傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼は何を買っているんだろう

友だちの赤ちゃんを見せてもらいに家に行くと、これから姉も来るんですって、と友だちが言う。一緒にごはん食べてってよ、うちの姉おもしろいから、ぜったい気に入るよ。
赤ちゃんは抱いたまま立っているとご機嫌で、座るとぐずりはじめる。それで私は気の利かない熊みたいに部屋の中をうろうろしながら、友だちの姉についての話を聞いた。彼女は四十歳近く、夫はたいそう活力にあふれた人物で、小さい会社を経営しているのだという。
噂の姉は子どものあつかいがひどく上手な人で、彼女が抱いるうちは座っていようが立っていようが赤ちゃんは泣かないのだった。私はいささか釈然としない思いで、なにかこつがあるんですかと訊いた。彼女はずいぶんと可笑しそうに、たまたまですよ、とこたえた。
友だちは「私のビール」と言ってペリエを取りだして飲みながら、ねえ最近どうと姉に訊いた。訊かれた姉は自分で持ってきたシャンパン(ちゃんと冷えていた)をすいすいとあけながら、今日泊めてちょうだいと言った。今の部屋を引きはらって会社で持っているアパートに行くんだけれど、まだ準備できていないのよ、掃除とか。
彼女はうふふと笑い、楽しい話みたいな口調で言った。夫の会社はね、経営はまずまず順調なんですよ、でもね彼はその収入をすごい勢いで使っちゃうのね、彼には計画性というものがみじんもなくて、嘘みたいにゴージャスな暮らしをしたかと思うと、急に家賃が払えないみたいな状況になったりするんです。
それはそれは、と私はこたえた。日本語にはなんとも言いようがないときのせりふがいっぱいあって便利だ。
そりゃああの人はいい人だよ、でも経済的に破綻しちゃうのはまずいよ、別れようとは思わないわけ、と友だちが訊いた。生活が安定しないのは気にならない、気にしてもしかたないから、気にしない訓練をしたの、だって私たちには、離れるという選択肢が、なんだか現実的なものに見えない、文法上そういう語の並びをつくることはできる、でもそれだけのことばにしか聞こえない。彼女はそう語り、私は畏れいる。彼らの愛あるいは彼らの依存の、ほとんどグロテスクなまでの強度。
でもひとつ気になるのはね、と彼女はつぶやく。彼が何を買っているのかしらってこと。なんだか高価でぴかぴかしたものですよねと私は訊く。
そうよと彼女は言う。私にもそういうものをくれるの、そうすると私が喜ぶと思ってるみたい。でも私が知りたいのは商品やサービスのことじゃないの。だって私そういうのわりにどうでもいいから。私が知りたいのは、それによって彼は彼の何をどんなふうにあがなっているのかということ。
私と友だちが首をかしげると彼女は言う。ねえ来月になったらバーゲンに行ってお洋服を買うでしょう、どうしてかっていうと、それを着て自分がきれいになったような気がしたいから、流行に乗っている気になりたいから。いくらか買って私は満足する、私の外見に関するナルシシズムは、シーズンに何枚かの服があれば満足する、私は、それに対してお金を払っている。
彼女はいったん話を止め、小さくぐずりだした赤ん坊を抱く。彼女は子どもを産んだことがないと言っていたのに、どうしてそんなに抱くのが上手なのだろう。
彼女は言う。私は彼の何があんな浪費を求めているのかわからない、あんなにもたくさんのきらきらした物たちで、彼の内面は何を得ているのかしら、彼はほんとうは、何を買っているのかしら、私そのことがとても知りたい、なぜかというと私は彼にとても興味があって、彼のことを知りたいと思っているの、いつも、とても。