傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼の大切な悪口

彼の悪口を聞いていると楽しい。内容がやけに的確な上、ことばの使い方がきれいで、独特のおかしみがあるのだ。それに、「いやだな」と思ったとき、「いやだった気持ちをわかってほしいな」と思ったとき、絶妙なタイミングでいやだと思った相手を罵倒してくれる。
だから私は彼をほめる。あなたは悪口が上手いね、そういう悪口ってなかなか聞けないよ、なんだか私のぶんまで言ってもらってるみたいで気持ちがすっとする。
すると彼は、悪口には自信があるんだ、と言った。なにしろ僕はなにかというと人に悪感情を持つし、ひがみっぽい。それにしつこい。いやなことをされたら時間がたっても忘れないんだ。なんでみんなあんなすぐに忘れちゃうんだろうって思うよ。僕は子どもの頃に親から言われた無神経な一言だとか、友だちの他愛ないいたずらだとか、そんなのもみんな覚えてる。六歳のとき、弟が僕のドーナツをこっそり食べたことも覚えてる。
彼は私と一緒に少し笑ってから話を続ける。
もっとひどいことならより鮮明に覚えてる。しょっちゅう思い出して、そのたびにいちいちくやしがる。僕はそいつらに「ざまあみろ」って言いたくてたまらない。それがなかったら仕事とかする気力が八割がたなくなるんじゃないかと思う。その気持ちで自分をドライブしているんだね。どうだい、こんなに恨みがましいやつはなかなかいないだろ。
いないねえ、だから並はずれて悪口が上手なんだね、と私は言う。彼はにっこり笑う。恨みがましい人にはぜんぜん見えない。
自分でも、あまり感じがいい人間とはいえないと思う、と彼は言う。人にはそれぞれ、人格のベースになる感情があると思うんだ。いつもその感情がどこかにある、というようなね。すてきな感情を礎にしてできあがったような人を見ると、いいなあと思うよ。慈愛ベースだとか、愉快ベースだとか。僕ももっと上等な感情の上に乗っかっていたらよかったのにと思う。でもしかたがないよね、僕はもう恨みがましさの上にできあがってしまったんだから。だからせいぜい創意工夫を凝らした、すばらしい罵詈雑言を生産しようと思うよ。悪口は僕の重要なエネルギー源なんだから、そこいらにある粗雑な言い回しを使うわけにはいかない。