傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

たかが容姿

 内出血は重力にしたがって移動する。こめかみを打って二日もすると皮下を流れ落ち、皮膚の薄い目のまわりが赤黒く変色した。血管を破った血がそのあたりに溜まっているのだ。目の下の、いつも隈のできるところに多く溜まり、まぶたの変色とあいまって異国の化粧のようである。怪我から発想した化粧もあるんだろうなとわたしは思う。

 記憶にあるかぎりわたしが顔に痣をつくるのは八年ぶり四度目、うち三回は成人以降である。しょっちゅうではないが、驚き慌てるほどではない。わたしはたぶん不注意なのだ。人より頻繁に怪我をする。小さな怪我で済めばいいやと思っている(大きな怪我をしたこともある。あれは痛かった)。わたしは内出血の状況を検分する。一ヶ月もあればだいたい消えるんじゃないかな、と予測する。

 その状態で職場に行くと親しい先輩が寄ってきて、ふむ、とつぶやいた。寝ぼけてぶつけてしまって、とわたしは言った。先輩はわたしの顔をしげしげと見た。暴力を受けたわけではないんだね。先輩はそう念を押し、わたしはしっかりとそれを肯定する。

 週末が来る。わたしは友人と会う。友人はわたしの顔を見るなり片方の眉を上げ、誰かに殴られたならそう言うように、と平坦な声で告げた。殴られたのではないよとわたしはこたえた。ぶつけたんだ。友人はわたしを眺めまわし、それじゃあ伊勢丹に寄ろう、と言った。おすすめのコンシーラーがあるんだ。

 夜が来る。わたしは恋人と会う。恋人はわたしを眺めまわし、誰の恨みを買ったのか、と訊く。寝ぼけてぶつけたんだとわたしはこたえ、それから、新しいコンシーラーの話をする。ほんの少しのペーストを塗るだけで赤黒さが四分の一くらいになるのだと説明する。恋人はいたく感心して、テクノロジー、と言う。

 わたしは出社する。化粧直しの習慣がないために、コンシーラーはいつのまにか薄れていて、座席の近い同僚が言う。ちょっと、どうしたの、それ、そう、ぶつけたの、だめじゃない、女の子がそんな傷、顔につけて、かわいそうに、早く治るといいわねえ、痕が残らないといいわねえ、たいへんねえ、でも、えっと、大丈夫、そんなにひどくないから。

 わたしはあいまいに笑う。自分の親しい人々がこのようなせりふを言わなくてよかったと思う。この人は、わたしの痣がいやなんだろうけど、わたしはそこまでいやじゃない。そう思う。わたしの顔はわたしのものだと思う。勝手に気の毒がられてもな、と思う。

 わたしは、前歯が五本ないし(差し歯をしている)、髪が大量に抜け落ちたこともある(今はだいたい生えてるけど、なにかというとはげる)。それが醜いと言われやすいことは知っている。だからちゃんと差し歯をつけたり、必要になったらヘアーピースを買ったりしている。けれども、歯や髪がないから自分が毀損されると思わない。不自由ではあるけど、容姿にかかわるからと過剰に取り上げられるのは好きじゃない。たかが容姿だろ、と思う。がたがた言うほどのことか、と思う。

 そう思わない人がいっぱいいるのは知っている。容姿にかかわる瑕疵を重大な問題であるかのように扱う人に、悪意がないのも知っている。彼らはただ心配しているだけなのだ。でもその心配は無用だ。その種の心配をする人が持っている価値観が社会にはびこっていること自体が問題だというのがわたしの考えだからだ。「女はとにかく顔が大切で、痣や傷やシミや皺のない状態を保っているべきで、そうでないのはとても気の毒なことだ、たいへんなハンディキャップだ」という価値観。ばかみたい。

 わたしの前歯が五本折れたのは永久歯が生えてすぐ、まともな差し歯を入れたのは自分で稼ぐようになってからだ。頭部のおよそ半分の髪がなくなったのは中学校に上がる前後だった。わたしはわたしの容姿をあげつらう大人たちに従いたくなかった。わたしの環境はまともではなかった。わたしは日常的に揶揄され侮蔑されていた。おそらくそのために、わたしは彼らの価値観をゴミクズだと決めたのだ。そうしなければ生きていかれなかったのだと思う。起死回生の一発逆転。ついでに自分は美しいと決めた。わたしは美しい、そして美しかろうが醜かろうがお前らにとやかく言われる筋合いはない。思春期にそのような自己処置を施してわたしは完成した。

 わたしは恋人を眺める。恋人はわたしの容姿を褒めそやしている。目のまわりの内出血程度では支障がないようだ。どこまでなら、ないのかな、とわたしは思う。この男はわたしの顔がどこまで崩れたら、わたしをきれいと言わなくなるだろう、と思う。そうなる瞬間を見てみたいものだ、と思う。