傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

羽鳥先生は静かに暮らしたい

 わからない、と同僚が言う。そう、と僕は言う。そして説明をはじめる。僕にとって、わからないのはぜんぜん悪いことではない。その理屈はわからない、というならより多くの説明があればいいのだし、その感覚はわからない、というなら双方が「そんなものか」ととらえておけばOKだと思う。他人と感覚が違うなんて当たり前のことだ。排除や蔑視はされたくないが、共感はとくになくてもよい。

 僕は自分が好ましいと思う環境を作り上げて静粛に暮らすことを人生の主たる目的としている。コンピュータ・プログラミングのゲーム性を好み、それを仕事の一部にしている。世間の人々が家族やお金や名誉や、そのほかのいろいろなものに駆動されていることは知識として知っている。でもその内実はわからない。そういう欲望があんまりないからだ。色恋もどうもよくわからない(正確に言うとわかる部分もあるのだけれど、大雑把に言うと、わからない)。生物との物理的接触はだいたい気持ち悪いし、他人と同じ空間にいるのが好きではない。だから何をどう考えても結婚とか絶対にしたくない。斜めにしても逆さにしても承服しかねる。四十を過ぎたら他人から交際相手を薦められることがなくなったので、年を取るってほんとうに素晴らしいと思う。

 同僚はそのような僕の性質をもって「羽鳥先生は静かに暮らしたい」というあだ名を僕につけた。動詞の入ったあだ名なんかあるかと思うんだけれど、同僚は澄ました顔で、ある、と断定するのである。新人育成や関連企業でのレクチャーを担当しているから、先生というのはあながち間違いではないのだけれど。

 僕は教える仕事も嫌いではない。ぴかぴかした若者たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、一人前になったり、ならなかったりする。彼らの八割がたは僕の感情を読み取ろうとし、そして少なくとも一度は気を悪くしたり萎縮したりする。僕は怒るということがまずないのだから、怯える必要はひとつもないのに。たいていの場合、件の仲の良い同僚がひょいと首をはさんで、こいつのことはぜんまい仕掛けの機械だと思っていればいいんだよ、などと言って、とりなしてくれる。

 でも今年の新人はそうではなかった。とにかく距離が近い。僕はパーソナルスペースが広めで、自動車の隣の席に長時間座っていて不快でない相手がこの世に十人もいない。話すときなどに近寄る人物がいるともちろん身を引く。そうするとたいていの人は物理的な距離を調整してくれる。しかし今年の新人はそうしない。後ずさるとそのぶん寄ってくる。近い。超近い。そしてなんだかくねくねしている。話す内容もよくわからない。個人的なことをよく話す。仕事の能力は高い。

 よくわからない新人はよくわからないまま巣立っていった。僕はいささか安堵して、あれは何だったんだ、とつぶやいた。すると同僚は両手を軽くかざし、羽鳥先生、と言った。あれは狙っている、というやつ。セクシャルな誘惑だよ。あんなにあからさまでわからないのは、なんというかさすが羽鳥だ。しかし俺はそれをとても良いことだと思う。なぜならあの子は恋をしていたのではないから。恋ならね、気づかれないのはかわいそうだけど、あれはそうじゃない、あれは、恋のふりをした、何か。

 何かって何、と僕は訊く。同僚はどう考えても正解を持っている。そういう顔をしている。案の定、笑って回答をくれた。

 あの子が欲しがっているのは保護者だよ。ああしろこうしろと言って、努力したら褒めてくれて、いつも正解か不正解かを判別してくれて、正解への道筋を示してくれて、間違ったことをしたら叱ってくれて、自分に手間暇かけてくれる相手。

 羽鳥はそんな相手、欲しくないだろう。俺も欲しくない。でもいくつになっても保護者を欲しがる人間はいる。そしてそのうちの一部は上司や指導役と恋愛のようなことをしたがる。なぜかというと恋愛は特別な関係だと社会が認めているし、強い感情が生まれやすいから。だから恋人がほしいというより、それをツールにして保護者を得たいということだね。そういう人格が形成されてしまうだけの何らかのできごとがあの子にはあったんだろう。でもそれはまちがっていると俺は思う。そのまちがった学習を否定したいと俺は思う。だからあの子が羽鳥を誘惑することに失敗してくれて嬉しい。あの子もそのうちわかってくれるんじゃないかな。いや、もうわかっているかもしれないな。

