傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ときちゃんの死なない工夫

 ときちゃんはこのあいだ四十三歳になった。一年九ヶ月の無職期間を経て派遣社員として働いている。長々と休もうが満期を待たず辞めようが次の仕事があるのはときちゃんにそれなりの能力があるからで、ときちゃんはそのことをうっすらと自覚している。でもそれがずっと可能とは思わない。ときちゃんは世界のほとんどすべてのものが怖いし、良くしてくれる派遣会社だってその例外ではない。

 ときちゃんは時折だめになる。今回の無職期間は最大の長さでだめだった。ときちゃんは仕事をしたくないのではない。ときちゃんはただ世界が恐ろしく、足がすくんで動けなくなるのだ。

 ときちゃんの生活は質素だ。スーパーマーケットで旬の野菜と半額シールのついた肉を買い、豆腐や納豆や季節の魚を買い、一口しかないコンロで素朴な美味しいごはんを作る。服や靴はこぎれいだけれど、ぜんぶファストファッションのセール品で、それを長く使う。靴の数は三足で、歩けるところには歩いて行く。そうしてURの事故物件を渡り歩いて暮らしている。そんなにハードな事故ではない。独居の高齢者が部屋で亡くなったくらいのやつだ。

 ときちゃんは美味しいものが好きで、こつこつ貯めたお金で友だちと贅沢な食事をする。そのほかにお金のかかる趣味はない。ときちゃんはそこいらでコーヒーを飲んだりしない。ペットボトルの水も買わない。ときちゃんは図書館で本を借り、インターネットに公開されている文章を読む。テレビは持っていない。持っていなければNHKの受信料を払わずに済むからだ。

 ときちゃんはなかなかメールの返信を出さない。めんどくさいのではない。ときちゃんは自分の感情や意見が文字で固定されて相手に届いて取り消せなくなるのが怖い。その怖さがときどき度を超してしまう。下書きがたくさん溜まる。LINEとかはもちろんやらない。怖いからだ。技術的なことは怖くない。でも使うのは怖い。おおまかに言ってソーシャル的なものが怖い。人間関係とか組織とか社会とかが怖い。

 ときちゃんは無職ひきこもりの期間、友だちからメールが来ても返信をしない。友だちは放っておいてくれて、忘れた頃にまたメールをくれる。こんばんは。最近はどう?調子が良くなったらレストランに行こう。ときちゃんみたいな名前なんだ。地球を怖がって、でも離れられなくて、ぐるぐる回る衛星の名前だよ。

 ときちゃんはそのメールに返信を出すことができなかった。ときちゃんはわずかな貯金と保険で食いつないでいて、出かける気にはなれなかった。でもいつかは衛星のレストランに行こうと思った。そこが衛星なら、わたしが今いるのは深海だ。ときちゃんはそう思った。社会は水面にあって、ときちゃんは水の底にいる。働いていて家族や恋人や友だちがいるような人々の世界に向かって、吐いた息の泡がゆらりと上がる。

 ときちゃんは何かというと仕事を辞める。今回はそれが一年九ヶ月におよんだ。ときちゃんは社会に参加したくないのではなかった。ただその不確かさが恐ろしく、また深海に沈み荒波を逃れる能力をそなえていたから、ゆらゆらと沈んでいたのだった。

 深海の暮らしで、ときちゃんはたくさんのブログを読んだ。ブログはすでに固定された、ときちゃんのために書かれたのではないことばで、だからあんまり怖くなかった。そこにはいろいろな人がいて、社会だ、とときちゃんは思った。ときちゃんはそれを読んでいたから、社会から隔絶されたと思ったことはなかった。そうして一年九ヶ月が過ぎ、ときちゃんは深海の底を蹴った。

 ときちゃんのささやかな貯蓄は無職期間にほとんどゼロになっていた。ときちゃんには資産家の両親とか、安定した稼ぎのある配偶者とか、そういうのはいない。だから何人かの友だちは生活の心配をする。ときちゃんは言う。だいじょうぶ。わたしは、あのまま仕事をするほうが、だいじょうぶでなかった。

 ときちゃんは自殺したいと思ったことがない。ただ、疲れてすっと死ぬことはあるかもしれないと思う。それは少しいやだなと思う。だから死なない工夫をする。仕事を辞め、深海に潜る。また仕事をする。ごはんを作る。ときちゃんは世界のほとんどすべてのものが恐ろしいけれども、どこの誰に脅されても「まとも」な生きかた、たとえば一年九ヶ月無職でいないような生きかたをすることはない。そちらの側のほうが自分の死に近いことを、ときちゃんはわかっている。

 ときちゃんは友だちに返信を書く。長い時間をかけて、短いメールを書く。こんばんは。来月にはお給料が入ります。衛星のレストランに行きましょう。