傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

野蛮な風穴

 この世には私の知らない複雑なルールがあり、みんなはそれにしたがって事を運んでいる。法律や規約なら書いてあることを読めばよいのだが、そういうのではない。「空気を読む」みたいなやつである。私にはそれが見えない。だからルールを知らないまま、見よう見まねでそれらしくしようとして、よく他人とちがうことをしてしまう。

 人々はそっと私に教えてくれる。ねえ、マキノさん、今日みたいな場ではもちろんスーツがいいけど、そこまでリクルートスーツみたいなのじゃなくていいのよ。あのねマキノさん、この書類にはAと書いてあるけれど、実はAかつBじゃないと基本的に通らないの、明示的にBでもあってほしいと書けないのは、かくかくしかじかの背景によります、了解?

 了解。たいていの場合は。了解できないのはたとえば着座のパーティで年配の男性とそれより若い女性が交互に配置された席に案内され、隣席の男性の一方的なお世話係を陰に陽に強要されるようなときだ(そして陽にした段階で彼らは「気が利かない」と言う)。そういうのは即座に拒否する。完全に、明瞭に、一ミリの譲歩もなく。そういうのじゃなければ、言われたとおりにする。私には、ルールが見えないから。

 そんなわけで、社会に適応している洗練された女たちは、私を野蛮であると言う。洗練というのは明文化されていないルールを細やかに理解し、そのアップデートに追いつく者にだけ許された行為なのである。女たちは私の服装を直す。女たちは私の所作を直す。それは私のナルシシズムのための措置ではない。私をまともに見せるための措置である。

 たとえば私は顔をぶつけたら薬を塗るが、皮膚の変色を化粧品で覆うという発想は出てこない。そのまんま出歩く。そうすると、顔の派手な痣は化粧品で隠したほうがいいと、女たちが教えてくれる。隠したほうがいいよ、みんなびっくりしてしまうからね。そうかいと私は言う。私は顔に痣があっても気にならないけれど(生きていたら痣ができることもある。その箇所が顔であることもある。なんら驚くべきことではない)、みんなはそうじゃないんだな、と学習する。私には、ルールが見えない。

 私に助言を与える女たちは私のこのような鈍さや野蛮さを嫌いではない。彼女たちは賢いので、規範意識の根拠のなさもよく知っている。ある者は、利益を取っているだけよ、と言う。得をするからその場その場で空気を読んでいる、そこに含まれれば理不尽さが一定の範疇であるならば折り合いをつけている。自分の幸福を最大にするために。それは自分の価値観に基づく自分の選択ではあるけれど、でもほんとうに自由に選べたわけではないのよね。それにルールはあまりに複雑で、決して楽々と手に負えるものではない。ときどきすごく疲れて泣きたくなる。

 そんなだから、顔に痣ができても平気でほっつき歩く「非常識な」あなたのことは嫌いじゃない。自分とはぜんぜん違うし、ばかじゃないかと思うけど、ていうか、かなりばかだと思うけど、自分がルールに雁字搦めにされそうなときには、風穴みたいに見えるから。よく考えたら、あなたの顔はあなたものだもんね、あなたの態度はある意味ではまちがっていない。でも人は自分の外見を気にすることが多いし、外見はパブリックなものでもあるの。だから顔にでかい痣つけてのんきに歩いてると外界とコンフリクトを起こすの。痣は醜いとさえ思っていないのがばれないようにしなさいね。

 彼女の言うとおり、私は痣を醜いと思ったことがない。私は反射神経がいたく鈍いので、よくからだのあちこちに痣をこしらえる。紫色だなあと思っていると青くなり、黄色くなって、そのうち消える。人体の神秘である。醜くはないと思う。

 私にだって自意識はある。ナルシシズムもある。外見をアイデンティティに組み込んでもいる。だから朝起きてぜんぜんちがう容貌になっていたらパニックに陥ると思うが、生きていて起きうる程度の変化であればたいして気にならない。しかし人々がぎょっとするというならば配慮してあげましょう。そう思う。世の人はみんな精密にできていて、毎日むつかしいことを考えているのだなあ、と思う。私は彼らの能力を尊敬するけれど、彼らの言うことがいつも正しいとも思わない。

 私は頭の中のルールブックに追記する。顔はできるだけ同じ状態にしておくこと。※ ただし、それは私のやさしさである。私の顔について指図する権利は誰にもない。