傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

情熱の延命措置

 なんだかデートみたいですねと私は言い、デートじゃいけませんかと彼は言った。私は彼と彼の背後にいる、物理的な背後ではなく観念としての背後にいる彼女を見た。彼女は私の古い友人であり、彼は彼女の恋人で、もう四年近く一緒にいるのだった。彼らはともに誰かの幻想のように洗練されていて、彼らが一緒にいるのを見るたび、広告写真みたいだと私は思った。売りたい商品のない手持ち無沙汰のコマーシャルみたいなふたり。
 いいですよデートでも、と私は言い、彼の表情を確認する。ものごとの順調な進行を見守りその順調さに満足している人の顔だ、と思う。ベルトコンベアの動きを確認する工場長の顔。
 彼は多くのベルトコンベアを複雑なかたちに張り巡らせて欲しいものを手に入れようとしていた。彼はあきらかに私を見くびっており、私が彼の思惑どおりに動くことを当然ととらえているように思われた。私の生活に不足しているものを推定して与えてやれば私がそれをがつがつ食べてしっぽを振って仰向けに寝るだろうと、そう思っているようだった。
 私はぼんやりと彼を見てすてきですねと言う。もてるでしょ。そんなことないと彼はこたえる。こうして自分から一生懸命アピールしないと誰もこっちを見てくれない。一生懸命アピールすればたいていOKですかと私は訊く。意地悪だねと彼は言っていかにも愉快そうに笑う。愉快なのだろうと私は思う。愉快な工場長。愉快なベルトコンベアとしてのデート。その上に載って上機嫌の私。それはいくつかのベルトコンベアを経由し不要な部分を切除され美しく包装されて善き消費者のもとへ届けられる。消費者は工場長と同じ顔をしている。
 私は架空のベルトコンベアから飛び降りて架空の工場の架空の電源を落とす。つまりこのように発言する。ちょっといい気分にさせて彼女とうまくいってないって言ったら私が簡単に自分のこと好きになると思ってますよね。
 私のこと一グラムも好きじゃないのにどうして私と浮気したいんですかと私は尋ねる。彼女に浮気されてそんなに口惜しかったんですか。腹いせは知らない女じゃだめで彼女の友だちじゃなくちゃいけない、それくらい口惜しかったんですか、かわいそうですね。
 彼はさっきよりずっと愉しそうに笑って、なんだ知ってたのかと言った。浮気されたならともかくしたことまで友だちに話すのか、あの人、そういうタイプじゃないと思ってたんだけど。彼女の新たな一面が見られてよかったですねと私は言う。彼はつくづくと私を見て、それから、いいことを教えてあげよう、と言った。
 僕は浮気された腹いせに同じことをしてやろうと思ったわけじゃない。あのねサヤカちゃん、世の中の浮気の何割かは、してる側が意図してばらすんだよ。傍証をばらまいて、あやしげな態度で、見つけてもらうのを待っている。された側は疑う、苦しむ、証拠を見つける、のたうちまわる、ためらう、ついに問い詰める。こんなに盛り上がることがあるか。四年も一緒にいたら飽きる、どうしても飽きてしまう、僕らはそれが怖い、相手が飽きているのも自分が飽きているのも知っている、それがとても怖い。
 私は彼らの思考と嗜好をトレースしてぞっとする。ベルトコンベアに載った製品の消費者は彼ひとりではなかった。それは彼と彼女の幸福な食卓に供されるものだったのだ。盛り上がってうれしかったんですかと私は尋ねた。うれしかったよと彼はこたえた。許してくれって泣きつかれてうれしかった、思い出して苦しいのがうれしかった、だってそんな目まぐるしさって、最初のころみたいだ。
 私はうんざりする。そんな延命措置が必要な関係なんか犬に食わせればいいと思いますと言う。彼は陶然とこたえる。どうして別れなくちゃいけない?こんなにも愛しあっているのに。
その延命のためなら他人の感情なんか消費してもいいほどに愛しあっている、と私は言う。いいわけないじゃないかと彼はこたえ不意に声を小さくする。そんなこと許されるはずがない、僕は、もしかすると彼女も、きっとろくな死にかたをしない、でもそうするしかないんだ、もうそれしか残っていないんだ。
私は彼らのあまりのみじめさに胸を突かれて、いいですよと言う。ちょっとした当て馬にならいつでもなってあげます。彼は眉間の力を抜いて頬杖をつき、その程度じゃ困る、と言う。リアリティが重要なんだ、だからちゃんと愛してくれないと。図々しいなあと私はこたえ、それから彼と目を合わせて、笑った。