傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

首切り職人の顛末

 僕が行くのはつぶれかけた会社だ。人の首を切ったりすげ替えたりして企業を生き延びさせてカネをもらう。正確には僕の会社がそのような役割を標榜して僕を送り込み、僕は自分の役割を遂行する。送り込まれた会社は要するに先が長くないと宣告されたようなものだ。だから僕は誰にも歓迎されない。僕を呼んだ人間だってほんとうは僕に来てほしくなんかない。客先に行ってまともな席がなくても僕はうろたえない。椅子はありますかと尋ねる。つまり、椅子のような何かでかまわないのですが。

 たとえば会議室の隅が僕に割り当てられる。非公式に、対面した泥棒にホールドアップの小銭を与えるみたいに。僕はひとりで長机の脚を立て、パイプ椅子を引き、その上にからだをおさめ、ノートPCを起動する。このビルの中で、誰も僕を必要としていない。いつものことだ。白い目に囲まれて誰かの首を切り新しい図面を引いて組織を塗り替えるのが僕の仕事だった。崖っぷちの組織に呼ばれて世界の終わりみたいな会議室や倉庫で彼らの帳簿を見て、あれやこれやと託宣を述べる。

 新卒のときに国内が就職難だったから外資に行った。面接の終わりに外国人たちが「ようこそ」と手を差し出すから僕はそれを握ってにこにこ笑いながらこいつらとは永遠に友だちになれないなと思った。僕は彼らを好きじゃなかった。でも仕事はその都度燃えるような出会いで、僕はいちいち夢中になった。自分の部屋に来てくれたどの女の子より、つぶれかけのどこかの企業のために一生懸命だった。そして一つの仕事が終わるとその企業のことをきれいに忘れた。白い目、パイプ椅子、首切り、徹夜、首切り、徹夜、首切り、ときどきシャンパン。

 もうだめだと思うとありったけの連絡先を使って女の子たちに連絡して、そのうちのだれかとつきあった。何がだめなのか考えもしなかった(ほんとうにだめなときには何がだめなのかもわからないものだ)。長続きはしない。それはまあ、そうだと思う。夜中まで仕事ばかりしている人間への愛をどうやって継続したらいいのか。一緒に過ごす時間がなさすぎる。女の子たちは別れ際にけっこうひどい台詞を口にすることがあって、それはたぶん復讐なのだった。そのなかでいちばん的を射ていたのがこれだ。

 ねえ、きみってろくなものじゃないね。詐欺師というのが言い過ぎならせいぜいまじない師。あなたの断定していることに根拠なんて実はないでしょう。僕は疲れていたから寝そべって女の子の脹脛に頬をつけて女の子の顔だけ見ていた。女の子は笑ってきれいな脚を組んでいて僕のものじゃなかった。そのあとすぐ別の男と結婚したと聞いた。

 まじない師。結局のところ、僕の社会人生活はそういうものだった。最終的には根拠があいまいな内容を、自信たっぷりに断言する。そして他人の人生を左右してしまう。まじない師の首切り職人。白い目、古いオフィスチェア、首切り、徹夜、首切り、徹夜、首切り、ボーナス、首切り、ヴァカンス、文字通りの空白。

 楽しかったな、と思う。人の首を切って切って切りまくって自分の身体を壊しかけるほど働いて僕は楽しかった。休暇の名目で仕事を辞め、ひとりで海外に出てひたすら歩き回り、ばかみたいに大量の本を読んだ。よく眠れるようになって、腰痛とかが治って、すごく健康になった。これまでの人生を反省するみたいな展開は起きなかった。おかしいな、小説ならこういうとき、自分の新しい生き方を見いだしたりするんだけど。

 つまり僕は僕によく似合った人生を送っていたのだ。そう思った。僕が仕事を辞めたのは単にキャリアが二周くらい回って、飽きたからだ。久しぶりにいろんな人に連絡をとって、ねえちょっと聞きたいんだけど、と言った。仕事、飽きない?飽きるよとみんなが答えた。四十にもなればどんな仕事をしていてもたぶん飽きるよ。

 そんなわけで僕は僕の仕事に復帰した。相変わらず人の首を切っている。でも働きかたはだいぶ穏やかになった。それが可能な状況を作った自分を少し褒めたい。仕事に飽きない方法はまだ見つかっていない。でも自分を追い込んで退屈から目を逸らすのが利口な方法じゃないことは理解した。そして僕が目をそらしたかったものには、「人に恨まれるような仕事をするな」とか「家庭を持てば幸せになれる」とか、そういうことばも含まれていると、ようやく気づいた。他人の目なんか気にしないと、自分はすごく強気な人間なんだと、そう思っていたけれど、実は気にしていたみたいだった。いいんだよと僕は言ってやる。自分に言ってやる。おまえは立派なやつだよ、誰にも文句を言われる筋合いなんかない。