傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

鯨骨生物群集 長女

 きょうだいのいちばん上というのは損なものだといつも思っていた。四人もいるからいちばん上の私の責任は重い。妹がふたりいて、上の子はぼおっとしているかと思えば急にわけのわからないことを言い出して親を怒らせる。見た目がひどいから余計に腹立たしい。見栄えに恵まれなければおとなしくして人の役にたつことをしていればいい。そういうことは母がそれとなく示唆してくれた。とはいえ母の言うことは抽象的な愚痴に過ぎなくて、具体化するのはすべて私の仕事だった。
 上の妹には小さいころからよく言って聞かせたし褒めたりもしてやったから家事はよくやる。もちろん私も下の妹もローテーションでお皿を洗うし掃除もするけれど、麺類なんかの簡単な土曜日の昼食を作るのは小学校高学年の時分から上の妹だし、食後の林檎を剝くのも鍋の焦げを剥がして磨きあげるのも上の妹の仕事だ。私には家中を見張る仕事があるし下の妹には下の妹の役割がある。
 父はほろ酔いになるといちばん下の妹を呼ぶ。うちでいちばん可憐な女の子だ。私に向かって、おまえもまあまあ美人だけど言うこときついからなあと父は言う。私は笑う。実際にはきついことなど言ったためしがない。上手にあしらうだけだ。私は自分が美人だと知っているけれど、父のような男には猫かわいがりできる子が必要なのだ。名をもじってチェリーちゃんと呼ばれている、下の妹のような子が。
 必要とされる子は父の摂取するアルコールの摂取量によって変化する。ほろ酔いの第一段階ではたいてい家族全員が食卓を囲んでいて、父は機嫌がよさそうに話つづけ、残りの家族がそれに相づちを打つ。誰も打たないと困るので誰かが打つようひそかな視線が飛び交う。上の妹はろくなことを言わないから醤油だの熱燗だのと命じられて取ってくる係だ。きょうだいの末子は弟で、第一段階での彼の役割は勉学の様子を報告することだ。第二段階では父の声が大きくなり、弟に向かって、東大に行けと言う。いくらかかってると思ってるんだと言う。たいていは母がその場をおさめる。
 金曜の夜などは飲酒の速度が上がり、父に眠りが訪れる前に第三段階、最後の段階が訪れる。どうかすると夜中に帰るなりこの段階だ。誰も出迎えないと父はおもしろくない。怒鳴りつけて誰かを呼ぶ。実は誰もが目覚めていても、寝たふりの我慢合戦をしている。母なんか絶対に起きていると私は確信している。でも出迎えない。あの人はそういう人なのだ。こういうときに上の妹を働かせるのが私の役割だ。同じ部屋の隣の布団の丸まりに、一緒に行くよと声をかける。有無は言わせない。小さいころから、どうすればうまくいくかを、私がみんな教えてやって、だから上の妹は、私のことが大好きなんだから。母の代わりに、わずかふたつしか離れていない私の背中に隠れて育ったんだから。
 出迎えると父は上着を投げ、鞄を押しつける。ぶつぶつ文句を言っている。態度が悪い態度が悪い態度が悪い。私は相づちを打ちながら控えめで愛らしいあくびをさりげなく披露する。父はスーツを脱ぎ散らかし下着姿で座りこんで酒を要求する。妹が露骨な汚いあくびをする。時刻は十二時を回っている。父が怒鳴る。おい、なんだその態度は!
 よし、と私は思う。計算どおりだ。これでしばらく父は上の妹を正座させて話し相手をさせるだろう。上の妹がいかにブスでバカで常識知らずで社会に出たら屑みたいに扱われる存在かを説明する。これは小学生のころから始まって、そのうち上の妹には唇とまぶたが不意に歪んだり痙攣を起こしたりする症状が出はじめ、それ以来、父の上の妹に対する語彙には「キチガイ」が加わった。おまえはなんだと父は尋ねる。上の妹ははいブスです、はいバカです、はいキチガイですと答える。中学に上がったころから上手にできるようになった。父はげらげら笑いながら妹に酌をさせる。長い時間ではない。第三段階は相当量の酒が入らなければ起きないから短いのだ。
 父が酔って帰ってきたら、あるいは晩酌中に酔いが深まり大声を出したら、私は父の段階をよく見定めてきょうだいのいずれかを召還する。第一段階なら可愛いチェリーちゃんを、第二段階なら自分の部屋で勉強中という体裁をとってゲームをしている弟を、第三段階ならキチガイのブスを。いちばん上に生まれるなんて、実に損なことだ。父の望む男の子が生まれるまで出産しつづけておきながら、自分が執るべき指揮棒を私に押しつけている母には、いつか報いを受けてもらう。事実あの人の発言権なんか、今やほとんどありはしない。私が子どもたちのリーダーで、私が現場を仕切っているのだ。