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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

子どものあの質問に対する良き回答の例

 ママはどうしてちんちんがないの?
 来た、と彼女は思った。それから「ママには」が正しい、と思った。でも言わない。まだそこまでの言語能力を要求される年齢ではない。彼女の子は実によく質問をする。親を歩く辞書みたいに錯覚しているきらいがある。ある程度「ママ、パパはなんでも知っている」という錯覚を持つのは悪いことではない。発達に応じて少しずつ「親もただの人」にスライドしていけばよい。そうは思うが、口を利きはじめたら、そんなん誰にもわかんねーよ、みたいなことも、回答は可能だけどきみにわかる表現にするのがたいへんだよ、みたいなことも、遠慮なくばんばん尋ねるだろう。知識と言語能力が問われる。サイエンス系は一緒に調べればいいけれども、倫理的な質問(なぜ人を殺してはいけないのか、とか)および性について(今日みたいなやつ)はその場である程度の対応できるようになりたい。なぜならその場で与える印象の影響が大きい問題であるからだ。彼女はそのように思っていた。だから子をバスタオルで拭きつつ片方の眉を上げ、余裕の笑みを浮かべ、その一秒で回答を決めた。
 ママのはね、中に仕舞ってあるの。しかもおっぱいもある。大人の女だから。
 息子は尊敬の面持ちで彼女を見つめた。だめ押しに彼女は顎をやや上げ、わかりやすい上から目線をつくり、ふふん、と笑った。おっぱいは強い。彼女の夫はよく子育てをするが、それを所持しないことの不利を何度か彼女に訴えたものだ。この戦闘力の差異は実に不公平である、俺だって父乳とか出して子を魅了したい、というのだ。母乳をあまり飲まなくなっても、その威力は今のところ衰えていない。仕舞ってあって、しかもおっぱいもある大人の女というのは、なんだかすごいものである、という印象を植えつけることに成功した。
 ということで、この説明でだいじょうぶだと、マキノは思う?彼女がそのように尋ねるので、私は深くうなずき、よろしいかと思います、とこたえた。大雑把にいって解剖学的にも誤りではないと思われるし、子どもが他人に言っても周囲の困惑が少ないと思われる語彙を使用している。しかも答えているときの母親がやたらと偉そうなのがいい。
 多くの場合、子どもに対して性の話題は秘匿され、あるいは避けられる。嘘をつかずに年齢に応じた性教育を、なんて言いながら、子どもには「清らか」でいてほしいというような願望がにじみ出て、あるいは自分自身の性に対する感覚や感情を整理できていないことによって、子の質問に対する不快感が出てしまうケースも少なくない。そうすると、ことばでどう説明したとしても、態度で「これは質問してはいけないこと」「こういう話はしてはいけないもの」と示してしまう。
 親のせりふと態度に矛盾があったとき、多くの子は混乱しながら態度を優先させる。これがひどくなると子は混乱を抱えたままことばへの信頼を薄れさせ、空気を読むことにばかり長け、人の顔色をうかがって無言のメッセージに応えようとする。そういう人間は高確率でのちのち面倒な課題を抱えることになる。そこまではいかなくても、性なんて死ぬまでつきまとうものに最初から後ろめたいイメージを与えていいことなんかいっこもないと思う。
 私は彼女の多感な子の年を遠く離れた中年であって、それでもなお、性、とくに女の性に関して、じめじめした、後ろめたい、卑しげな感覚を、他人やメディアを通じて押しつけられることがある。まったく冗談じゃねえやと思う。人が持って生まれた身体の一部に薄汚いイメージを押しつけないでいただきたい。私は私を全体にいいものだと思って生きていたいのだし、そのような当然の権利を脅かす連中の影響を受けるなんて業腹だ。そこで個人的な対抗措置として自分の性器に名前をつけ、たまに会話している。ひとりでいるときに、声色を変えて二役をやるのである。なかなか楽しい。そういう遊びについては、もちろんとても親しい人にしか話さない。そうするとたいてい「ばかじゃないの」と笑われながらけっこう肯定される。ちなみに手足や肝臓などからだの他の一部を酷使したときにもひとり二役をやる。酷使に対する文句を言ってそれを自分で聞いてやるのだ。たとえば肝臓さん(もちろん肝臓にも個別の名前をつけている)の愚痴により酒を飲む日が減るなど、健康に良い遊びなので、みんなやるといいと思う。
 世の中には男でも女でもない人もいるし、変更されることもあるし、おっぱいやちんちんのあるなしが男と女をわけるものでもないし、みたいなことも、おいおい示唆していきたいけど、今はまあこんなものよね。彼女は言い、私は同意する。