なにか習いごとしてた、と訊かれて、少し考えてから答えた。近所の住職がボランティアで書を教えてて、毎週通ってたよ、住職は卒塔婆にかっこいい草書を書いててすごいと思ったよ、なんかくねくねしててきれいなの。
彼女はちいさくため息をついてから困ったように笑い、じゃあ厳しい習い事はしたことがないのね、と言った。私はうなずいた。
彼女は「七歳から十三歳まで神童だった」。小さい頃から電車に乗って教室に通い、家の地下室に作られた「母の夢の残骸みたいな」防音室でお稽古をした。
彼女はコンクールで賞をもらって「もっと良い先生」につくことになった。新しい先生は彼女に言った。うまいね、でもそのままではなんだか演奏している人の顔が見えない感じがするよ、もっと、感情をこめて。
彼女はわからなかった。曲にはテーマというものがあることは知っていた。でも彼女は「並みの十三歳よりよほど晩稲で」、作曲家にとっての絶望も恋も戦争も死への恐れも自然への憧憬もみんなひとごとだった。私は山をみてきれいだと思うこともなかった、と彼女は言った。父親がレンタカーを借りて私と母を山に連れて行くの、めんどくさかった、早く帰りたかった、クラスの女の子が男の子の話ばかりするのもわからなかった、男の子はみんなばかに見えてうっとおしかった、私はこめるべき気持ちなんか知らなかった、私は、子どもだった。
私は思うんだけど、と彼女は言う。子どもの感情って、おとなの感情とずいぶんちがうの、なんていうか未分化でいろんな要素がまじってるの、突拍子もない想像力もあるんだけど他人のリアルを想像する力はないの。
私は相槌をうつ。そうだね、私もそう思うよ、そしてそれがどこからおとなっぽくなるかは子どもによってちがうし、速度もちがう、十三歳でまるっきり子どもなのってべつにそんなにへんなことじゃないと思うよ。
彼女は目の端と眉の間と頬の上のほうを少しなごませる。そうして話を続ける。
私とっても苛々した。勝手なことを言う先生だと思った。お手本もないものを、どうやって出せばいいかも教えてくれないで、ただ寄越せというなんて理不尽だと思った。でもしばらくはうまくいってたの。私、誤魔化すのは上手いから。
だって、感情がこもった演奏なんて、だいたいは技術的な要素に分解できる。だから真似もできる。先生の好きな演奏家のやり方を真似すればいい。私がこのピアニストのCDを買ってと頼んだら母はすごく喜んでた。好きなのと訊かれたから好きと答えた。もちろん嘘。私、演奏に好き嫌いなんかなかった。ちがいはわかったけどね。耳はよかったから。
彼女はそこで言葉を切り、黙ってにこにこしていた。私は、どうしてピアノやめたの、と訊いた。彼女は横を向いて含み笑いをして、言う。
私、その先生のこと好きになっちゃったの。それで、期待されたほど伸びないのがいやで、音楽科のある高校を受験するのもつらくて、やめちゃった。好きな人にがっかりされるのがなによりいやだったの。かわいいでしょ?
かわいいねえ、女の子っぽいねえ、と私は答える。でも、お母さんはなんて言った?
すごく荒れた、と彼女は答えた。いやあ荒れた荒れた。ばかじゃないのって思った。しばらくたいへんだった。でも結果的には母にとってもそのほうがよかったと思うな、だっていつまでも娘のステージの袖に立ってるわけにはいかないもの。そのあとしばらくしてから地域の役員とか引き受けて飛び回るようになったから、ほっとした。
でもねえ娘が、と彼女は顔を曇らせる。彼女の娘はこの春、小学校に上がる。
娘がピアノ習いたいっていうのよ、どうしよう、私、母みたいになってしまわないかな、母が今度は孫に夢を託しちゃったりしないかな、実家の防音室、まだあるの。
私はちょっと考え、無責任にだいじょぶだいじょぶ、と言った。あなたもお母さんももうちゃんとおとなで、自分の楽しいこと、やりたいことがあるからね、それにたぶん、娘さんは神童じゃないし。
彼女は高いきれいな声でずいぶん長いこと笑い、失礼ね、そんなのやってみなくちゃわからないじゃない、と愉快そうに言った。