 僕にはわからない。だからそう言う。わかるまい、と同僚は言う。そういうものか、と僕は思う。

プリキュアになれなかった女の子

 世のため人のために働くんだと思っていた。わたしは無邪気な自信家だった。将来はずっと口を糊することができると信じていて、それ以外の余剰があって、それでもって人に尽くすんだと思っていたのだから。高校生になっても、大学生になっても、なんなら社会人になってもしらばらく、その夢想を保持してた。ばかみたいだと自分でも思うけど。

 ばかみたいでしょう。でもわたしの育った環境ではそれをばかにされることがなかった。外資系でがんがん稼ぐんだとか、すてきな異性にもてたいとか、そういう人もいたけれど、同じくらい、世のため人のため身を粉にするぞと思っている人もいた。その幼い夢をかかげて、わたしはある省庁に入職した。ばかみたいでしょう。ねえ。

 わたしには人生の足踏みが少なかった。浪人せず、留年もせず、最短ルートで就職した。努力は必要だった。その努力の目的はもちろん世のため人のためだった。わたしは子どもだったと思う。自分はがんばれば正義の味方になれると信じている、子どもだった。

 わたしは就職して一年でぼろ雑巾みたいになった。体力には自信があった。精神力にも。でも問題はそういうことじゃなかった。そもそも大きな組織には新人の精神をぼろ雑巾にするシステムがそなわっているのだ。そうでなければよい歯車にならないから。わたしはようやくそのことを知った。それでもわたしは「正義の味方」になりたいままだった。よい歯車のそぶりをして、内部からこの組織を変え、そうして世の中を良くするんだ、などと考えた。わたしの思い上がり、わたしの幼い夢は、だからけっこう長持ちしたほうだと思う。

 わたしの精神はしだいに平たくなった。継続的な多忙と強制される理不尽な慣習は人間を鈍くする。こんなことやっていても世の中は少しもよくならないし、なんなら自分たちは嫌われていると、わたしは遅まきながら気づいた。わたしは人を助けてありがとうと言われたかったのに、そのほかにはなにもいらなかったのに、人々はわたしのことを、不当に恵まれた、ずるいやつだと思っているみたいだった。わたしは大量の書類をめくる途中で不意にそれに気づいてしまった。A4のコピー紙が指にはりついたことを覚えている。書類を汚してはいけないから慌てて手を離し、反射的にハンドタオルで拭いたことも。あまりに疲れていて、ハンドタオルを毎日洗濯できていなかったことも。その布きれがものすごく汚く感じられて、衝動的にゴミ箱に捨ててしまったことも。

 職場を見渡す。同僚はたくさんいた。でも仲間は見つからなかった。優秀なあの人も、評判のあの人も、ヒーローになんかなりたくないみたいだった。天下りしていい目をみてやろうと思っていることさえ珍しくなかった。そんなのどう考えたって悪役じゃないか、とわたしは思った。それから、彼らのようにならないルートを具体的に想像できないことに気づいた。

 わたしは愛されたかった。子どものころから優秀だと言われて、その優秀さは世の中に貢献すべきためのものだと思って、すごくすごくがんばって、私欲のために道を曲げたりしないで、そうしたら世界から愛してもらえると思っていた。いっしょうけんめい働いて、ときどき誰かから「ありがとう」と言われたかった。でもそれは見果てぬ夢で、わたしはただの、いけすかない、エリート気取りのばかだった。

 そのようにしてわたしは職を辞した。わたしは堅実だから、もちろん民間企業に次のポジションを見つけてから辞めた。あとから聞いたところによると、非人間的な激務のさなかにある人間はかえって転職をしない傾向にあるのだそうだ。転職活動のためのエネルギーが残っていないから。だからわたしがどうやって時間と労力を捻出したのかと、幾人かに訊かれたけれど、自分でもどうやったのか覚えていない。疲労によってだらしなく広がった毛穴から生命力がどろどろ抜け落ちていくのを手ですくって舐めているような生活だった。その疲労を上回っていたのは失望だったと思う。わたしがヒーローじゃなかったこと、ヒーローへのコースが見えないことに対する失望だった。

 わたしは老婆のような心持ちになっていた。まだ三十にもならないのに、あとはもう余生なんだと感じた。転職してから毎晩、家に帰って昔のアニメを見た。小さいころに好きだった、女の子が戦うアニメを繰りかえし見た。それからようやく泣いた。在職中は一度も泣くことができなかったのだ。

バグ対応にストーリー

 何かから逃げている。何かはわからない。でも逃げている。そのような感覚をずっと持っている。物心ついてからずっとある気がするけれど、強くなったのは高校生のころだった。そのころから、「逃げている」という感覚にとらわれると生活できないとわかっていた。だって、何から逃げているのかわからないのだ。

