傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ある腕時計の死

 わたしの時計が止まった。電池式の腕時計である。わたしはこの時計が永遠に止まらないような気がしていた。正確には、わたしが死ぬまで動いていて当たり前だというような、そういう気分で、毎日腕に巻いていた。でももちろんなくならない電池なんかないので、今日、止まった。六年とすこし動いていたことになる。

 ありふれた時計だ。ちょっとだけ良いもので、長く売れている機種で、ほどほどのかわいらしさと職場でも悪目立ちしない行儀のよさを両立している、ありふれた時計だ。それが六年も動き続けたことに、わたしは少し驚いてしまう。

 六年前につきあっていた人は嘘つきだった。人生の背景、すなわちわたしといる時以外についての話がほとんど嘘でできていた。息を吐くように嘘をつく人間がこの世にはいて、彼はそういう人間だった。自分の利益や見栄に寄与するような、意味のある嘘をつくのではない。つくりごとを話すこと自体にとりつかれていたのではないかと思う。

 彼は素敵な人だった。出身は千葉県だと言っていた。年齢は当時三十四歳だと言っていた。兄がひとりいると言っていた。母親は何年か前に亡くなり、父親は健在だと言っていた。誕生日は五月二十六日だと言っていた。高校まで県内の公立に通い、大学は都内の私学で、遠距離通学に耐えかねて二年生から一人暮らしをはじめ、社会人になってから二度引っ越しをして今のマンションに落ち着いたのだと言っていた。

 わたしは彼が嘘をついていると知っていた。なんとなく知っていた。ほんとうは結婚していて単身赴任で都内に独居しているとか、そんなところじゃないかなと思っていた。わたしは彼の嘘を確認したくなかった。その場その場の彼との時間、わたしと彼との親密さだけを求めていた。わたしがそんなにも彼に対して未来の希望のようなものを持たなかったのは彼が嘘つきだとどこかでわかっていたからだと思う。けれどもその嘘の内容はわたしの予測していたものとはちがった。

 六年とすこし前、彼と連絡がとれなくなった。何のメッセージもなく、何の予兆もなかった。彼のマンションは無人で、向かいの道路から見える窓にはカーテンすらかかっていないのだった。わたしはマンションのポストに自分の連絡先を入れた。彼に宛てたものだけれど、彼の弟から連絡があった。兄とふたり兄弟だと彼は言っていた。嘘だった。

 彼はふだんろくに連絡をよこさないのだと、そのきまじめそうな弟は言っていた。でも僕がこのマンションの保証人だったのでね、解約したから精算だけしておいてくれ、敷金はやる、とだけ連絡が入りましてね、どこに行ったのか知りません、昔からわけのわからない兄で、仲も別に良くないんです、保証人になんか、なるんじゃなかった。その「弟」の口にした彼の名はわたしの知っている彼の名ではなかった。写真を見せると、たしかに兄です、と確認してくれた。わたしは彼について矢継ぎ早に質問した。年齢も、出身地も、出身校も、わたしの知るものではなかった。弟さんは律儀に自分の身分証明書を見せ、兄がどうしてそんな嘘をつくのかわからない、と言った。自分の知るかぎり嘘をついて隠すような過去はないのに、と。

 わたしの恋人は二重に消えてしまった。第一に、物理的存在として。第二に、名を持ち歴史を持つひとりの人間として。第二の彼ははじめからいなかった。わたしが知っている彼は存在しなかった。わたしはその事実を、長いことかけてのみこんだ。わたしは静かに仕事をして静かに暮らした。今は別の人と暮らしている。

 彼がわたしに腕時計をくれたのは六年とすこし前のクリスマスのことだった。彼がいなくなったのは翌年の二月のことだった。だから時計は明確に彼の記憶と結びついていた。彼はわたしからお金をだまし取ったのではなかった。彼は妻がいるのを隠してわたしとつきあったのではなかった。わたしは警察や裁判所に訴えるような被害に遭ったのではなかった。でもわたしは傷ついていた。自分の存在の一部が無効にされたかのような感覚を持っていた。とても深く損なわれたのだ。そのことを、六年経ってようやく自覚した。あまりに根の深い感情は、それが消えたあとにしか自覚できないんだな、と思った。ごっそり持って行かれた穴が目に入らないふりをして、それがふさがってから、ああ穴があった、とわかるのだ。わたしは時計を見た。それはただの死んだ時計だった。わたしはその時計を捨てた。