愉快なんです、僕らみたいに数字を取ろうとする人間は、その空気を、毎日毎日吸っているんです、たぶんご存知ないだろうけど。

 ご存知なくて、まあいいんですけど、原稿を載せる側は、SNSで流したときに「自分には関係のないタイトル」と思わせたら負けなんです。だからタイトルだけは変えてください。あるある感、親しみ感ください。クリックさせれば、こっちのものなんで、特別感とかツヤ感は、この本文読めば一発なんで、タイトルにはいりません。

 わかりました、とわたしは言った。そして親しみ感とあるある感を盛り込んだタイトルを三案作って送った。OKが出た。第一稿送信当日に納品完了、スムーズな仕事である。わたしは請求書をつくる。つくりながら思う。

 わたしは辞書が好きだった。知らないことばを好きだった。子どものころ、わたしの世界は狭かった。妹は外に飛び出して知らない路地を駆け、わたしは本をひらいて知らないことばを辞書で引いた。そのようにして子どもは世界を広げるものだとわたしは思っていた。でも今の子どもは路地を走らない。安全でないからだ。

 妹は小学生の時分に隣町まで自転車を飛ばして迷子になって警察官に送ってもらったことがある。両親にしこたま叱られた妹を尻目に、本は安全でいいなあ、とわたしは思っていた。毎日派手に冒険をしても、危険な目には遭わないのだもの。

 でも、いまの世界の多くの人にとって、知らないことばは、安全じゃないのかもしれなかった。今の時代にあって、「共感させない」文章は、もはや悪に近いのかもしれなかった。わたしはごく少数の親密な人々以外からの「共感」がほしいと思うことが少なかった。だからわたしは今の時代に合わないのかもしれなかった。わたしは未知を、発見を、驚きを愛していた。文章を読めばそれが手に入ると思って、自分でもそれを提供したいと思っていた。でもそういう需要は遠からずなくなるのかもしれなかった。わたしはぼんやりと自分のポートフォリオをながめ、身の振り方について思案した。