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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

逃走の作法

 あけましておめでとうございますと私は言う。あけましておめでとうございますと彼女も言う。それから、生存に、とつけ足す。ほんとうにおめでたいことだねえと私は言う。私たち、生きてて、いろいろたのしくって、おめでたいねえ。Skypeの向こうの古い友人は少しだけ沈黙し、それから、ちいさく笑う。
 彼女は路上にきわめて近いところから人生を構築した。私は彼女ほどきつい状況にはなかったけれども、心情的には類似のカテゴリに所属していた。だからまだ少女といっていい年齢で彼女は私を発見し、私は彼女を発見し、そうして、たがいを特別なものとして取り扱った。見た目の同じ動物たちのなかにあって擬態を見破られないよう始終気を張っているにせもの同士として。
 彼女の生家は彼女の言うところのマイルドな地獄であり、彼女の話を聞くたび私はおおいに憤った。あなたはきっとすごく強くなると私は言った。強くなって、それで、そんなものぷちっと潰してやったらいいんだ。虫みたいにさ。戦って勝つ、と彼女は確認する。絶対勝てると私は言い募る。彼女はすこし考えて、それから言った。私は戦わない。私は逃げる。
 どうしてかわからないけど、戦うのが正しいのかもしれないけど、私はそうしない。私は逃げる。いま決めた。サヤカは見ていて。私、脚が速いんだよ。
 そのことばどおりに彼女は逃げた。彼女の丈夫な足は長い長い距離を走りつづけた。彼女はひとりで死ぬまで口を糊する能力を身につけ、ささやかに助けあう人々との関係を丁寧に築き、近親者に関する制度と法律を学び、自分にあいたいくつかの決してふさがらない穴をあの手この手でケアしつづけた。私は、それを見ていた。
 首尾よくとはとても言えないにせよ、彼女も私も少しずつ綱渡りの日々を脱し、安全を確保した。自分で選んだ職に就き、自分の好みの生活を保ち、よき人々とよき感情をやりとりし、致命的な病気や怪我をせず、取り残してきた問題をあるいは解決しあるいはほどほどにうまくつきあい、のんきに暮らすことができるようになった。私たちは大人になった。
 去年の夏、彼女の職場の彼女のあずかる部署で不正が発覚した。それに対する怒りを彼女は表明した。不正をおこなった人間を再起不能に追いやることだって彼女にはできた。そうするほうが正しいようにも思われた。彼女はそれを遂行しかけて、そうして、手を止めた。
 その話を聞いてどうしてどうしてと私はうるさく尋ねた。そんなの許せない、こてんぱんにやっちまいな、思い知らせてやったらいいんだ。彼女はあいまいにうなずき、ねえサヤカ私がそうしたらいい気持ちするでしょうと言った。そりゃあもう溜飲が下がるねと私はこたえた。私は当事者だからもっといい気持ちすると思うよと彼女はこたえた。だからそれをしてはいけない。作法に反する。
 逃げてきた人間は、と彼女は言う。正面から対決して生きるか死ぬかの戦いに身を投じる格好良さではなく、みっともなく裸足で逃げて生き延びることを選んだ人間は、自分が追う側に回ったとき、たとえそれが正しくても、ううん、正しさという快楽があるならよけいに、暴力を選んではいけない。暴力を選ばないことを私は学んできたはずなの。そのために私はきっと逃げるほうを選択したの。あのときは理由もなく逃走することを決めたんだけど、でもきっと私の中のとってもお利口な部分は、それが暴力じゃないものを学ぶルートだとわかっていて、それを私に教えたんだと思う。私はその教えに悖ることをしてはいけないの。自分が少しばかり有利な立場の人間になったからっててのひらを返してそちらの側に回ったら、私はきっとだめになってしまう。人を叩き潰すことの気持ちよさに酔いしれてしまう。
 私は腹を立てて、それからなんだか泣きたくなった。殴り返さないでしかも死なないでいたって、誰も褒めてくれやしない。復讐は賞賛される。よくやったと喝采される。逃げて生きたことになんか、誰も気づいてくれやしない。でも彼女はそのひそやかな作法のために、追う側になっても叩き潰す快楽を捨てるという。薄汚い不正に手を染めた人間に対して組織としてのダメージが許容量におさまる範囲の支払いだけをさせて、あとは逃がしてやるのだという。そんなの見たくなかった。でも私は見ていた。見ていてという十八歳の彼女のことばに、私はうなずいたのだから。
 今年もよろしくと彼女は言う。非暴力を学ぶ逃走の道中を、どうぞ、よろしく。

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