傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

カフカの日

打ちあわせのために長い地下道を抜けて電車に乗り、小さなビルディングの下に来た。着いたら電話してくださいというMさんのメールを確認してからコールボタンを押すと女の人が出た。はあ?何いってるんですか?誰ですかあなた。私は謝罪して電話を切り、アドレス帳を確かめる。Mさんの欄にはなぜだかふたつの携帯電話の番号が登録されていた。
もうひとつの番号を選択すると少しお待ちくださいと言われた。私はふたつの数字の並びをしげしげと眺める。風の音に混じって人の声が、やけにたくさんの人の声が聞こえる。ずいぶんと待っている気がする。
声をかけられて振り返ると人がいて、こんにちはと言う。Mさんとはちがう人のように見える。でも今は仕事中なのだから、私は相手を知っているふりをしなければならない。私はみんなと同じことができるふりをしなくてはいけない。私はほんとうは人の顔を覚えることができない。よほどの頻度で何度も会った相手なら覚えているけれども、それでもたとえば待ち合わせの場所で知らないそぶりをされたらあっというまに自信がなくなる。それだから私は、目印になる特徴のある人が好きだ。
目も鼻も口も大きくもなく小さくもなく各部位の配置に逸脱はなく背は高くなく低くなく痩せている。Mさんはそんなだから、識別に適したラベルがなく、記憶をひっかきまわしてもまばらな顎髭と長めの前髪しか出てこなくて、どうぞと言ってオフィスの扉をあけた人の首から上のどこにもそれはない。
私は鮮やかなオレンジ色の床を踏む。ペンキぬりたてみたいな感じがする。テーブルにはなにが可笑しいのかばかみたいに笑っている犬の絵が全面にわたって描いてある。椅子に座るとテーブルのふちと椅子のあいだで脚が圧迫される。もっとふとももが細い人のためのテーブルなのかもしれない。窓の外には恐竜の骨のような白い構造物が見える。
やはり私は間違った番号にかけ、間違った場所に来たのではないか。
ほかにできることもないので書類を取りだし、仕事の話をはじめる。Mさん(暫定)は項目ごとに質問をし、私は安心する。話の中にせいいっぱいさりげなく名前を混ぜこんで呼びかけると返事があったので、相手を間違ってはいなかったようだ。
Mさん(確定)は席を立つ。私も席を立つ。えっと言われて慌てて座りなおす。立つべき場面ではなかったようだ。私はにっこりと笑う。私は仕事をしているとき、いろいろなことがわかっているふりをする。そしてぼろが出そうになったらにっこりと笑う。私は膝丈のワンピースに襟のないジャケットを羽織りきちんと化粧をして大人のような言葉づかいをしている。書類の書式だって確認してきた。私はまともな大人に見えるはずだし、まともな大人は立つべきでない場面ではもちろん立たない。私はわかっているふりをしなければならない。
オレンジ色の床と笑う犬の部屋に取りのこされる。遠くから大勢の人の悲鳴が聞こえる。五歳くらいの子どもがごくしっかりした足どりで通りすぎる。私には目もくれない。
ずいぶん長い時間が経ったような気がする。気がつくとMさんがいて、行きましょうかと言う。やはりかなりの時間が経ったのだ。なんだか少し年をとったように見える。
建物を出て坂を下りる。道は細くくねっている。道の先の階段を下りようとするとどこへ行くんですかと訊かれる。よく見るとその横に細い道がある。また悲鳴が聞こえる。あれは、と訊くと、みんな遊んでいるんですよとMさんはこたえる。私はわかったような顔をしてうなずく。
Mさんは路地の奥の引き戸を開く。からからとなつかしい音がする。薄暗い中から円い眼鏡をかけて古い型のスーツを着た白髪の男の人が出てくる。彼は会釈をして出ていく。私も会釈をする。奥には割烹着を着た女の人がいる。彼女は目尻と目の下にきれいな皺をためて私に笑いかけ、私も笑いをかえす。あの人は誰だろう。私は、わかっているふりをしなければならない。


この文章を読ませると、ここまで混乱してるの、と彼は訊いた。もちろんそこまで全面的にカフカ的な不条理世界にいるわけじゃない、と私はこたえた。たいていの謎の要素は、その都度解決している。たとえば内装はデザインとかする会社だからちょっと変わってる、恐竜の骨は近くの遊園地のジェットコースターで、みんなそこで遊んできゃーって言ってる。引き戸のおうちは看板のないごはん屋さん。あとは私の記憶力と空間認識能力の一部に問題があるというだけの話。
なるほどと彼は言う。ほかの要素も主観のなかでだけ謎なわけだ。私はうなずく。頭の半分では合理的な説明を思いつくけれども、それは遅れることもあるし、出てこないこともある。そうして頭の半分はよくわからない世界にいる。それも毎日じゃなくて、そういう調子の日があるのだ。そうじゃないときはそこまで不安にはならない。私がそう説明すると彼は、つまりときどきカフカの日があるんだね、と言う。