 思春期だからな、とそのときは思っていた。世間でも思春期は不安定だということになっているし、ものを読むかぎり、ほぼ病気みたいな感じなので、自分の焦燥感も思春期のせいだろうと思っていた。授業を受けていても誰かといても楽しくしていても寝てもさめてもわたしはつらく、そこから目をそむけることが活動のエネルギーだった。授業に集中しないと、人との会話に集中しないと、「あれ」にとらわれてしまう。

 一度だけ母に言ってみたことがある。お母さん、お母さんが高校生のころってどうだった、すごく苦しい焦りみたいなのなかった。地獄のように迷って焦っていたわよ、と母は言った。それを聞いてわたしは安堵した。なんだ、思春期はみんな地獄なんだ。

 でも思春期のせいではなかった。大学生になっても就職しても、そのあと十年ちかく働いても、わたしの焦燥感はなくならなかった。それはちりちりと胸を焼き喉を焼いた。甘さみたいなものはかけらもなく、大切なものが呼吸ごとに口からちらちらと漏れているかのような感覚なのだった。わたしはその正体をどうしても突き止めることができなかった。わたしは格闘し、そしてあきらめた。だって、仕事があるし。

 だからわたしは仕事熱心だった。仕事はいい。仕事だからしかたないという言い訳は最強だ。もしもわたしが男ならずっと仕事をしていたと思う。でもわたしは女だったので、仕事だけしているとやいのやいの言われるのだった。そんなのは性差別だけど、わたしは現実的な人間だから、いい人を見繕ってプロポーズして結婚して基礎体温をはかってうまいこと妊娠して子どもを産んだ。夫はあまり手のかからない男だけれど、一緒にいればそれなりに気を張ったり気がまぎれたりするし、妊娠はものすごくしんどかったし、子どもはとにかく手がかかるものなので、わたしは例の焦燥感を忘れる手段をいっぱい手に入れた。

 もちろんそのあいだもブルドーザーみたいに仕事をつづけた。直属の上司から「雑で丈夫で長持ち」と言われ、しょっちゅう小言とともにパワーポイントを修正されながら(上司はものすごく細かい)、どかどか片づけてその一部で成果を出した。家庭でも同じようなもので、とにかく荒っぽくスピーディにタスクを消化した。わたしの干した洗濯物はしわしわで、夫の干した洗濯物はぴしっと美しいのだった(夫はものすごく細かい)。子どもが泣くとわたしは焦り、でもその焦りは回答のある焦りなので、苦しいものではないのだった。

 わたしはそのようにして目を逸らしつづけた。お風呂に入って歯をみがいているとき、子どもが感じのいい寝息をたてているとき、夫がわたしのスーツのほこりを取りながら家電の買い換えの話をしているとき、職場の繁忙期が終わってすべての書類を出し終えたとき、美容室で「おかゆいところはございませんか」と言われて「ありません」とこたえるとき。心が弛緩した瞬間、目をそらし続けていた毒の塊のような焦燥感がわたしの胸を塞ぎ、喉に詰まる。ああ、わたしは、ずっとずっと、逃げている、ほんとうはいけないことをしている。そう思う。鼓動がいやな感じで早まり、心臓に毒を仕込まれたように感じる。吐き気、まぶたの裏の不快感、喉の中に何かある感じ。

 わたしは友人にそのような話をする。友人はのんきにわたしを見て、あのさあ幸せ、と訊く。わたしはうなずく。幸せだよ。そうだろうね、と友人は言う。

 幸せっていうのはさあ、だいたい怖いもんだよ、気持ちの悪いもんだよ。どうしてって、まああれだ、生きてたら死ぬじゃん、だから怖いんだよ。幸せだったらよけいに死ぬの怖いでしょ、楽しい人生が過ぎていくのが怖いでしょ。うん、そういうストーリーはどうかしら。まあなんでもいいんだけど、なんか理由つけたほうがいいんだよ。人間にはさ、たまにバグがあってさ、理由のない恐怖が消えなかったりするんだよ。あなたのそれ、たぶん一生消えないよ。でも弱くできるから、だいじょうぶだよ。がまんできなかったら言いなね、その都度、てきとうなお話をつくってあげるから。

劇場から出ない

 だって仲良くなって何度かおたがいの部屋に泊まった相手なら、部屋の中を下着でうろうろするものでしょ。

 私がそう言うと彼女は完全に沈黙し、それから、ほう、とつぶやいた。そのつるりとしたひたいに「保留」と書いてあるかのようだ。インテリジェントな人間によくあることだけれど、相手の意見を言下に否定することを下品だと考えているのだろう。

