傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼らの報酬

 被災地入りの前日、夕食をともにした友人にそのことを話すと、友人は頬杖をついて彼女をじろじろ眺めまわし、それから、いいなあ、私も被災地、見たいなあ、と言った。
 彼女は喉に上がってきたなにかをごくりと飲みくだし、なるべく平静な声をつくって、いいでしょう、と言った。すごい?と小学生のように友人は尋ね、すごいよと彼女はこたえた。いいなあと友人はもう一度言って、それからぽかんとしている。空想でもしているのだろう。
邪悪だ。本物の子どもは純真なのかもしれないけどこの人の子どもっぽい部分は間違いなく邪悪だ。彼女はそう思う。この人はただそれが見たいのだ。巨大なもの、圧倒的なもの、恐ろしいものが通りすぎた、空想の及ばない爪痕を、充分に安全を確保した状態で、見たい。それが多くの人を殺し、大量の悲劇を生み、現在進行形で新しい不幸のみなもとになっていることは、その欲求に何ら影響しない。
そしてそれは私の欲求でもある、と彼女は思う。彼女は参加するボランティア団体を慎重に選んだだけでなく、支援の内容を常に吟味し継続的で実効的な活動を志向している。その欲求を人々の目から押し隠すためだ。被災地入りの前日には必ず、被害に遭った人から「あなたがここに来るための交通費と諸雑費を送金してください、そのほうがよほど役に立ちますよ」と指摘されるところを想像する。その欲求を持つやましさのせいだ。自分のふるまいや言葉遣いが誰かに不快感を与えないかいつもいつも気を張っている。その欲求を持つ自分は存在そのものが不快であることを自覚しているからだ。
働くから見せてくださいと言っているも同然じゃないかと彼女は思う。働くからぐちゃぐちゃにされたところ見せてくださいよ、わあすごいなあ、ひどいなあ、怖いなあ。
私は邪悪だと彼女は思う。
だからいたたまれないんだよねえ、なんでみんなあんなに親切かなあ、意味がわからない。
彼女がぶつぶつこぼすと車中の仲間たちは笑い、運転手が、いいんじゃない、と言った。私たちが何を報酬として働いてるかなんてどうでもいいことだから、その人にとって必要なことをすれば良い人だと思ってもらえるんだよ、いいじゃん、シンプルで。
いやですと彼女は言った。彼らはいずれも都内から何度か被災地に入っており、うちひとりの車に同乗する習慣ができていた。彼らは首都高速道路を走っているところだった。時は深夜で、彼らの住む都市は茫漠と大きく、視界の端までこまかな光が続いていた。
いやです、だって私ぜんぜん良い人じゃないもの、冷たくされたほうが落ち着く。彼女が言うと車中の彼らはふたたび笑い、うちひとりが、友だちって怖いよねと言った。あいつら容赦ないよね、関係性に利害がからまないからさ。僕は出てくる前に「また『ありがとう』って言われに行くんだ」って言われた。
それもけっこう強烈だねと彼女は言い、わりと、と彼はこたえる。古い友だちだから、僕が職場でも家庭でもある種の不全感を持っているのを知っているんだね、ありがとうと言われなければいられない、そのためには休日なんかいらないというような、不健全なところを。彼はそのように話し、ふたりともめんどくさいな、と運転手は言う。あのね、きみたちの内面なんか世の中の大半の人にとってはどうでもいいの。行動がすべてなの。だからふたりともいい人。親切で礼儀正しくて思慮深い行動をとっているんだからいい人です。OK?
私にとってその日はただの休日だったので、コンピュータを立ち上げたまま小説を読み、気に入ったところを書き写したりしていた。Skypeをオンラインにしていたので、帰宅した彼女が音声だけをつないでただいまと言った。おかえり、楽しかった、と私は訊いた。
楽しいとか言うんじゃありませんと彼女は言う。配慮が足りない。ごめんなさいと私は言う。彼女はふと笑って、楽しかったよと言う。私は、見たいものを見て、いい人のふりをして、楽しかったよ。
他の人はどんな感じと私は訊く。やっぱり友だちから「ありがとうって言われたいんでしょう」みたいなこと言われた人がいたねと彼女はこたえる。ずうずうしくいやなこと言うの私だけじゃないのか、と私は思う。彼女はまたちいさく笑い、私たちはいつも恥じている、と言う。だから好きだよと私は言う。私は、邪悪な欲望をもって、そして、そのことをはじらう人が好きだよ、ただ見たいから観に行ってすごーいって言ってばしゃばしゃ写真とって帰ってくるような人を私は恥を知らないと思う、私はそういう人とは友だちになれない、個人的に。