だって、そんなこと言ったら、重いでしょう。
彼はそう言った。よく聞くタイプのせりふだ。「仕事内容が重い」などとは異なる用法である。人間関係において相手に過剰な精神的負荷をかけることを指すようだ。そうして、重いという語は、負担というよりもうちょっとあいまいな領域を指すものらしい。若い人のほうがよく使用する気もするが、若者言葉という感じはしない。使用対象は色恋沙汰の相手がいちばん多くて、次に家族、友人などにもまれに使う。
親密な、あるいは親密さが期待される人間関係において、相手の中で自分の存在がどのようなものかを推し量り、相手の想定範囲内での手間暇しかかけない者であろうとすること。私は内心で「重い」をそのように定義し、ふーん、とつぶやく。彼は少しだけ嫌そうな顔をする。私がいかにもどうでもよさそうな声を出したからだ。私はもっと嫌な顔をしてほしくて、わかんない、と宣言する。
私にはわからない。相手にとっての自分の存在をつねに推し量るというのがまずわからない。推し量ったってどうせわかんないじゃん、と思う。仕事の相手や公的な関係ではなく、私的な、個人的な関係だというのに、どうしていちいち忖度とやらをしたがるのか。相手の中の自分像なんて自分のアクション次第で変わるので、そのアクションを相手がすでに持つ自分像(しかも確たるものではなく、黙って想像しているだけのもの)にあてはめるなんて愚の骨頂だと思う。相手の中の自分像や自分の中の相手像は、ばんばん流動させればいいと思う。そうしなければ親密さは進化しないし、親密さを捨てたいときや減じさせたいときにも困るだろう。もしも関係の内容を決めておきたいなら、その旨を話して相手の望みを聞いて自分の望みを話して合意を形成すればいいのである。だまってていいことは何もないと思う。
私はこのような主張を、もう少し口語的な表現にして述べた。彼はたいへんよく社会化された人物で、めったにいやな顔をしない。しないが、このときはあきらかに嫌そうな気配を発した。いくら私が無神経でもその意味はわかる。率直に意見や要望を述べ質問ができる関係ばかりではない、という含みを込めて「重い」という表現を使ったのに、私がそれを丸ごと無視したからだ。
だってさあ、と私は言う。感情表現や、二人の間のルールに関する話でしょう。ルールやモラルは人ごとにちがうから、確認しなくちゃわかんないし、個人的な関係なのに感情表現が率直にできないなんて、どう考えてもだめじゃん。いや、それがよくあることだって、私も知ってるよ。知識としては知ってる。でも了解できない。権力関係がいびつで、片方が片方を忖度しないと著しい不利益を被るってことでしょう。DVまでいかなくても、何かのプレッシャーがあるとかさ。「重い」とか言って相手を自分の思い通りにしようだなんてろくなことじゃないよ。そんな相手は捨てちまえと思うよ。私はなにしろ隠微な権力を振りかざそうとする連中が嫌いなんだよ。
彼は言う。権力の不均衡のない関係なんか、ありません。二者が相対すれば必ず力関係が生まれる。遠慮する者としない者、がまんする者としない者。気遣いやがまんを支払って人間関係を買うケースはありふれていて、強弱はあれ、それがゼロの関係は想定しにくいくらいです。嫌われたくないから媚びを売ることくらい、あなたにだってあるでしょう、まさか、ないんですか?それから、誰もが明瞭に意思表示できるとでも思っているんですか?そんなわけないじゃないですか。それどころか自分の行動や感情について説明できない人だっているんです。なんなら自分でもわかってない。そういう人間にはどうしろと言うんですか?
私は言う。気遣いは必要だよ、人にやさしくするために。やさしくするのは自分の欲望で、親しい人にやさしくしたら自分がいい気分になるでしょ、とってもハッピー。相手がよろこんでくれたら双方ハッピー。OKOK。でもがまんはだめだ。がまんを払って買う関係なんかろくなもんじゃない。それで人格が歪んだ人間を私いっぱい見てきたよ。とてもひどいことだよ。だから全力で否定する。それから自分の感情を把握して意思表示をするのは大人として当然のことじゃないか。できない人がいっぱいいるのは私も知ってる。そんなの修行すればいいと思う。
彼は今や完全にけわしい顔になり、再度口をひらく。いいねえ、と私は思う。この人もっとこういう顔すりゃあいいのに。私じゃない人にも忖度なんかしなきゃいいのに。そう思う。けれどもひとまずは黙って彼の話を聞く。