 それはちがうと思うの?私はそのように訊く。彼女は慎重に首をかたむけ、そう、うん、えっと、そう思う、とこたえる。私は考えて、言う。お行儀がよい人なら、恋人の部屋にいても、ちゃんと部屋着を着るんだろうね、あるいは子どもができて、教育上の理由で部屋着を着てすごすのでしょう。彼女はますます慎重なようすで、そうかもしれない、と言う。

 部屋着じゃないのだ。私はそう判断して確認する。つまり眠るまでは街着を着ているわけだ、お化粧も落とさない、おたがいにきちんとしている、それがどちらかのおうちであっても。彼女はあいまいにうなずき、でもまあ、わたしのささやかな経験にすぎないから、と言う。

 私の記憶によれば彼女の色恋の経験はそれほどささやかではない。でもそんなことはたいした問題ではない。一人だろうが十人だろうが統計的には超ささやかである。適切なサンプリングで適切なボリュームに対して調査をしなければ「恋人の自室ではだらしない格好をする者が多数派」みたいなことは言えない。

 言えないが、私はみんなそうだと思っていた。だって、家では、リラックスするものだからだ。私が親密になった相手はみな、流れるような動作で外出着を脱いでハンガーにかけていた。記憶にあるかぎり、そうしなかった人はいない。全員が当たり前に脱いでいた。フォークとナイフがたくさんあったら向かって外側から使う、くらいの感じで脱いでいた。

 ひとつ確認したい、と彼女が言う。さやかさんは彼氏とかの家に行ったら化粧を落とすんだね。そりゃあもう完全に落とすとも、と私はこたえる。それから思い出す。夏目漱石かなにかの小説で風呂上がりに薄化粧をする女が出てきた。主人公の男は寝間着に薄化粧の女を見て「おお」と思うのである。

 わたしは、と彼女が言う。わたしは薄化粧なんかしない。お風呂から上がったら、きちんとお化粧する。男の人がナチュラルだって言うようなやつを。髪だってセットする。自分ひとりのときみたいな格好はぜったいにしない。だってみっともないもの。生活感が出ちゃうもの。彼が来ているのに、プランクの格好でリルケを読むような真似はできない。

 私はたいそう感心した。体幹を鍛えながらリルケ。とても素敵だ。恋人に見せたらますます惚れるのではないかと思う。でも彼女は恋人の前では決してそうしないのだ。それは舞台裏だから。美しくあるための支度であって、仕上がった美ではないから。私は人と親密になったら生活の一部をともにするものだと思っているけれど、彼女はそうではないのだ。生活を排除し、美しい舞台を作り上げることこそが彼女にとっての恋なのだ。

 彼女は言う。そもそもわたしは彼の前で眠っていない。少しうとうとするだけ。そして早朝のうちに帰る、あるいは彼が帰るのを待つ。だって人間は熟睡したら口が開くし、へんな姿勢で寝返りを打つし、そしたら化粧が崩れるし、いびきだってかくかもしれないんだよ。

 私はますます感心した。人間が持っている当たり前のみっともなさを、彼女はぜったいに恋に持ち込まないのだ。カメラの前の女優さんみたいだ。よくしたもので、そういう人には同じタイプの恋人ができるものらしい。彼らが彼らの自宅にいるところを私は想像する。外にいるよりは気を抜いた姿勢の、しかしその崩し具合すら制御している二人が、決して取り乱すことなく、すてきな動作でくちづけをし、すてきな姿勢で眠っている(ふりをしている)ところを。描れない絵のモデルたち。撮影されない映画の主演。無人の劇場で演じられる恋。

 すてきだねえ、と私は言う。あなたたちは、きれいだねえ、と言う。どうもありがとう、と彼女は言う。おたがいに格好つけない関係、いいなって思うよ、でもわたしにはできない。わたしは、恋をもっと美しいものだと思ってしまう、美術館に置かれるようなものだと思ってしまう、夢のような恋人でありたいと思ってしまう、だから、ねえ、彼が結婚してほしいというんだけど、そんなの無理に決まってるじゃない、彼、どうしてそんなこと言うんだろう、どうしてわたしたちの恋を、生活といううすのろに売り渡そうとするんだろう。

 

追記
この「劇場から出ない」人から返信をもらいました。

note.mu

夫が病気になったので

 朝はテレビのニュース番組をつけっぱなしにして、見ていたり見ていなかったりする。わたしの家の朝の日常的な光景だ。夫は決まってトーストとコーヒー、わたしはそれに加えてヨーグルトかチーズを食べる。トーストを焼くのは夫、コーヒーを淹れるのはわたしである。娘が生まれる前は朝食に火を使うこともあったが、今はそんな余裕はもちろんない。娘はパンをあまり好まないので、まとめて作って冷凍しておいたいくつかの味つけのおにぎりをレンジアップして食べさせる。食べないこともあるが、わたしも夫もあまりうるさくは言っていない。

 今朝は娘が自ら保育園に行く支度をしたので少々の余裕があり、ニュースを横目で見ながら感想を述べた。さる医科大学が女性受験生の得点を割り引いたというもので、非常に差別的かつ複合的な問題を感じさせる事件だ。それを見たわたしは当然怒った。ひどい事件だ、と言った。すると夫が言った。しかたないんじゃないの、女医さんばかりじゃ困るんだから、ちゃんとした医者がいないと。

 えっ、と思う。振り返ると夫はすでにいない。ドアが閉じる音がする。夫は通常の出勤時間、わたしは娘が小さいあいだは送り迎えの「送り」ができるよう職場で調整してもらっているのだ。娘が得意げに支度のできたところを見せにくる。娘に朝食をとらせる。娘は小さなおむすびをひとつだけ食べる。娘に靴を履かせる。自分の靴を履く。先ほどの記憶がよぎる。背筋が寒くなる。けれどそれも朝のあわただしさ、娘の登園と自分の出勤を時間内に終わらせる義務感の後ろにすっと下がってしまう。

 夫と喧嘩をしたことがないのではない。結婚直後、妊娠時、出産後、生活が変わるたびに激しく言い争った。家の中でどちらが何をするか、何をどこまで許容するかというのが、その主題だった。要するに生活のための喧嘩である。わたしばかりが損をしているとわたしは思いたくなかった。喧嘩をしてでも納得のいく家庭内の負担のわけあいをしたかった。夫は喧嘩から逃げたことはなかった。ちゃんと自己主張をし、折れたり折れない理由を述べたりした。だからわたしは夫をとても信頼していた。

 あの発言はいったいなんだったのか、とわたしは思った。あれは論外だろう。夫はわたしの仕事を認めて、娘の教育についてもちゃんと考えている人だ。少なくともわたしはそのように認識している。でもあんなことを言った。わたしは帰りの電車でネットスーパーの注文ボタンを押しながら決意する。夫をきちんと問いたださなければなるまい。

 しかしその夜、夫の帰りは遅かった。翌日はわたしが残業である。わたしと夫は保育園の送り迎えの割り振りをしながらたがいの仕事時間を調整しているのだ。週に一度は近くに住むわたしの母が全面的に育児と家事をサポートしてくれている。朝のニュースが流れる。わたしはそこから目をそらす。当たり障りのないニュースでありますように、と思う。そうして気づく。わたしのトーストがない。

 夫は当たり前の顔をしてコーヒーをのんでいる。パン食べないの、と訊くと、出てこないからね、と言う。わたしは彼を見る。彼はスマートフォンを見ている。娘がぐずぐずしている。おとうさあん、と言う。夫はスマートフォンを見ている。わたしは娘に声をかける。夫はため息をつく。そしてつぶやく。まったく、この家はジョセイサマの家だな。わたしは一瞬、漢字の変換ができなかった。じょせいさま?

 わたしは週末に夫と話をしようとした。しかし夫は応じなかった。わたしは泣きそうになった。夫は変な冷笑を浮かべて、ふだんしていた掃除もしないのだった。夫に任せているからすぐにどうこう言うことはない。しかし、ふだんより明らかに何もしない。わたしが作る料理にお礼も言わない。娘のお迎え当番だけは行っていたが、娘をかまう頻度はあきらかに減っていた。

 半年を目処に、きちんと話せないなら離婚の可能性も考えなきゃいけない。そう思った。住宅ローンは共有名義で半分ずつ返している。わたしは自分だけで返すことを考えてローンの計算をしなおした。洗面所に行くと鏡にものすごい顔の女が映っていた。

 

 彼女はここで話を切る。聞いていた私はごくりと喉を鳴らし、ことばを探し、それからまた黙った。聞くだに怖いでしょ、と彼女は言った。ところが、その後、夫は元に戻ったの。暇さえあれば娘の世話を焼いて、まめに掃除をして洗濯物をたたんで、わたしの料理を賞賛して、おかしくなった時のことを話しても「ごめん、覚えていない」と言うの。まるで一過性の悪い病気になっていたみたいにね。